第36話 ひとりでこじょはん。
緑水さんは今日も来ない。
「はあ……」
ダラダラと作業をしていたら、いつの間にかお昼を食べないまま午後二時過ぎになっている。
ちょっと前までは毎日のように緑水さんが姿を現していた時間。
「中野さん、こじょはんにしましょう」
そんな声が聞こえてくるような気がして、縁側のガラス戸から外を眺める。
また草があちこちから生え始めている庭に、人の姿はない。
「なにか食べるか……」
冷蔵庫をあさっていて、ふと思った。
緑水さんに教わったこじょはん、また作ってみようかな。
今やもう、私には過去の記憶を通して緑水さんと触れ合うことしかできない。
だけど妖怪ってせこいよ。人間なら住所とか電話番号とか連絡先があるのに、そういうのもなく自分の都合で消えちゃうんだからさー。それにあっちは姿を現したり消えたりできるのにこっちはできないんだから、不公平じゃない?
なんて心の中で悪態をつきながら台所へ向かう。
私はやきもちを作ってみることにした。 昨日大家さんに会った時に大葉とねぎをいただいたから材料もあるし、シンプルで簡単だったから私が作っても失敗しなそうだし。
久々に台所に立ち、まな板で大葉とねぎを刻む。
あの時緑水さんが私に手を重ねたことをふと思い出す。
「はあ……」
小麦粉、水、重曹、味噌を加えて混ぜ合わせる。
丸く形を整えたら、フライパンで焼いていく。
「いただきまーす」
できあがったやきもちを一人でもそもそ食べていたら、ふと思い出した。
「あ、花火大会……」
確かあの日、やきもちを食べながら話していたんだった。
花火大会の日は、この家の庭から見ようねって。
一緒に、見たかったな。
緑水さんにもらったシーグラスのブレスレットをぼーっと眺める。
日に透かして目に近づけてみると、まるで水の中にいるみたい。
「きれいだなあ」
緑水さんは、一体どんな気持ちで私にこのブレスレットを作ってくれたんだろう。
緑水さんって私のことなんか、ちっとも好きじゃなかったのかな。
「だけど……」
ふと、緑水さんの言葉を思い出す。
――今は、中野さんが美味しそうにこじょはんを食べてくれることが私の幸せなんです。そしてこうして私と関わってもらえることに、喜びを感じているんです。おおげさに言えば、それが自分が生きている意味の一つなんですよ。
「それなのに……」
はあ、とため息を漏らす。
緑水さんは今、どこでなにを考えているのだろう。
緑水さんがオオサキ持ちだったとしても、神様の使者だったとしても、大家さんの言う通り、どっちみち妖怪と人間が結婚なんかできない。くっついてもいいことがない。
だから身を引いたということなのだろうか。
「私が嫌われたわけじゃないのかな」
もしそうだとしたら、今緑水さんはとっても寂しい思いをしているのでは?
「うーん」
なかなか自分に自信って持てないけど、思い返してみても私と一緒にこじょはんしているときの緑水さんはいつも幸せそうだった。
それに、緑水さんは毎日私の家に来る必要なんかなかったのに来てくれていた。
はじめは私のことを心配して様子を見に来てくれたのかもしれないけど、その後は違ったんじゃないかな。
自分がそうしたいから、そうしてくれてたんじゃないかな。
それならきっと、緑水さんだって私と一緒にいたかったはずだ。
「あの時、あんなことしなければ良かったのかな」
だけど遅かれ早かれ、いつかはこうなっていたんだと思う。
ずっと気持ちを隠したまま一緒にいるなんて、無理だったんだ。
もう一度、緑水さんに会いたい。
私は緑水さんと一緒にいることで普通の人間との結婚ができなくなっても構わないって伝えたい。
それにもしそんな理由じゃなくって単に私のこと好きじゃないだけなら、そう言ってほしいし。このままじゃ諦めもつかないよ!
