第32話 夕飯、なすの油味噌。
じり焼きを食べ終え、私たちは居間でごろりと横になる。
こうも暑くなってくると、もう縁側へ出る気にもならない。
「緑水さん、さっきはすみません。てっきり熱中症かと思って」
「いえいえ、もしかしたら熱中症になりかけていた可能性もありましたよ。おかげですぐに良くなったのかもしれません」
あの後身体を硬直させて動かなくなった緑水さんに、私はしばらくの間氷のうを当て続けた。すると緑水さんが今度は寒い寒いとガタガタ震え始めたので、彼の身体を冷やすのをやめたのだった。
「本当にすみません。あの後しばらくの間、緑水さん唇が紫色でしたもんね」
「もうすっかり戻りましたよ。それに塩と砂糖とレモン汁の入った飲み物まで作っていただいて。あの飲み物を飲んでから、調子が良くなった気がするんですよ」
「そうだったんですね。じゃあ本当に熱中症だったのかなあ」
「きっとそうですよ。この頃の夏の暑さは異常ですから」
「昔は違いました?」
たずねると、緑水さんはうなずいた。
「ええ、夏場でも、このあたりではクーラーなど必要ありませんでしたよ。窓を開けて風の通りを良くしておけば、それで涼しかったんですから」
「そうだったんですね」
緑水さん、どれくらい昔からのこの土地の夏を知っているんだろう。と疑問に思ったけれど、聞かずにおいた。
だけど緑水さんの体調、本当に大丈夫かなあ。少し心配だ。
「あのう、もし良ければ今日はゆっくりしていってください。うどんくらいならあるので夕ご飯を食べていってもらってもいいですし、なんなら部屋もお布団も余分にありますので、泊まっていっていただいても」
「それは……ですが……」
なにかを考えながら私をじっと見る緑水さんの顔をみていたら、自分の発言にはまずい部分があったような気がしてきた。
「あ、いえ。なんというか私は緑水さんのこと、信頼してますので……。だから問題ないっていうか……」
そんな言葉を口にしたらどんどん恥ずかしくなってきて、耳まで赤くなってきた。
「そうですね……」
少し考えてから、緑水さんは言った。
「では、夕食後に帰るようにしてもよろしいでしょうか。しばらくこちらで涼んでいきたいですし……。たまには夕ご飯をご一緒するのもいいのではないかと」
「ほんとですか!?」
思わず顔がパアッと明るくなる。
「ええ。ちなみにお野菜って何があります?」
「この前大家さんにいただいたなすが沢山ありますよ」
「それなら、なすの油味噌がいいかもしれませんねぇ……。後で冷蔵庫を拝見しますね」
「ええ、ご自由に」
「ではしばらく休ませてもらいますね」
緑水さんはごろりと横になり、目を閉じた。
じゃ、こっちも今のうちにお仕事を進めておきますか。
私は作業机に戻り、動画編集ソフトを立ち上げて続きの作業を始める。
りょ、緑水さんと初めて一緒に夕ご飯を食べられる!
うれしくてにやけている私の顔が、パソコンの画面に反射して見えた。
はあ、最高だ。
目の前に、緑水さんが作ってくれた夕食が並んでいる。
なすの油味噌、豆腐の田楽、煮っころがし。そしてお味噌汁と、炊き立てのご飯。
「いただきまーす」
さっそく、なすの油味噌からいただく。適当な大きさに切ったなすを油で炒めてから味噌と砂糖で味付けしただけのシンプルなおかずなのだけれど、油を吸ったなすはとろけるような食感で、味噌と砂糖のあまじょっぱい味付けもたまらない。
「ご飯がすすむ味ですね」
「どうぞ、たくさん食べてください」
いただきます、と手を合わせ、緑水さんも食べ始めた。
「この豆腐の田楽も囲炉裏で炭火焼してくださったんですよね。暑くなかったですか?」
「いえ、夜になって外の気温も下がってきましたので、換気していればそれほどは。それに囲炉裏の煙で虫よけもできますしね」
「なるほど、そうだったんですね……」
確かに夜になれば、クーラーをつけなくてもこうして換気しているだけで涼しい風が室内に流れてくるのが心地よい。
煮っころがしは醤油と砂糖で味付けされたじゃがいもの煮物。ほくほくで、味がよくしみている。
しかしこうして誰かと夕ご飯食べるのって、やっぱり幸せだなあ。
しみじみとそんなことを思いながら、お味噌汁をすする。
「やっぱり一人でご飯を食べるより、誰かと食べたほうが美味しいですね」
ふとそう言うと、緑水さんもうなずいた。
「ほんとですね。こういう和やかな時間が過ごせると、お料理して良かったなって思えるものです」
「緑水さん、普段一人で食事をするときもこのくらいおかずを作っているんですか?」
「いえいえ全然。中野さんが食べてくださるから作っているようなものです」
「そうなんですね」
なんだかちょっと嬉しい。
「私ね、元々一人で過ごすのって嫌いじゃないんですよ」
「奇遇ですね中野さん。私もです」
「こちらに移り住んでくるまでの二年間は、ほとんど人と会わずにひきこもって生活してましたから」
「そうだったんですね。なるほど、私たちはひきこもり同士だったわけですか」
やけに納得したように緑水さんがうなずく。
「でも、緑水さんとこうして一緒にご飯を食べている時間は、大好きなんです」
「ええ……。私も」
「なんででしょうね? 一人でいるのが好きなはずなのに」
「それは……。やっぱりいくら一人でいるのが好きとは言っても、ずっと孤独に暮らすのは辛いからじゃないですかね」
そこまで言うと、緑水さんはお椀を持って立ち上がった。
「お味噌汁、おかわりがあるんですよ。中野さんもいかがですか?」
「あっ、じゃあいただきます」
「お注ぎしますよ。お椀をこちらへ」
微笑みながら、緑水さんは私に手を差し伸べた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます