第35話 大家さんの命の恩人。

 放心状態のまま、日々を過ごしている。


 オオサキ狐についてはネットで調べてみた。大和くんの言っていた内容が、大体のオオサキのあらましのようだった。


「悪い狐の妖怪……」


 日に日に気力が吸い取られるようになにもやる気がなくなっていくのだけれど、これはオオサキに憑かれたせいなのだろうか。

 やる気は出ないが仕事はあるので、今日もせっせと動画の編集作業を進める。

 すると、玄関を開く音がした。


「あかりちゃん。いないんかいー?」


 大家さんの声だ。


「あ、こんにちはー!」


 データを保存し、玄関へ急ぐ。

 久々に見る大家さんの姿が相変わらずお元気そうなことに安心する。


「すっかりご無沙汰して悪かったんね。これ、おみやげ」


 そう言って大家さんはお菓子の入った紙袋を手渡してくれた。瓦せんべいって書いてあるけどなんだろう。


「おじいさん入院されてたんですよね? もう大丈夫なんですか?」

「いいや、もうしばらくは入院だいね。とりあえず手術が終わって落ち着いたんで、一旦あたしだけこっちに戻ってきたんさ」

「そうだったんですね。あの、お茶していきます? 麦茶くらいしかないですけど」

「いいんかい? じゃあちっとだけ、あがらしてもらうか。よっこらしょっと」


 大家さんはゆっくりと板の間にあがった。



 バリバリ。

 硬い瓦せんべいをかじりながら、大家さんと麦茶を飲む。


「このおせんべい、甘いけど山椒とごまの風味が効いていて独特ですね」

「癖になる味だんべ? この歯ごたえもたまらねぇやいね。じいさんの入院している病院がある藤岡市の名物なんで、買ってみたんさ」

「へぇ……。なんで瓦のおせんべいなんでしょうね?」

「藤岡は昔から瓦の産地なんだいね。いぶし色で光沢があるんが特徴の瓦なんさ。鬼瓦っつう、鬼の顔の形をした魔除けの瓦が有名なんだで」

「そうだったんですね」


 バリバリ。


「でもおじいさん、藤岡の病院に入院してるんですね。少し遠くないですか?」

「まあそれでも、総合病院の中じゃあ近いほうだからなぁ」


 それからひとしきりおじいさんの容体についての話を聞いた後、大家さんは言った。


「どうだったん、ここ最近は」

「ええ……」


 私は思いきって大家さんにも話してみることにした。

 緑水さんが本当にオオサキなのかどうか気になるし、前に大家さん、化けたもんがどうのこうのって、言ってたし。なにか知っているかもしれない。


「実はこんなことがあったんです」


 私は大家さんに緑水さんとのことやオオサキ狐の言い伝えのことをお話した。


「なるほどなあ。まあでも、それはオオサキではねぇかもしんねぇな」

「オオサキじゃ、ないですか?」

「確かにここいらで狐の妖怪っつうとオオサキが有名なんだけんども、オオサキっつうんは、もっと小せぇ狐なんだいね。イタチとかオコジョに似たような格好でさ、それが人に憑りついて、病気とかにさせるんだいね」

「緑水さんは、大きな狐でした。全然イタチみたいじゃなかったです」

「んー、狐にも色々あるからなぁ。神様の使いっつう場合もあるだんべぇし」


 そっか、緑水さん、オオサキじゃなかったのかも。ちょっと気持ちが軽くなる。

 大家さんに話を聞いてみてよかった。

 ずず、とお茶をすすってから、また大家さんが口を開く。


「実はな、正体は未だにわからねぇんだけんども、あたしも子供の頃に化け狐に会ったことがあるんだいな」

「本当ですか!?」


 思わず身を乗り出してたずねる。


「ああ、子供の頃は山ん中で遊んでてな、そういう時、よく大きな白い狐を目にした。まあなんとなく、一緒に遊んでいたんかなぁ」

「ほぉ」

「それで前に、子供の頃に大けがをしたって話をしたんべぇ?」

「はい」


 前に大家さんのお宅でお茶をしたとき、その話をうかがったのはよく覚えている。


「そん時なあ、あたしは崖から足を滑らせて落ちちまって、もう自力じゃあ動けねぇようになっちまってなあ。こりゃあもう死ぬんだなと覚悟を決めていたら、いつもの白い狐が通りすがってな。そいでその狐が男の人の姿に変化して、あたしを民家のある所まで運んでくれたんさ」

「じゃあ、その狐さんのおかげで助かったんですね」

「そういうことだいね。ただ、見かけた人が『不審者だ』って騒いだもんで、男の人はすぐに逃げちまってさ。そりゃあ美しい顔立ちの人だったもんで、あたしはそれからしばらくの間はその人のことが忘れられなくてなぁ」


 その狐さん、なんだか緑水さんのイメージと重なる。


「どんなお顔でした?」

「はあ忘れちまったいねえ。六十年以上も昔のことだかんねぇ」

「そんなに昔のことじゃ、覚えてないですよね……」

「でもなあ、それがあったんで、あたしは娘のころは、ずっとその人を探し回っていたんだいな。山に行ってはあの時の狐さんはいねぇかな、あの男の人はいねぇかなって。だけんども、それ以来見たことはねぇな。それであたしは三十近くにもなって、ようやくじいさんと結婚したんさね」

「そうだったんですね」


 そんなに長い間探しても見つからなかったのか、と私は肩を落とした。

 もしも大家さんの言う化け狐が緑水さんだった場合、もう会わないと決めたら決して姿は現さないのかもしれない。


――もう二度と、会えないのかな。


「大家さん、本当はその人と結婚したかったですか?」

「いやあ、まあ結婚と言うよりは、娘の頃の憧れというか。せめてもう一度お会い出来たらっつう気持ちでなあ。だけんども結局じいさんに出会えて結婚できて良かったで。あんなでも、なんだかんだいい人で世話になったから。じいさんのおかげで狐の夢から覚めたっつうんかな」

「なるほど、夢から覚めたですか……」


 はあ、とため息を漏らす。

 だめだ、もう緑水さんには会えないような気がする。


「まあ、あんまがっかりしねぇほうがいいで。どっちみち、妖怪と結婚はできなかったんべ? な?」


 私を慰めるように、大家さんはポンポン、と軽く背中を叩いた。


「そう、ですよね」


 そういう経験があったから大家さん、化けたもんとは結婚できないでって私に忠告してくれてたんだ。

 それでもまだ、全然諦められそうにはないけれど。


「だけんども、あかりちゃんの会ってた人がもしあの狐さんだったんなら、あたしもお会いして一言お礼が言えたら良かったかなあ……。なんてな、ハハハ」

「命の恩人ですもんね」

「そうだいねぇ。まあ同じ狐かはわかんねぇけんども」


 はあ、とまた深いため息をついた。緑水さんにもう一度会いたい。その気持ちは増していくばかりだ。



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