第25話 こじょはん、そばがき。
午後二時過ぎ。
緑水さんがやって来た。
「こんにちは中野さん。こじょはんにしましょう」
「お待ちしてました!」
私はパソコンに向かい、作業内容を一旦保存してから立ち上がる。
緑水さんとのこじょはんのため、今日は午前中のうちに集中して仕事を進めておいた。おかげで予定より作業の進行状況は良い。
「今日のおひつじ座は、新しいことを始めるとよい日だそうです。なにか今まで考えていたけれど実行していなかったようなことに着手するといいかもしれません」
「今まで考えていたけれど実行していなかったこと……」
うーん、なかなか咄嗟には思いつかない。
「今日のこじょはんはなんですか?」
「今日は、そばがきを作ってみようかと」
「そばがき……。名前は聞いたことあるんですけど、食べたことはないなあ」
「では一緒に作ってみませんか? とっても簡単ですから」
緑水さんと台所へ向かう。
「まずやかんでお湯を沸かします」
「はい」
緑水さんはやかんを火にかけると、シンク上の吊戸棚からボウルを、食器棚の引き出しから菜箸を数本としゃもじを取り出した。
もはや緑水さん、うちの台所を私以上に使いこなしている。なにかどこにあるのか把握している様子だ。
「ボウルにそば粉を適量入れます」
「はい」
緑水さんがボウルにそば粉を振り入れる。
私はぼーっとその様子を眺めるだけ。
「待っている間に薬味のねぎを刻んでおきましょう。中野さん、かつおぶしはありますか?」
「あ、あります。出しておきますね」
緑水さんはトントントン、とねぎを刻む。わたしはかつおぶしの袋を持ってくるだけ。
「もうすぐ湯がわきますので、そしたら私がボウルに湯を少量ずつ入れます。中野さんはその菜箸でかき混ぜていただけますか?」
「わ、私が!?」
いきなり責任重大なミッションがおとずれた。
そばがきを……上手にかき混ぜられるだろうか。
「菜箸を数本持って、手早くまんべんなく混ぜてください」
「手早く……まんべんなく……」
できる気がしない。
やがてやかんから白い湯気がもくもくとあがり始めた。
「さあ、ではお湯を入れますよ!」
「はいぃ……」
緑水さんが熱湯をボウルに注ぐ。湯を注いだ瞬間に、そば粉の甘い香りがふわっと鼻先をかすめた。わあ、なんていい香り。
……なんて悠長にしている場合ではない。私は慌てて湯とそば粉を菜箸で混ぜていく。
「ど、どうしよ、緑水さん、全然手早くなんて……」
「大丈夫ですよ、丁寧に全体が混ざるようにすればいいんです」
「ひいいぃ……」
今日のこじょはん、私のせいでまずくなっちゃったらどうしよう。
とにかく一生懸命混ぜていく。菜箸の先に生地が張り付くし、なんだか全体がボソボソしているような。
「もうだめだあぁ……」
「中野さん、ちゃんと混ざってきてるので大丈夫ですよ!」
「いやだああ」
わーわー言いながら懸命にそばがきを混ぜていたら、緑水さんが笑い始めた。
「なんで笑うんです!」
「すみません……。そばがきを混ぜるだけでこんな大騒ぎになるとは思わなくて、なんだかおかしくて」
ぷぷ、と吹きだしながら肩を震わせる緑水さんを私は睨んだ。
すると慌てて緑水さんは言った。
「あっ……。そろそろしゃもじに持ちかえてください。それで、なるべく空気を含ませるように混ぜてみてください」
「また難しいことを言う」
空気を含ませる混ぜ方ってどんなだろう、と思いながら私はそばがきをしゃもじでまとめていく。
「そうそう、そうやってすくい上げるように混ぜればいいんですよ。なんだお上手じゃあないですか」
「本当ですか?」
こうしてなんだか無駄に大騒ぎをしながら、そばがきが完成した。
緑水さんは完成したそばがきを茶碗に盛り、薬味のねぎ、かつおぶしを添えた。
「それではいただいてみましょう」
今日は集中しすぎてお昼抜きだったから、お腹ペコペコだ。
さて、人生初そばがき、実食。
まずはお醤油もかけずにそのままで食べてみる。
――わ、ふわふわして、でもねっとりもちもちしして、美味しい!
「いかがですか? ちゃんとおいしくできていたでしょう?」
「ええ、おいしいです。独特なふわふわ食感ですね。そば粉そのものの素朴な甘みを感じるから、なにもかけなくてもおいしいです!」
「それは良かった」
安心したように、緑水さんは微笑む。
次に、薬味とお醤油をかけていただいてみる。
「あ、こうして食べてみても、アクセントが加わっていいですね。お蕎麦とはまた別の魅力がある食べ物だなあ……」
食感がお蕎麦とは全然違う。そしてお餅ともまた違った優しいもちもち感。
なんだかくせになりそうな食感だ。
そのままで、ねぎで、かつおぶしで。
私は夢中でそばがきを食べ終えた。
「ふぅー、ごちそうさまでした」
「ご満足いただけたみたいですね」
そう言っている緑水さんのお顔の方こそ、随分と満足しているように見えた。
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