第14話 緑水さんが優しい理由。

 ふと、疑問に思っていたことを緑水さんにたずねた。


「あのう、緑水さんって、私のところにだけこじょはんを持ってきてくださってるんですよね?」

「ああ、そうですね」


 緑水さんもずずず、とお茶をすする。


「どうして、私にこんなに良くしてくださるんですか?」

「うーん」


 少し考えてから、緑水さんは答えた。


「中野さん、大丈夫かなって心配だったんですよ。急に慣れない土地にやって来て、お一人で暮らすなんてと思って」

「でも、そう思って具体的に行動するっていうことが……すごいなって思うんです。私なら引っ越してきた知らない人のために、毎日お料理作りに来たりしないですよ」

「いえ、毎日来るようになったのは成り行きですし……。それに何も自分は、聖人君子ってわけじゃないですよ。きっと寂しがりやなんですね」

「寂しがりやですか?」


 とてもそんな風には見えない。緑水さんはいつも穏やかで、感情の変化を感じさせない。たった一人ででも、安定した気持ちで平然と暮らしていけそうに見える。


「長いこと生きてきてね、誰かを幸せにすることが自分の幸せなんだな~と気づいたんですよ。実は私、結構な期間、人と会わずにひきこもっておりましたので」

「ほう」


 長いことって言ったって、緑水さんは私と大して年齢変わらな……。

 そっか。緑水さんは狐の妖怪だから、実は何百年も生きていたりするのかな。


「誰とも会わなくても生きていけることはいけるんですが……誰のことも、少しも幸せにできずに生きていると……ただ生きながらえているだけで、生きている意味がないように感じてしまうっていうんですかね。生きていることが申し訳ないように感じてしまうんです」

「そんな……」

「だから今は、中野さんが美味しそうにこじょはんを食べてくれることが私の幸せなんです。そしてこうして私と関わってもらえることに、喜びを感じているんです。おおげさに言えば、それが自分が生きている意味の一つなんですよ」

「そ、そうなんですね」


 なんだろ、胸の辺りがぽわっと暖かくてくすぐったい。


「それなら私、遠慮なく幸せになってればいいですね」


 そう言うと、緑水さんはうなずいた。


「そうです。遠慮なんかなさらないでください。中野さんと出会えたおかげで楽しい思いをしているのは私なんですから」




「それではまた」


 緑水さんが会釈をしてから去っていく。

 その後ろ姿がふいに、寂しげな一匹の狐のように見えてきて、思わず呼び止めたいような衝動にかられる。

 はあ、なんだろう……。胸が苦しい。

 ちょっとこじょはん、食べ過ぎちゃったかなあ。



 部屋に戻りながら考える。

 私の生きる意味って何だろう?

 あまりそんなこと、考えて生きてなかったかなあ。


 でもそれって、つねにやることがあったから考えずに済んでいただけなのかもなあ。学校とか仕事とか。


 今の生活の中でなら、自分の編集した動画がテレビで流れたり、たまにエンドロールに自分の名前が刻まれていたり。そういうことで自分の存在意義を無意識のうちに確認できているのかもしれない。


「あーだけど、最近生きている感覚がマヒしてきた部分はあるかな」


 一人きりでほとんど誰とも話さず家にこもって仕事をしていると、自分という存在がふわふわしてくる時がある。私が見ている光景は、ただ作られた架空の世界の映像を見せられているだけなんじゃないか? なんて感覚に襲われる。

 街ゆく人とすれ違っても、電話で誰かと会話しても、そういう役割を演じるようプログラムされたデータが再生されているだけなんじゃないかと思えてくる。


 物事がうまく進むと、きっとこれは様々な確率のパターンの中からうまくいった場合のルートを体感させられているだけなんだと感じる。

 物事がうまくいかないと、残念ながら私は様々な世界線の中でうまくいかない場合のルートを体感する役回りらしい、と落胆する。


 まるで自分ではコントロールのきかないゲームを見せられているみたい。


 私は緑水さんのように、意味なく生きていることに罪悪感は持っていない。

 だがこの世に生きている感覚が希薄だ。

 それはこの古民家に移り住む前からそうだった。

 都会のアパートに缶詰になっている頃からそうだった。

 もしかしたら、元彼と別れて人と距離を置きたいと思い始めたころから、そうだったのかも。


 この生きている感覚が希薄であることが、どのくらい悪いことなのかはわからない。生活には支障もないしね。

 でも人間としては問題な気がする。


「大和くんみたいな人は、ちゃんと地に足をつけて現実を生きているんだろうなあ」

 ふとそんなことを思う。

 

 緑水さんは、とっても優しくてひきこもりがちな狐の妖怪。


 私は妖怪ではないけれど、人間らしい人間でもないのかもしれない。

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