第19話 月に一度くらいは出社します。
久々の、東京。
会社で領収証の清算などを済ませた私は、オフィスビルを出て伸びをした。
「んーっ。なんか疲れたなあ」
まずここまでの移動で既に疲れてしまった。神流町の古民家から新宿まで、約三時間半。徒歩で歩き、バスに乗り、また徒歩で歩き、電車を乗り継ぎ……。通勤というよりも旅行だ。
とても日帰りでは無理なので、今夜は都内のホテルに泊まることにしている。
そしてせっかくだから、今夜は友人と飲みに行く約束もしてある。こじゃれたバルで女子会なんて久しぶり。楽しみだなあ。
待ち合わせ場所につくと、ちょうど友人も向かい側から歩いてくるのが見えた。
「麻衣ー!」
テンションが上がって思わず叫ぶと、麻衣もこちらに気づき、駆け寄ってきた。
麻衣は大企業の本社で働いている。髪もクルックルに巻いてあるし、メイクもばっちり。細身な身体にタイトなワンピースが似合っている。
一見お嬢様風なのだけれど、明るくてサバサバして表裏のない気持ちのいい性格なので、気兼ねなくつきあえる。
「朱里! 久しぶり! どう? 古民家で丁寧な暮らししてる?」
「全然。カップ麺とかレトルトカレー食べてる。でも大家さんに野菜もらったり……色々あるから、前よりは健康な生活になったかなあ」
なんとなく、緑水さんのことは言わずにおいた。
「それは良かった。でもー、めっちゃびっくりした! 急に古民家とか、はあ!? と思って。朱里大丈夫? って結構心配してた。スローライフにでも目覚めたの?」
「いや、ただ広々したところで暮らしたかっただけ」
「もーほんとすごいよね! 行動力が半端ないから!」
「いや、そっちは相変わらず放出してるエネルギー量が半端ないけど……」
「うける!」
バシバシッと麻衣は私の肩を叩き、さっそくいこいこ~と歩き出す。
こうして彼女といるだけで自分まで元気になってしまう。一体どうしたらこんなに元気な人間になれるんだろう。にんにく卵黄のサプリでも飲めばいいのだろうか。
麻衣が予約してくれていたオシャレなイタリアンバルにさっそく向かう。
「私はサングリアで。朱里は?」
「じゃあ私も」
「あとは海老のアヒージョと、生ハムとルッコラのピザと……朱里は?」
「んー、なんかサーモンが食べたい」
「じゃあサーモンのカルパッチョ! とりあえず以上で!」
二人で飲むときは大体、麻衣がこうしてテキパキと注文してくれる。私は人と一緒のときに自分の意見を出すのは苦手だから、こうして仕切ってくれる存在はありがたい。
運ばれてきたサングリアに口をつけると、さっそく麻衣は話を切り出す。
「しっかしさー。朱里が一人で田舎暮らしとか、大丈夫なん!? マジで!」
「いやー、あんま深く考えずに引っ越したけど、よく考えたら色々大変だった」
山里に一人で暮らす寂しさとか、近所にお店がないこととか、交通の便が悪いところだとか。
「だけどさ、色々あったから、やっぱ離れたかった? 東京」
「別にそんなことは。テレワークばっかりだから広々したところで作業がしたいなーと思っただけだよ。家賃も浮くしね。それに……慣れてくれば結構悪くないよ、田舎暮らし」
「お待たせいたしました、サーモンのカルパッチョと生ハムとルッコラのピザでございます。アヒージョはもう少々お待ちください」
料理がテーブルに並べられていくのを見つめながら、麻衣はホッとしたように笑みを浮かべる。
「それなら良かった。えー、もしかしていい男でもいる?」
「どうかな……。だけど結構いい人たちに囲まれて、まあそのおかげでわりと毎日楽しいかなあ~、みたいな」
「えー、いいじゃんいいじゃん!」
麻衣はパクッとサーモンのカルパッチョを食べた。
あっ、私も早く食べないとサーモンのカルパッチョなくなっちゃう!
慌ててフォークをカルパッチョの皿に伸ばす。
「だけどさー。えー。実はー」
なにか言いたげな表情の麻衣。
「え? なにかあった? 言って言って」
「んー、まあ言うか迷ったけど、朱里幸せそうだし、言っても平気かな」
「うん。え、なに? まさか麻衣、彼氏でも出来た?」
「いや違う……それなら全然言うでしょ普通に」
「で?」
カルパッチョをもぐもぐしながらたずねると、麻衣は言った。
「宮下くん、先月結婚したらしいよ」
「えっ……」
宮下くんというのは、元彼のことだ。
結婚まで考えて同棲して、だけどうまくいかなくて別れた元彼。
「なんかー、一回り年上の女の人らしいよ? バリバリのキャリアウーマンだってえ」
麻衣はどこか気に食わなげに、生ハムとルッコラのピザを雑に引っ張る。ちゃんと切れ目が入っていなかったのか、ピザは不恰好に千切れた。
「あーでも、そういう人の方があいつに合ってると思う。いいんじゃない?」
そう言うと、麻衣は「言えてる」とうなずいた。
「あんな結婚直前で怖気づいてノイローゼになったあげく逃げるようなヤツ……」
そう言い始めた麻衣を私は「まあまあ」と静止したが、まだ麻衣は腹の虫が収まらないようで、むしゃむしゃとルッコラを噛みながら続けた。
「だって式場の予約までしてたんでしょ? 私は宮下が朱里を傷つけたこと、絶対許してやんなーい」
「ありがとう……。でも私にも原因あるし、あっちは仕事で悩んでた時期も重なってて相当落ち込んだと思うから。結局仕事も辞めたみたいだし」
「だけどすぐに次の相手見つけて結婚だからね。結婚できるなら朱里としとけよ! それに仕事なら、朱里もあん時辞めたじゃん」
ガブガブ、と麻衣がサングリアを飲み干す。
この親友は私の分まで怒りを受け止めてくれているんだ。
私の心は既に失われてしまっているのか、自分が何を感じているのかさえもわからない。
「あはは……」
私はただ、ぎこちなく笑うことしかできなかった。
翌日。群馬に向かう電車の中で、どこか気持ちが楽になっていくのを感じた。
私は麻衣の言う通り、東京から離れたかったのかもしれない。
辛い記憶から、距離を置くために。
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