第22話 追憶のインターホン

 翌日の僕は、あまりにも学校に行きたくなさすぎて仮病を使おうかなと思っていた。

 でも情けないことに、仮病を使うまでもなく普通に風邪をひいてしまったのだ。


 昔から身体はあまり強いほうじゃなかったので、ちょいちょい体調を崩すことはあったけど、まさか仮病を使おうとしたら本病になってしまうなんて思いもしなかった。


 幸い症状はそれほど重くない。

 寝込んだまま夕方になって、体調はだんだん良くなってきた。この分なら、明日は学校に行けそうだ。


 鵜飼さんに会ったら何を話そうか。そんなことばかり考えていたら、ふと家のインターホンが鳴った。


「はい……、どちら様で……って! う、鵜飼さん!?」


「やっほー、プリント届けに来たよー」


 インターホンの画面の向こうには、いつもの太陽みたいな顔をした鵜飼さんが立っていた。

 彼女は僕の前の席にいるので、僕の分のプリント類を届けに来たらしい。


「届けに来たよって……、どうやってうちの住所を?」


「あーそれね、香苗さんに聞いた」


「叔母さん……。個人情報保護法は何処へ……」


 僕はひとつ大きくため息をついた。教えた相手が鵜飼さんだからいいものの、他のバイトさんにも教えていないか不安になる。


「まあまあ、いずれ岡林くんの家には行くつもりだったし、細かいことはいいじゃん。それより入るよー」


「えっ、ちょ、ちょっと待って! か、片付けるから!」


「いいっていいって、多少散らかってるぐらいなんともないからお構いなくー」


 プリントだけ置いていけばいいものの、鵜飼さんは敢えてうちの中に入ろうとする。


 もちろん来客の準備とか心の準備とか全くもって出来ていない。慌てた僕は、風邪で少しだるくなっている身体へムチを打ってなんとか片付けようと頑張る。


「おおー、ここが岡林くんの部屋かー」


「あんまり……、見ないでください……」


 鵜飼さんを家に上げて部屋へ招くと、彼女は隅々を見回す。

 特に変なものを置いているつもりもないし、見つかったらまずいものは特別な場所に保管しているので大丈夫なはず。


 それでも、女子を部屋に入れるという人生経験上初の出来事が今始まるということで、僕は緊張しつつ羞恥を覚えるというヘンテコな状態にドキドキが止まらなかった。


「別にいーじゃん。結構きれいにしてるし、思ったよりちゃんとしてるんだね。偉いぞ岡林くん」


 予想外に鵜飼さんが褒めてくるので、余計に恥ずかしい。


「うう……、恥ずかしすぎてもうお嫁に行けない……」


 お嫁さんということは、それは将来的に女装も視野に入れてるの?とニヤニヤした鵜飼さんに言われたけど、普通に言い間違えですごめんなさい。


 普通に考えて陰キャラぼっち男子高校生の僕に女装なんて似合うわけないじゃん。

 やれと言われても断固としてやらないし、そもそもそんな機会だってまずないだろう。うん。


 彼女を椅子に座らせると、僕は自分が風邪を引いていることを思い出して、思わず自分ベッドに座り込んでしまった。鵜飼さんを招き入れるだけでも、結構体力を使うみたいだ。


「まさか本当に風邪をひいたなんて驚いた。ふつーに仮病かと思ってたよ」


「実は僕が一番驚いてたりする」


 まるで他人事のような僕の返しに鵜飼さんはクスッとする。

 椅子に座る彼女の脚は、モデルさんのように長くて思わず視線がそこに行ってしまう。僕はちょっとバツが悪そうに鵜飼さんから視線をそらした。


「……まあでも、そういうのもなんだか岡林くんっぽいよね」


「それ、どういうこと……?」


「なんでもなーい。それより、これ、プリント類。テスト近いから挽回大変だぞー?」


 鵜飼さんは楽しそうに僕へプリントを渡してきた。勉強は苦手ではないけど、かといって得意でもない。彼女の言うとおり今日の一日分を挽回するのには結構骨が折れそうだ。


「それで、本題なんだけど」


 鵜飼さんは急に表情を変えて、シリアス気味にそう切り出した。

 その雰囲気の変わりっぷりで、僕は鵜飼さんがここに来た本当の理由を察した。


「あっ、やっぱりそういうことですか……」


「そうじゃなきゃわざわざクラス委員の代わりに岡林くんちにプリント届けに行かないって」


「で、ですよねー……」


 本来こういう渡し物があるときは、クラス委員がその役割を担う。けれど鵜飼さんは僕んちに来る最もな理由付けのために、わざわざその役割を請け負ったのだ。


 そこまでされてしまっては、曖昧にせずにきちんと鵜飼さんには話しておいたほうがいいだろう。


「その昔に梓ちゃんと何があってあんだけ険悪になっちゃったのか、教えてほしい」


「わ、わかったよ……。ちゃんと話すから……」


 鵜飼さんがその大きな瞳で僕をじーっと見つめてくる。

 そんなに見られると恥ずかしくて緊張してしまうなんて茶化そうものなら、鵜飼さんに怒られてしまいそうだ。


 僕は、頭の中で記憶を紐解きながら、すうっと深呼吸をした。


「その話は僕が小学校高学年のとき、梓と同じピアノ教室に通っていたころに遡るんだ」


 もう何年も前の話だけど、幼少期の記憶というものは案外残っているのだな、と僕は思った。

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