第28話 カベドン

 翌日の放課後、僕は掃除当番をこなすために教室の中でせっせと働いていた。


 他の当番の人たちは当然のようにサボるので、なんやかんや毎回僕だけで掃除をするはめになる。

 こういう貧乏くじを引くのも、もう慣れたもんだ。


 今日の鵜飼さんは終業即アルバイトに直行。何やら新メニューがあるから試食するのだとかなんとか。


 あのカフェはコーヒーも香り高くて美味しいけど、それに合わせるお菓子もクオリティが高い。

 今度またお店に行くときは、ぜひその新メニューを頂きたいなと思いながら、僕はほうきで教室の床を掃いていた。


 しばらくして、僕しかいない教室に現れたのはあからさまに不機嫌そうな顔をした山下だった。

 彼のその眼差しからは、わかりやすく『敵意』というものが感じられる。

 おそらくこれから山下は、僕に何かしら仕掛けてくる。異様な雰囲気を察知した僕は、すぐに身構えた。


「……おい岡林、ちょっとツラ貸せよ」


「や、山下……? どうしたんだ?」


「そんなのどうだっていいだろ。人目があるとちょっと困るんだよ」


 山下は周囲の人目を気にしながら、僕へと詰め寄ってくる。あっという間に、僕は壁際へと追い込まれた。


 これから彼は見られたり聞かれたらまずいようなことをするのだろうということが、さすがの僕でも察しがつく。


「岡林お前、鵜飼に何をしやがった?」


「何って……、何もしてないよ……」


「何もしてないわけないだろ!お前以外考えられねえんだよ!」


 山下はそう言って、僕の顔越しに壁を殴る。

 下手なことを言ったらただじゃ済ませない、そんな殺気に彼は包まれていた。


「昨日の帰り、鵜飼のヤツ泣いてたんだよ。人目につかねえところでひっそり」


 僕はそれを聞いて驚いた。あの鵜飼さんが泣き出すということが珍しかったし、なにより昨日の放課後には彼女が泣いてしまうようなイベントに心当たりがなかったからだ。


「鵜飼さんが……、泣いていた……?」


「ああそうだ。直前に何か泣くようなことがあったとすれば、まずお前が原因としか思えねえ」


「で、でも、僕は鵜飼さんに何も……」


 とっさに昨日の出来事を思い出す。


 昨日は放課後のチャイムとともに、鵜飼さんが『ティーンエイジ・ライオット』の応募について相談にやってきた。

 それで、僕がうっかりベニーのYouTubeチャンネルを収益化してしまったので、応募曲にはベニーの曲が使えないことになって――。


 ……もしかして、鵜飼さんはそのことがめちゃくちゃショックだったのではないだろうか?

 その後だって用事を思い出したと言ってサッと立ち去ってしまったし、ショックを隠しきれなかったとすれば不思議と辻褄が合ってしまう。


 でもまさか鵜飼さんが……、と思うと、僕は山下を前にして動揺を隠せなかった。


「その感じ、やっぱり心当たりがあるようだな」


「い、いや、でもそんなわけ……」


「いいや、もうお前が原因で間違いない。鵜飼を泣かせたのは、十中八九岡林だ」


 山下は鬼の首を取ったかのように、更に語気を強めた。

 半ば決めつけのような感じではあるけれど、僕にそれを強く否定できる要素がないのも事実。

 無意味に反論するのは墓穴を掘るに等しい。


「……それで、山下は僕をどうしようって言うんだよ」


「そんなの決まってる。もう金輪際、鵜飼に近づくんじゃねえ。もし近づいたら俺がお前をぶん殴る」


「そんなあ! 何の権利があってそんなこと……」


「うるせえ! テメェが鵜飼を泣かせたくせにまだそんなこと言いやがるのか!?」


 今日イチでかい怒号のような声で、山下は僕を黙らせる。

 腕っぷしではまず彼には勝てない。だから無傷でこの場を凌ぐには、大人しく彼の言うことを聞くしかない。


 ほぼ暴力と言ってもいい力に屈する無力な自分が、今この瞬間本当に嫌いになった。


 僕は鵜飼さんを悲しませてしまう上に、自分自身を好きになることができない。

 そんな奴の作る歌なんて、彼女は喜んで歌ってくれるだろうか。答えは否だろう。


「今度鵜飼がもし泣くようなことがあれば、俺はお前を絶対に許さない」


「…………わかったよ」


 長い沈黙のあと、山下は怒りが一旦収まってきたのか、壁に追い詰めていた僕を開放した。


「今日のところはこの辺にしておいてやる。もう、鵜飼の前に出しゃばんな」


 そう吐き捨てて山下は立ち去っていった。

 一方の僕は腰が抜けてしまい、その場にヘナヘナと座り込んでしまった。


「鵜飼さん、ごめん。僕はやっぱり、ダメな奴みたいだ」


 僕以外誰もいない教室に、情けない声が虚しく響いた。

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