第34話 オオサキ狐の言い伝え。
「なにぃ、あかりちん、まだ準備出来てねぇんかい。はあ行くでえ?」
「ごめん大和くん、ちょっと待ってて」
今日は大和くんとベイシアに行くことになっていたのだけれど、私はまだ全然出かける準備ができていない。とりあえずBBクリームを顔に塗りたくり、眉だけは描いておく。
「おいおい今からメイクかい」
「大丈夫、私のメイク五分で終わるから」
五分どころか三分もかからずにメイクを終わらせ、奥の部屋に戻ると急いで着替えを済ませる。Tシャツとジーンズでいいや。トートバッグを肩にかけ、慌てて玄関の外に出る。
蝉が鳴いている。
八月の日差しが私の皮膚をじりじりと焦がす。
「お待たせ」
「着替えとメイクはえーな。逆にビビる」
そう言って大和くんはクックックっと肩を震わせてわざとらしく笑った。
大和くんのガルウィングカスタムのワゴンで、私たちは最寄りのベイシアに向かった。一人でバスに乗って買い出しに街まで出ることもあるが、あまり荷物が持てないから不便だ。
「しっかしどういう風のふきまわしなん? あかりちんから俺に連絡するなんて」
「いやー、車で買い物に出られると便利だし……。最近、あまりにも人と会話してなかったから、誰かと話したくて」
あの日以来、緑水さんはぱたりとうちに来なくなってしまった。
もうどれくらい経っただろう……半月以上は経ってしまった。
勇気を出してお隣のおうちを何度かたずねてみたけれど、やっぱりあのお宅には誰も住んでいないみたい。常に雨戸が閉まっているし、あちこち蜘蛛の巣が張っているし、庭は草ボーボーだ。
「そっかそっか。まあ俺には気軽に声かけてくれよ。休みの日は大抵暇してるから」
「ありがとう……。本当に助かるよ。今日は色々買いこまなくちゃ」
「なに買うつもりなん?」
「えーっと、冷凍の唐揚げとかフライドポテトとか、あとカップラーメン、お酒、炭酸水でしょ。それからトイレットペーパー、洗剤……」
大和くんは怪訝な顔になった。
「わりぃ、聞かなきゃ良かったわ」
「なんで」
「もっとオシャレな服が買いてぇとか、フラペチーノ飲みてぇとか、そういうのはねぇんかい。高崎の駅ビルとかにも行けるんだで?」
「えー、別にいい。ベイシアに行きたいから」
「……はーい了解」
大和くんと話すのは気楽だ。
最近は仕事の関係で電話をかける時くらいしか人と話していなかった気がする。
前は頻繁に来てくれた大家さんも、旦那さんが入院したらしくてめっきり来なくなってしまったし。
「なんかさあ、違ったらわりぃけど、あかりちん嫌なことあった?」
「へ?」
大和くんは眉をひそめながら言った。
「なんでも話せば? 話ぐれぇなら俺にも聞けるけど」
「……いやあ」
「どうした? 失恋? 恋バナでも相談にのるでぇ」
でも話すと言ったって、狐の妖怪の話なんて、きっと信じてもらえないし。
「なんにも……な」
ボタボタと涙がこぼれ落ちる。
「うわっ、めっちゃ泣いてる。ちっと待ってくれ、一旦どっかで休むんべぇ」
大和くんはしばらく車を走らせ、下久保ダムの駐車場に車を止めた。
「ダム、見る?」
「あとで……」
「それで、なにがあった?」
「や、大和くんは……。妖怪、見たことある?」
「妖怪ぃ!?」
大和くんは素っ頓狂な声をあげた。
「いやあ、さすがに……。ああでも、子供の頃に心霊現象みてぇなやつなら」
「そっか」
なんとなく、あの土地に住んでいる大和くんになら、妖狐の話でも冷静に聞いてくれるような気がした。
それになにか緑水さんについて、手がかりが得られるかもしれないし。
「じゃあ、信じてくれなくていいから話をきいてもらえる?」
「おう、話してみないね」
そこで私は大和くんに、簡単に緑水さんとのことを話した。毎日のようにおやつを作りに来てくれたこと、変化が解けて狐の姿になるのを見たこと、まるで本物の人間みたいだったこと、私が一方的に好きになってしまい想いを告げたこと、そしてもう来なくなってしまったこと。
「う~ん、狐なあ」
大和くんは腕組みをして、顔を曇らせる。
「このへんで狐の妖怪っつったら、オオサキ狐の言い伝えぐれぇしか聞かねえな」
「……オオサキ?」
たずねると、大和くんはうなずいた。
「ああ。オオサキっつうんは、人に憑りついて悪さをする狐の妖怪なんさ。人を病気にさしたり、気を狂わしたりしてさ。あとオオサキを持っている家系をオオサキ持ちっつうんだけど、その家系と結婚すると自分の家系もオオサキ持ちになっちまうから、結婚しねぇほうがいいとか……。昔の言い伝えらしくて、ばあちゃんから聞いたことあるな」
「そんな言い伝えが……」
結婚しないほうがいい、という部分がなんとなく引っかかる。
「あと、オオサキは人に害をあたえるだけじゃねぇらしい。富をもらたす場合もあるんだと」
「富を……」
食料を与えてくれるというのも、富をもたらすに含まれる気がしなくもない。
「段々思い出してきたなあ。オオサキ持ちは基本、社会とは関わりを持たずに暮らしてるんだと。あかりちんの言ってる人、オオサキ持ちなんじゃねぇか?」
「えっ……」
「だったらもう関わらねぇほうがいいで。オオサキに憑かれたらあかりちん病気になるぞ」
「そう……なのかな」
「ぜってえそうだんべ。あかりちん良かったな。そんなもんともし結婚してたら、大変なことになってたで」
「うーん」
人に害をもたらす悪い狐、というのが緑水さんのイメージと違っているから、なんだか納得はできない。
でも人との関わりを避けて暮らしているとか、富をもたらすとか、結婚しないほうがいいとか。なんだか緑水さんに当てはまる部分もある。
「まーとりあえず忘れな。もう来なくなったんならそれでいいじゃねえか。そもそもどうして妖怪と知ってて普通に毎日会ったりしたん? おっかなくなかったんかいな」
「うーん、全然怖くないし、むしろいい人だったから」
「そうやって油断さして、憑りつくつもりだったかもしんねぇべ」
「そんなことは……」
もし憑りつくつもりならいつでもできたんじゃないかと思うんだけどな。
それどころか、向こうから去って行ってしまったのだから。
なんだかまた、気分が落ち込んできた。
「どうしたん、黙り込んで。気晴らしにダムでも見てから買い物に行くんべ」
「うん……」
複雑な気持ちのまま、私はダムを見るために車を降りた。
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