第29話 夜を押さない、駆けない、喋ろう

 山下に脅されたあとの僕は、出来るだけ鵜飼から距離をとっていた。


 あんなやつの言うことなんて気にしない方がいいのかもしれない。けど、僕は鵜飼さんに対して何か悪いことをしたではないかという疑いを、自分自身で晴らすことが出来なかった。


「ねえ岡林くん、今日は音楽室が空いてるらしいからちょっと練習しない?」


 放課後、バイトのシフトが入っていないという鵜飼さんは僕にそう言ってくる。


「ご、ごめん、今日はちょっと曲作りを……」


「そっかぁ、曲作りって大変なんだね。でもきっと岡林くんなら凄い曲を作ってくれるだろうから、楽しみにしてるよ」


 鵜飼さんはいつもの太陽みたいな笑顔を見せてくれる。でも僕は、それに苦笑いしか返すことが出来なかった。

 こんな会話ですら山下にマークされているような気がして、精神衛生上よろしくない。


 さらなる上は、実は曲作りの方もあまり進捗がよろしくない。

 創作活動は精神状態にも大きく左右されるなんて有名なクリエイターが言っていたような気がするけど、今まさに僕はそれを実感している。

 もっと強いメンタルを持っていればなあなんて、完全なないものねだりだ。


 そんなわけでますます鵜飼さんに合わせる顔がない。悪循環というやつだ。


 僕は、逃げるように自宅へと帰った。


 ◆


「あー、全然捗らないや……」


 家に帰るなり、僕はパソコンとにらめっこして曲作りに励むけれども、やっぱり思ったほど進捗がよろしくない。


 その昔思いついたネタの中から使えそうなものを選び出して、それをもとにメロディと簡単な伴奏をつけるまでは出来た。

 でも、肝心なその先のアレンジとか作詞とか、そういうのが上手くいかないのだ。


 そうこうしているうちに外はすっかり暗くなり、何も進まないまま夕食と風呂を済ます。

 すっかりやる気がなくなってしまった僕は、ベッドに倒れるように飛び込んだ。


 すると、充電ケーブルが挿されたまま放置されたスマホがブルっと震える。

 通知画面を見ると、それは鵜飼さんからのLINEだった。


『やっほー、今なにしてるの?』


 伝えたいことがあるとすぐ音声通話をする鵜飼さんなので、僕にLINEのメッセージを送ってくることは結構珍しい。今日はそういう気分なのだろうか。


 さすがにLINEのメッセージならば山下にマークされることもないだろうから、僕は既読をつけるなりすぐ返事をする。


『曲作りしてるよ』


『進捗どうでしょう?』


『ぼちぼちかな』


『ふーん』


 鵜飼さんはこれに加えてよくわからないキャラクターのスタンプを更に送ってくる。

 陰キャラの僕はこういう感じでスタンプをつかわれたとき、どう返していいのか全く見当がつかないのが正直なところ。


 みんなどんな心構えでLINEのやり取りをしているのか、とてもとても気になる。

 なんて返そうか、それともこのまま会話をフェードアウトさせようか迷っていると、鵜飼さんの方から更にメッセージが来た。


『ねえ、ちょっとこれから時間ある?』


『これからって、いま夜の10時だよ?』


『いいじゃん明日休みなんだし』


『まあ、多少は構わないけど……』


 僕が躊躇いを見せると、鵜飼さんはそんな僕に思考する時間など与えないというテンポで次のメッセージを送ってくる。

 あの長い爪のある指でこんなに早く文字を打てるのが驚きだ。


『じゃあちょっと散歩しようよ、夜の散歩』


『夜の散歩って……、こんな時間にお巡りさんに見つかったら補導されるよ?』


『大丈夫大丈夫、悪いことするわけじゃないし』


 女子と夜中に外出という、善良な陰キャラ男子にはちょっと刺激的過ぎる鵜飼さんの提案に、僕は二の足を踏む。

 でも彼女はそんなのお構いなしというか、どこまでもマイペースに僕を巻き込んでくるのだ。


『とりあえず岡林くんの家の近くまで来たから』


『えっ? 本気で言ってる?』


『もちろん。窓の外見てみなよ』


 僕は自室のカーテンをめくって家の前の道路を見ると、そこには鵜飼さんが手を振って待っていた。

 学校の制服でもカフェの制服でもない、部屋着みたいなラフな格好をしていて、本当に思いつきでここまで来たのだなということがわかる。


「やっほー岡林くん、迎えに来たよー」


「う、鵜飼さん! 夜中なんだから静かにっ……!」


「大丈夫大丈夫ー。それよりも早く早くー!」


 僕は大急ぎで準備し、自宅の玄関を飛び出した。

 そこに立っていた鵜飼さんは、いつもより飾り気がなくてとても無防備で、僕なんかが直視していいものなのかよくわからない。

 多分彼女は、そんな風に僕が慌てているところまで計算済みなのだろう。僕のことを見てちょっと面白がっている。


「なんでまたこんな夜中に散歩なんて……」


「なんかこういう夜の散歩って良くない?青春っぽくて」


「……まあ、ちょっと非日常的な感じはあるけど」


 やっぱりこれは、たまにある鵜飼さんの突拍子のない行動だった。

 そのなんとなくで動き始める行動力は、僕も見習うべきなのかもしれない。


「あと、『夜の』っていうのが言葉の頭につくと、なんかえっちいよね……!」


「……そ、そうだね」


「あー! あからさまに嫌そうな返事する! 私がスベったみたいになるじゃん!」


 僕は苦笑いを浮かべて、鵜飼さんと一緒に夜の散歩をすることにした。

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