「だけどどこに行けば会えるのかな」
結局隣の家には住んでいなかった様子だし。
「他に思い当たる場所っていったら……」
きっとあの場所だろう。山奥にある「め」と書かれた廃寺。
あそこまで、一人で行けるだろうか?
行ける気がしないけど、行ってみるしかない。
そうしないともう会える可能性なんか、ないような気がする。
スマホで天気予報を見ると、今夜は雨が降るが明日は曇りみたいだ。気温もそれほど高くない。
「明日行ってみよう」
私は荷物の準備を始めた。
夜、なかなか寝付けなかった私は久々に麻衣にラインをした。
《最近どうよ》
適当にスタンプも送りつけてみる。
するとすぐに、麻衣から通話がかかってきた。
「久しぶり。元気してるー?」
「うん」
正直元気じゃない。緑水さんに会えなくなってからずっと、憂鬱な気持ちだ。
「ごめん夜遅くに」
「どうした、なにかあった?」
声で察したのか、麻衣は心配してくれている。
「あのね、ちょっと聞いて欲しい話が……」
「なになに、なに関係?」
「まあなんていうか。私、好きな人ができて」
私がそう言うと、予想通り麻衣は声を弾ませてくれた。
「わぉー。いいじゃんいいじゃん!」
あの元彼との婚約解消事件以来、麻衣はずっと私を応援してくれていた。
きっと、私に新しい恋でもはじまったらいいのにと思ってくれていただろう。
相手が狐の妖怪で、とは言い出しにくいけれど、とりあえず今は新たな恋をしているのだということだけでも伝えておこう。
「ねえ、どんな人なの?」
「うん、ご近所に住んでて、私より年上で、とっても穏やかで優しい人なの」
「えーいいなあ。包容力のある年上、いいよねぇ」
麻衣はきっと、年下だとしてもなにかいい風に言ってくれたに違いない。
「その人、お料理が上手なの。それで私にご飯とかおやつ作ってくれたり、お料理教えてもらったりして」
「はあ……。なにそれ良すぎる。私も恋したいわあ……」
麻衣は深いため息をついた。麻衣は美人でいかにもモテそうなのに、ありあまりすぎるエネルギーで恋も跳ねのけてしまっているような節がある。
「だけどその人と、ちょっとうまくいってなくて。最近会えてないの」
「えーなんでなんで?」
「私が気持ちを伝えたんだけど、それに対する答えはもらえないまま距離を置かれた感じで」
「なるほどねえ。でもその人からしたら、朱里はまだ若いし自分じゃ不釣り合いなんじゃないかとか、色々考えちゃったんじゃない?」
「まあ、もしかしたら私のこと考えてそうしたのかもしれないね」
そんなこと、してほしくなかったのに。
「で、あきらめようかと思ったけど、もう一度、明日気持ちを伝えてくる」
「いいじゃない。それで私に電話してきたのね!」
「うん。なんとなく、麻衣に話したくて……」
「オッケィ!」
なにか電話越しにモゾモゾと音がした後、麻衣は叫んだ。
「ワンツースリーフォー! アーユーレディ? レッツゴー! エール!」
「えっ」
麻衣は高校時代、チアリーディングをやっていたらしいのだ。それで時たま、こうしてコールを叫んだりし始める。
「ねえ麻衣、夜だし近所迷惑だからやめな……」
「ゴー! アカリ、ゴー! ゴー! アカリ、ゴー! ゴー! アカリ、ゴー! ゴーファイトウィン!」
「ねえお願い、やめて……。電話越しでもこっちが恥ずかしくなるから……」
「ごめーん、ついつい朱里を応援したくなって」
「ありがとう。ありがとう……」
ふぅ。
でもなんか、一人じゃないって気持ちになれた。
「大丈夫! 朱里はとっても魅力的だよ! それにあきらめるのをやめてくれたのが、私は嬉しい!」
「あきらめるのを、やめた?」
「うん、朱里あれから色んなことあきらめてたじゃん。でも今はちがうでしょ?」
「そうだね。……明日、頑張ってくるね」
神様。どうかまた、緑水さんと会えますように。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます