第20話 こじょはん、わらびの煮物。

「メダカはいいなあ。なにも考えてなさそうで」


 庭で、じーっとメダカの入った鉢を眺める。つい最近、大家さんが鉢ごとメダカをくれたのだ。鉢の中には水草も入れられていて、眺めているだけでなんだか涼しい気持ちになってくる。


「こんにちは」


 いつの間にか来ていた緑水さんに後ろから声をかけられる。


「こんにちは」


 緑水さんだ。心がふっと軽くなる。


「おや、そちらのメダカは食用ですか?」


 瞳をキラキラ輝かせて緑水さんがメダカの泳ぐ鉢を見つめている。

――えっ。それは緑水さんが本当は狐だから、メダカをペットとして飼う感覚がなくて食べ物にしか見えていないっていうこと?


「あー、いや、これは食べたら駄目です」


 しどろもどろになっている私を、緑水さんが笑った。


「あはは、冗談ですよ。私、メダカを食べたことはないです」

「そ、そうですよねー」


 なんだあ、冗談かー。


「やけに熱心に見入っておられたので、まるで猫が金魚鉢の中を物欲しげに眺めている姿のように見えてしまって」

「私が食べたそうにしているように見えたってことですかぁ!?」


 なんだ、そっちか!


「中野さんはいつもお腹を空かせているので」


 クスクス、と緑水さんが笑う。


「でも確かにお腹は空いてきましたけど」


 よいしょ、と立ち上がる。


「緑水さん、今日の占いはどうでした?」


 最近、占いの結果を聞くのも楽しみの一つになっている。


「今日のおひつじ座は、気の緩みにご用心、だそうです。ちなみにラッキーカラーは青です」

「気の緩みですか……結構常に緩んでるから難しいなあ」

「私がいる間は代わりに気をつけておきますから大丈夫ですよ」


 話しながら、私と緑水さんは玄関へと向かう。


「今日のこじょはんはなんですか?」


 うきうきしながらたずねる。


「今日のこじょはんは、わらびの煮物ですよ。昨日山でわらびを採ってきて、あく抜きをしておいたんです」

「あく抜きってなんだか大変そうですよね。どうやるんです?」

「わらびのあく抜きをするには、重曹で茹でて、そのまま一晩置けばいいんですよ」

「へえ~」


 意外と簡単だなとも思ったけれど、自分でやるとなると一晩置かなきゃならないのが億劫かも……。手間暇ってなにげないことの積み重ねなのかもしれない。


「ところで中野さん、今日はお仕事はいいんですか?」

「ええ、実は今は待ち時間なんですよ。夕方ごろに今日撮影したデータが送られてくることになっていて、夜に作業するつもりなんです」

「へえ、そういう時もあるんですね……。では、一緒に作りますか? わらびの煮物」

「いいんですか!?」


 思わず私は大きな声を出してしまった。

 緑水さんとお料理するの、とっても楽しいんだもの。


「もちろんいいですよ。なんだか中野さん、最近お料理に興味が出てきたみたいですね」


 緑水さんは嬉しそうに微笑んだ。




「では作っていきたいと思うのですが……ちょっと冷蔵庫を拝見します」

「どうぞどうぞ」


 緑水さんは冷蔵庫の中からなにかを発見し、目を光らせた。


「中野さん、油揚げがありますね」

「ええ、もちろん。緑水さんの大好物ですからね。見かけたらいつも買うようにしてます」


 それはちょうど昨日の夕方、東京から電車とバスを乗り継いで帰宅途中にスーパーで買っておいたものだった。


「ではこちらを使わせていただきましょう。まず、わらびと油揚げを食べやすい大きさに切ってください」

「はーい」


 まな板と包丁を取り出し、わらびを並べて手を止める。


「どのくらいに……」

「三センチくらいでよいかと」


 緑水さんに見られながらだと、例え単純な作業でもちょっと緊張してしまう。これで大丈夫かな? とそわそわしながら、わらびと油揚げを切り終える。


「そしたら、油で炒めてください」

「はい……」


 お鍋に油をひき、わらびと油揚げを炒める。


「そろそろいい感じですね。ではお醤油と砂糖を加えます」

「はい……」

「これで完成です」

「えっ、これで出来上がりですか?」

「そうですよ」


 私にもできちゃった。わらびの煮物。



 お茶を用意し、さっそくお味見。


「いただきまーす」


 箸でつまみ、ぱくっとひと口。

 柔らかいけれど食感も楽しめるほろ苦いわらびと、うまみをたっぷり吸いこんだ油揚げがよく合っている。


「私にもこんなお料理ができるなんて驚きです」

「そんなに難しくはなかったでしょう?」

「ほんとですね」


 自分にはお料理なんかできないって、思い込んでいただけなのかも。


「たくさん出来たのでご飯のおかずにとっておくとよいですよ。数日なら持ちますから」

「緑水さんも持って帰ってください。後でタッパーにわけておきますね」

「ありがとうございます」


 油揚げが入っているからだろうか。緑水さん、珍しくニヤつきが止まらないご様子。

 


――あ、そうだ。思い出した!


「緑水さん、そういえば東京でおみやげ買ってきたんですよ」

「おみやげですか?」

「ちょっと待っていてください」


 私は立ち上がり、奥の部屋へと向かった。

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