第30話 こじょはん、やきもち。
はあ、また朝方まで作業してしまった。
日の出の頃にようやく布団に入って眠り、昼の十二時頃にふと目を覚ました私は、半分眠ったままの頭でよろよろと台所へ向かった。そしてとりあえず、とコーンフレークに牛乳を流し込んだものをむさぼり食べ、空腹が満たされると縁側に横になった。
今日の日差しは丁度いいみたい。ぽかぽかして気持ちいい……。
そして気づけば私はそのまま眠りについていた。
――コンコン、コンコンコン。
縁側のガラス戸を叩く音がして目を覚ます。
「うーん」
瞼をこすりながらゆっくりと起き上る。
ガラス戸の向こうには緑水さんが立っている。
「大丈夫ですか? 中野さん!」
なんだか酷く焦っている様子だ。
「はあい、おはようございます」
間の抜けた声でそう言いながらガラス戸を開けると、緑水さんが珍しく縁側からあがってきた。
そして心配そうに私の顔をのぞき込む。
「あの、大丈夫ですか? さっき白目を剥いて倒れておられましたが……」
「えっ、白目!? 私白目剥いて寝てました!?」
「あ、なんだ。寝てらっしゃっただけだったんですね。なら良かったです」
全然良くない。
白目剥いて寝ているところを緑水さんに見られてしまうなんて!
「逆に起こしてしまってすみません。あ、お水でもお持ちしますよ」
緑水さんはすぐに台所へ向かった。そしてコップ一杯のお水を持ってきてくれた。
「いたれりつくせりで、ありがとうございます」
まだ微妙にろれつのまわらないゆっくりとした口調でそう答え、ごくごく水を飲む。
ああ、少しだけ頭が冴えてきた。
「今日のこじょはん、なんですか?」
たずねると緑水さんは嬉しそうに笑った。
「今日はやきもちを作ろうかと思っているんですよ」
「やきもち……なんか、群馬といったらやきもちが有名ですよね」
以前、道の駅でも見かけたことがある。試しに買ってみたらおいしかったんだよなあ。
「私も作り方覚えたいので一緒につくります!」
そう言ってガバっと立ち上がる。
「ではつくりましょうか……。ですがその前に、よだれを拭かれたほうがいいかもしれません」
「えっ」
私は大慌てでティッシュ箱を探し、雑に二枚ほど取り出すとゴシゴシ口元をこすった。
「やきもちはとても手軽なお料理なんですよ。今日はねぎとしその葉で作りますが、その時々の季節の野菜で作ればいいんです」
「へえ」
「まず、こうしてねぎとしその葉を刻みます」
器用な手つきで緑水さんはねぎを刻んでいく。骨ばった長い指が綺麗だなあ、なんて思いながらじーっと眺める。
「あの……中野さんもやってみますか?」
「あ、はい」
「ではしその葉を刻んでみてください」
「こうですか?」
「いえ、もう少し細かく」
緑水さんが、包丁を持つ私の手にそっと手を添える。
それだけでなんだか照れてしまって、私は慌てて言った。
「あっ、なんとなくわかったので、大丈夫ですっ!」
「そうですか?」
ちょっと不思議そうにしながら緑水さんが手を離す。
私は赤面しながらしそを細かく刻んだ。
「そうしたら、小麦粉に今刻んだしそとねぎ、お味噌と重曹を加えてこねていきます」
「こうですかね」
むにむに。
生地をこねる感触が心地よい。
「そしたら油をひいて、フライパンで焼いたらできあがりです」
「簡単ですね」
これなら私にでも作れそうだ。
できあがったやきもちを食べながらお茶を飲む。
「もう七月かあ……」
カレンダーを見ていてふと気づいた。こっちに越してきたのは四月のことだったから、もうすぐ三ヶ月が経とうとしている。
「そういえばもうじき花火シーズンですけど、この辺でも花火大会とかってあるんですか?」
「ええそうですね、いつも通りならお盆休みの頃に。その頃はこのあたりにもたくさんの方がお盆休みを利用して、お墓参りに戻ってくるんですよ。だから花火大会も結構な人出で」
へえ、このあたりでも花火大会なんてあるんだあ。
「私、緑水さんと花火が見たいです」
「……私とですか?」
どうしてなのかな。
こういう時、彼はどこか寂しげな顔をする。
「あの……夜は良くない、ですか?」
もしかして化け狐だから夜は変化が解けちゃうとかあるのかな!? なんて勝手にヒヤヒヤしてしまう。もし変化が解けちゃうんだったら無理にとは言いませんよ、緑水さん!
「あ、いえいえ。もちろん、大丈夫です。ただ人混みが苦手なものですから」
「ああ、そういうことですね! 別に近くで見なくてもいいんです。このおうちのお庭から、緑水さんと遠くに見える花火を眺めるだけでも」
「いいですね。そうしましょう」
彼はいつも通りの穏やかな笑みを浮かべる。
時たまその笑顔の裏に何かを隠しているような気がして、私は寂しくなる。
もちろん正体が化け狐であることを隠しているんだろうけど、それだけじゃなくて……。
いっそすべて、心の中にあることを打ち明けあえたらいいのに。
だけどいつも、その勇気を出せずにいる。
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