第4話 コーラを知らないんですか?


「へえー。緑水さん。かっこいいお名前ですね。なんだかお坊さんの名前みたい」

「いえいえ、とんでもない。仏の説いた教えには興味がありますが……」


 ずずず、と二人でお茶をすする。大家さんがくれた狭山茶、コクと甘みがあってすっきりとしていて美味しい……。緑水さんの淹れ方がお上手なのか、より美味しく感じる。


「あのう、こちらもいただいても?」


 待ちきれず、囲炉裏に並ぶいも串を指さすと、緑水さんは笑いながらうなずき、一串とって手渡してくれた。


「いただきます!」

「熱いですからお気をつけて。よろしければ小皿も使ってください」

「ふーふー。はふっ!」


――うはっ?


 炭火で炙られたじゃがいもの皮に歯が当たるとプチッと弾ける感覚が心地よく、舌にまとわりつく味噌だれから、香ばしさや甘じょっぱさがダイレクトに伝わる。そしておいもは柔らかくてホクホク。素材の味が生きている。


「すっっっっごく美味しいです!」

「それは良かった」


 緑水さんは満面の笑みを浮かべた。


「この味噌だれってどうやって作ったんですか?」

「炒ったごまをすり鉢で擦って、味噌と砂糖を加えて混ぜ合わせたものです」

「めちゃくちゃ美味しいです!」


 アツアツのおいもを食べるのに苦労しつつも懸命に息を吹きかけて冷まし、あっという間に一串食べ終えてしまった。


「もっと食べます?」

「はいっ!」


 緑水さんは私の顔をまじまじと見つめながら言った。


「こんな単純な料理で、ここまで喜んでもらえるとは思いませんでした」

「いえ、単純とか関係ないですよ。とにかくとっても美味しいので。それに……実は私、お料理ってほとんどしなくて……。何も作れないんですよ」

「……え? お料理をされないんですか?」


 緑水さんはすごく驚いている。きっとこうした田舎の町では、大人の女性なのに料理ができないだなんて、あり得ないことなのだろう。ちょっと恥ずかしいとも思ったが、自分を偽ることもできないし、正直に答えることにした。


「はい。本当に全く。実家を出てからはスーパーのお惣菜とか、コンビニ弁当とか、カップラーメンとか食べてたので……」

「それで……どうやってこの山の中で暮らしていくおつもりだったんですか?」

「ああー」


 改めて思い返してみれば、本当に緑水さんの言う通り。一体わたしはどうして、コンビニもスーパーもない山村に移り住んでしまったのだろう。考えなしにも程がある。


「カップラーメンとか缶詰とか、冷凍食品を食べればいいかと……」


 とってつけた案をそのまま言ってみた。するとみるみる、緑水さんの表情が曇っていった。


「それはいけませんね」

「いけませんよねー」


 でもね、今までもとても健康にいいとは思えない食生活を送ってきたから、カップラーメン漬けの生活になってもそう大して変わらないんじゃないかと思うの。元々そこまで食に興味があるたちでもなかったし。


 だけどそんな食生活を送ってきたせいか、ただ茹でたいもを串に刺して味噌だれを塗って焼いたというシンプルな食べ物が、べらぼうに美味しく感じた。一体なんでこんなに美味しいんだろう。


 この土地で採れたじゃがいもだから? じゃがいもを茹でたお水が良かった? 緑水さんの手作りだから? それも作りたてだから? 炭火で炙ったのが良かった? それを良い香りがする古民家で食べているから? しかもその古民家は緑豊かな山の中に建っていて、外の空気も美味しいから? 

 

 きっとそのどれもが、このいも串の美味しさを引き立てているのだ。


「あの……ご迷惑でなければ、これからもこじょはんをお持ちしましょうか?」


 そんな緑水さんのありがたい申し出に、私は目を見開いた。


「えっ? いいんですか?」

「もちろん。どっちみち自分が食べる分は毎日作っていますので、二人分作っても労力は変わりませんし」

「ありがとうございます! お願いします!」


 私は深々と頭を下げた。緑水さんのこじょはんとやら、もっと色々食べてみたい!


「ではそうしましょう。いやあ、実は僕も話し相手ができて嬉しいんですよ。このあたりは過疎化が進んだ上にご高齢の方ばかりになってしまったので」


 なるほどー、だからこんな私に親切にしてくださっているわけか。

 ありがたやー。


「でも、いただいてばかりじゃ申し訳ないですね。えっと……うちにも何かなかったかな」


 ふらふらと台所へ向かい、戸棚や冷蔵庫を開けてみる。でも引っ越してきたばかりでほとんど何もない。

 後ろで様子を見ていた緑水さんが言う。


「中野さん、油揚げとかはありませんか?」

「油揚げ? いえ、ないですぅー」

「そうですか……」


 緑水さん、残念そうだ。油揚げが好きなのだろうか。


「すみません緑水さん。お渡しできそうなものがこれくらいしかなくて……」


 私は段ボール箱からペットボトルのコーラを取り出し、緑水さんに手渡した。仕事の集中力がなくなった時にコーラを飲むと少しやる気が上がるので、コーラだけは箱買いしてあったのだ。


「これ……は?」


 緑水さんは不思議そうな顔をしながらコーラのボトルを手に取り眺めている。


「えっ、まさか、コーラを知らないんですか?」


 びっくりしてたずねると、緑水さんは「いえ、そんな」などとモゴモゴ言いながらコーラの蓋を開き、おそるおそる口に含んだ。


「うぇっぷ」


 緑水さんは口を手で押さえ、目をぎゅっと瞑っている。


「あの……お口に合いませんでした?」


 胸元を叩きながら緑水さんは懸命に答える。


「いえあの……舌がピリリとして……苦くて甘くて……良いものですね」

「本当に『良いもの』でした?」

「自宅で、飲む練習をさせていただきますね」


 そう言って緑水さんは風呂敷の中にコーラのボトルを丁寧に包み込んだ。



 やがて日が傾き始めた頃、緑水さんは立ち上がった。


「そろそろ、おいとまいたします」

「今日はありがとうございました。そういえば……緑水さんってどちらにお住まいなんですか?」

「すぐ隣の家ですよ」

「あ、そうだったんですね」


 隣の家って……確かに石垣で囲まれた土地はあるから元々民家だったんだろうと思っていたけれど、木が伸び放題で森みたいになっていたような。

 あんなとこに人が住んでたんだー。


「では、失礼します」


 ぺこりとおじぎをして、緑水さんは去っていった。

 はー、緑水さんのこじょはん、美味しかったなあ。ホクホクのおいもでお腹はすっかり満たされた。田舎で暮らす心細さもいつの間にかどこかに消え去り、これからこの場所でどんなふうに暮らしていけるのか、楽しみになってきたな。


 ……っていうか今更だけど、こじょはんって、何?


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