第3話 こじょはん、いも串。


 新井さん、と名乗る白髪の男性は、台所のシンクで風呂敷包みを開いた。すると中からゴロゴロと小ぶりのじゃがいもが転がり出てきた。他にも竹串とひょうたん型のいれものがある。


「中野さん、お味噌とお砂糖と油をお借りしてよろしいですか?」

「あ、はい。あの、なんで私の名前を知っているんです?」

「昨日中野さんが越してくることは伝え聞いていましたから。この田舎ではビックニュースですよ。東京から若い女性が一人で移り住むらしいって。近頃はその話で持ちきりで」

「ええっ、そんなに話題になっているんですか……?」


 そんな私の返事に特に答えることもなく、新井さんは勝手にシンク上の吊戸棚を開いて大鍋を探し出し、そこに水を入れて湯を沸かし始めた。「おお、あったあった」なんて言いながらすり鉢も取り出している。


 ちなみに鍋やすり鉢など調理道具は全て、大家さんが置いていってくれたものだ。前にこの家で使っていたものもあれば、大家さんが使わなくなったのを持ってきたものもあるらしい。「捨てんのももったいねーだんべ?」とのことで、問答無用で置いていかれた。ちなみに私はほぼ料理らしい料理をしないので、これらの調理器具を使う予定はない。


 新井さんは小ぶりなじゃがいもを丁寧に洗うと、湯の沸いた鍋の中に皮付きのまま入れて茹で始めた。


 とその時、スマホが鳴り始めた。

「あ、そっか、仕事……」

 一つ急ぎの案件があったのを思い出した。取り掛かればさほど時間をとらずに終わる用事だ。


「中野さん、どうぞお気になさらずお仕事をなさっていて下さい。まだできあがるまでには時間がかかりますから」

「そうですか……? なんだかすみません」


 作業机に戻ってパソコンを立ち上げ、動画編集ソフトを開く。えっとこの部分をこっちの画像に変えるんだったっけ……。


 そうして作業に集中すること約四十分。

「はあ、終わった。なんか思ったより時間かかっちゃったな……」

 大きく伸びをして息をつく。

 すると、なんとも香ばしくて食欲をそそる香りがあたりに漂っていることに気がついた。


「この匂いは?」


 吸い寄せられるように匂いのする方へ向かう。こっちかな、と台所の隣の囲炉裏部屋を覗く。すると新井さんが竹串に刺したじゃがいもを囲炉裏で炭火焼にしているところだった。


 囲炉裏からはパチパチと小気味よい音が鳴り、得も言われぬ良い香りがする。

そして炭火を丸く取り囲むように、いもを串に刺したものが綺麗に並べて刺してある。じゃがいもの表面にはたっぷりと味噌だれが塗られていて艶やかだ。


「お待たせしてすみません。とっても美味しそうですね……」


 そうだ、私、昨日の夕ご飯食べてからまだ何も食べてなかったんだ。時計を見ればもうすぐ三時。ぎゅるるとお腹の音が鳴る。


「いも串という、このへんの郷土料理ですよ。こうして遠火でじっくり焼くのが美味しくなるコツです。うん、ちょうどいい頃合いですね。ちょっと座って待っていて下さい」


 新井さんに促されるままに、私は囲炉裏のそばに座った。すると彼は台所に戻り、急須と湯呑みを取ってきた。


「お茶まで用意していただいてすみません」

「いえいえ、勝手に台所に置いてあったお茶を淹れてしまいましたが、大丈夫でしたか?」

「もちろん大丈夫です。昨日大家の新井さんからいただいたものなんですよ」

「そうでしたか」


 小ぶりな二つの湯呑みに、新井さんがお茶を注いでいく。ちなみにこの湯呑も急須も大家の新井さんがくれたもので……。ああ、大家も新井さんでこの人も新井さんだから本当にややこしいな!


「あの、新井さんって、下の名前はなんていうんですか?」


 ふとたずねると、新井さんは湯呑を覗き込みながら答えた。


「緑水(りょくすい)です。新井緑水といいます」


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