第12話 鉛色の飛行船

 マクドナルドでホットアップルパイだけを注文してずっと求人情報を探していた僕らは、店を出てとある場所へと向かった。


 さすがに何度もあのマクドナルドで1品粘りをやりすぎているので、いつかまとまったお金が入ったらお詫びも兼ねて豪遊しようかなと思う。


 向かった場所はこの街の繁華街メインストリートから一本入った人通りのあまりない場所。

 少しレトロな雰囲気のある建物からは、ちょっとばかりコーヒーのいい香りが漂っている。


「こんにちは」


「あらー、こうちゃんいらっしゃい。本当に久しぶりね」


 そのお店の扉を開けると、出てきたのは僕の母親によく似た女性。

 この人こそ、僕がさっき電話をかけた相手――溝脇みぞわき香苗かなえさんだ。旦那さんと一緒にこのカフェ『Good times Bad times』を経営している。


 なぜこんな人と僕が知り合いかと言うと、この人は僕の母の双子の妹、つまり叔母さんなのだ。


「もしかしてその子がさっき言ってた子? んまあとてもかわいい子じゃない!」


「ど、どうも初めまして……。ええっと、鵜飼茉里奈です」


 鵜飼さんは慌てたようにペコリと頭を下げる。

 ちょっとテンションの高い叔母さんに若干緊張していたのだろう。誰にでも分け隔てなく接するからてっきりフランクなのかなと思っていたけど、案外こういう時の鵜飼さんは礼儀が正しい。


「ちゃんと挨拶も出来るし、可愛いし、紅ちゃんの頼みともあれば即採用ね」


「ほ、本当ですか?」


「ええ、ちょうど前まで手伝ってくれた子が学校を卒業して、いなくなっちゃったところなの。もう渡りに舟って感じよ」


 渡りに舟だと言いたいのはこっちの方だよと僕が言うと、鵜飼さんはクスっと笑う。

 求人情報誌に募集をかけようとしていたところらしく、本当にナイスタイミングだったわけだ。


「じゃあちょっと色々お話ししなきゃいけないから、そこのテーブルに座ってちょうだい。……あっ、飲み物はコーヒーでいいかしら?」


「ええっと……、ミ、ミルクマシマシで……」


「ふふっ、じゃあカフェオレにしておくわね」


 鵜飼さん、それはラーメン屋でのコールのやり方だよと軽くツッコミを入れてあげると、彼女は少し顔を赤くして冗談だよと言う。

 初めての店、初めてのバイト、緊張しない理由なんて無い。


 叔母さんがコーヒーを淹れてくれている間、鵜飼さんは店内をキョロキョロと見回す。


「……なんだか森の中みたいでオシャレだね」


「そうだね、叔母さんの趣味趣向がよく出ていると思うよ」


 店内は秘密基地をイメージしたらしく、内装にはどこか手作り感があって温かい雰囲気がある。

 街の騒がしさから逃れるにはこういう所に来るのがいいかもしれない。僕もたまにここを訪れる。


「あっちにはピアノもあるし、もしかしてライブを演ったりもしてるのかな?」


「夜になるとバー営業になるから、そのときにちょっとした演奏をすることがあるみたい」


「へえー、じゃあ私達もここでライブ出来たりするのかな?」


「で、出来るんじゃないかな……? わからないけど……」


 ライブができるかもと言うと、さっきまでの緊張気味だった鵜飼さんは一気にテンションが上がって前のめりになった。

 こういう時の鵜飼さんは、何故か僕との物理的距離がバグる傾向があって、例に漏れず今もまさに彼女の顔が目の前にある。


 ……やっぱり可愛いなあ鵜飼さんは。瞳が大きくてキラキラしているし、肌ツヤ良いし。それにちょっと、いい匂いが……。


 だ、だめだぞ岡林紅太郎、ここは公共の場。変なこと考えちゃいけない。


「あ、あの……、近いです鵜飼さん……」


「えっ? あっ、ごめんごめん、ついテンションが上がっちゃって」


 元の距離感に戻ると、僕はため息をひとつ吐く。

 鵜飼さんは誰にでも距離を詰めてくるから、こんなこと気にしないのだろうけど、株式会社陰キャラの代表取締役社長みたいな僕は女子に近づかれるだけで心臓が高鳴るのだ。


 そうこうしていると、叔母さんが鵜飼さんのカフェオレと、僕の分のブレンドコーヒーを持ってきてテーブルの対面に座った。

 バイトの内容説明と、入れそうなシフトの確認。あとは時給とか交通費とか色々。


 どうやら叔母さんはえらく鵜飼さんのことを気に入ったようで、ほぼ二つ返事で採用されることが決まった。

 鵜飼さんもこのお店の雰囲気が好きになったみたいで、紹介した僕としても一安心だ。あの時電話をかけてよかったと思う。


 鵜飼さんはバイト用の制服のサイズ合わせをするために一旦店の裏へ下がった。

 制服と言っても猫耳メイドなんてものでは勿論なく、カフェシャツとエプロンのオーソドックスなもの。鵜飼さんなら何を着ても似合うだろうから、僕は楽しみにしながらブレンドコーヒーをすすっていた。


「それにしてもびっくりしたわ、まさか紅ちゃんが彼女を連れてやってくるなんて」


 突然叔母さんがそんなことを言うものだから、僕はコーヒーを吹き出しそうになってギリギリで耐えた。


「か、彼女じゃないです……!」


「ええー? そうなの?お似合いだと思うけど?」


「そ、そんな、からかうのはやめてください……」


 僕はめちゃくちゃ動揺しながらなんとか返答する。


 普通に考えて、鵜飼さんみたいな人が僕の彼女なわけない。鵜飼さんが僕のことを友達と言ってくれたのだから、友達という関係で十分だろう。


 そういえば鵜飼さんって彼氏いるのかな? それという人を匂わせることはなかったし、いないのかな?


 陽キャラの恋愛事情には詳しくないけど、彼氏が出来ては別れ出来ては別れとか軽い感じで付き合っていたりするって小耳に挟んだことがある。


 多分鵜飼さんも例に漏れずそんな感じなんだろうなと思うと、ちょっとワクワクしていた自分の心が落ち着きを取り戻していたことに気がついた。


「じゃーん! ねえ岡林くん、どうかな?」


 着替え終えて鵜飼さんはまたホールまで出てきた。

 予想していたよりも制服は大分似合っている。こんな鵜飼さんにコーヒーを持ってきてもらえるなら、何杯もおかわりしてしまいそうだ。


「うん、とても似合っているよ」


「えへへ、やったぜ」


 鵜飼さんはVサインを僕に向ける。

 その笑顔は、やっぱり太陽みたいだった。

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