第41話 本当の名前、幸菴狐。
その後私は緑水さんが「新井幸菴(あらい・こうあん)」という名前の人間として生まれ変わったのだと聞かされた。
「なんで緑水さんじゃなくて幸菴さんになってるんですか?」
「実は私、元々緑水という名前ではないんです。緑水というのは中野さんに名前を聞かれた時にとっさに考えた名でして……。元々、幸菴狐(こうあんぎつね)というのが私の名です」
「幸菴狐……。そうだったんですね」
私は幸菴狐について調べてみた。
幸菴狐は群馬に伝わる妖狐で、白髪頭の翁の姿に化け、人々に仏法を説いたり吉凶を占って回っていたらしい。だが熱い風呂に入ってびっくりときに変化が解けて狐の姿になってしまったために逃げ去ってしまったのだとか。
「なんにも悪いことはしていない妖怪さんなんですね」
「ですがあの頃の自分は、占いや説法をして人から尊敬されたり好かれていることで、得意になっていました。それがお恥ずかしいのです。だからもう今は思い出したくありません」
「それで人と関わらずに生活をするようになったってことですか?」
「ええ。あんな話が言い伝えとして残ってしまうなど恥ですから……。それ以来人目を避けながら山奥でひっそりと暮らしておりました」
どうやら幸菴さんの中では黒歴史みたいだ。でも確かに「あの人偉そうに説法なんか解いてたのに、変化が解けて化け狐だってバレちゃったから逃げ去ったんだってぇ」なんて間抜けな言い伝えを残されたら、本人からすると結構嫌だったんだろうな。
なにせその恥から逃げて人々に忘れ去られて、自分自身が消滅してもかまわないと思っていたくらいなのだから。
「それでも、困っている人を見かけると近寄ってしまうことが時たまありました」
「えっと……それって素敵なことじゃないですか? まるで悪いことをしたみたいな顔をして言うことじゃないと思うんですけど」
「そうでしょうか。結局は自分の寂しさを抑えきれなかっただけという気もします」
「でも私はその行動のおかげで救われましたよ」
そう言うと彼は嬉しそうに微笑んだから、私はほっとした。
だけど仏法を説いたり占いをして回っていたなんて、知的な狐の妖怪さんだったんだなあ。……あれ、占いと言えば。
「あの、もしかしていつも私に伝えてくれていた占いって、ラジオの情報じゃなくって自分で占っていたんですか?」
「ええ、そうですよ。私、無駄に長生きをしてきた分、占いの知識は結構ありますので……。ちなみにおひつじ座の運勢をお伝えするフリをしていましたが、実際は中野さん専用の占いだったんです」
「そうだったんですね! あの占い、いつもよく当たってたんですよー」
うーん、その占いの才能、眠らせておくのは惜しいような。
「緑……じゃなかった、幸菴さん。オンラインで占い師のお仕事をされたらどうですか?」
「えっと、オンラインというのは……」
それからしばし、私はオンラインで占い師をする方法について説明した。実は以前、そうしたお仕事の宣伝動画を担当したことがあり、少し事情を知っていたのだ。
「なるほど、それだったら私でもできそうです」
「幸菴さんは穏やかな性格なので、悩みがある人のお話をきくのも上手そうですし」
「私でも、困っている方のお役に立てるのでしょうか……。興味が湧いてきました」
きっと幸菴さんなら人気の占い師になるに違いない。なにせ占いはよく当たるし、お顔立ちも整っている上、どこかミステリアスなんだもの。
「よかった、人間としても暮らしていけそうな気がしてきました」
ほっとした顔で幸菴さんは言った。
数日後。私たちはあの山奥の廃寺へと向かった。
幸菴さんを生まれ変わらせていただいたお礼が言いたくて、お酒やらおだんごやらを持ってけもの道を歩き、あの「め」のお寺があった場所に辿り着いた。
でもそこには不思議な光景が広がっていた。
お寺があったあたりの地面は地割れしており、本堂はバラバラになって倒壊していた。そしてその瓦礫の中に、観世音菩薩様の木像が埋まっていた。木像には大きなヒビが入っていた。
「きっと自らを犠牲にしてまで、私を生まれ変わらせてくださったのですね」
幸菴さんは木像についた土ぼこりを払って木のベンチの上に置くと、合掌した。私も手を合わせる。ありがとうございます。おかげでまた幸菴さんと一緒に過ごせます。
「菩薩様は持ち帰らせていただこうかな……。木像のヒビも修理して、家の近くに祠をたてて、そこに安置したいと思うんです」
「それがいいと思います。ここは地割れしてて危ないですし、山奥で人目につきにくいですし。もっと近くで私たちのことを見守っていただきましょう」
その後大家さんに相談して、菩薩様の祠は私の住む古民家の庭に設置することに決まった。
「だけんど、幸菴とあかりちゃんがお付き合いをするようになっていたなんてねぇ。まあいずれそうならねぇかな~とは期待してたんだけども、まだ出会って数日だんべぇ?」
「出会ったその日から、好きだったので」
ちょっと照れながらそう答える。
「まあ、うまくいくときはそうやって、うまくいくもんなんだいなあ。大和にはちっと気の毒だけんども」
「大和くんにはきっともっと素敵な彼女ができますから」
私がそう言うと、大家さんは苦笑した。
「そうだといいけんどもなあ」
家に帰り、仕事の作業を進めていると、大和くんから電話がかかってきた。
「よお」
「ひさしぶりー」
「ひさしぶりーじゃねえわ。噂は聞いたで。幸菴さんに一目惚れしてもう付き合ってんだって!?」
「そうなんだよ」
「そうなんだよじゃねーべぇ! 俺の努力はなんだったんだよぉぉぉ!」
大和くんが悲痛な叫び声をあげる。
「いやでも、大和くんのおかげで救われたことが何度もあったよ。本当にありがとう」
「なんだよそれぇ……。まああかりちんが救われてたんなら、いいか……」
そう言って納得してくれるあたり、やっぱり本当に性格がいい。
もったいないなあ。こんなに男気のあるいい人なかなかいないのに。
「大和くんには絶対に、もっと素敵な女性が現れるから」
「どーだか。まあいいや。なんか変なことになってねぇか心配だったけど、その声の調子じゃ元気そうだな」
「また心配してくれてたの?」
「うっせえな! せいぜいお幸せに!」
ブチッと電話が切れる。
口調は荒かったものの、結局は幸せを願ってくれたところに大和くんの温かさを感じる。
「さーて、今度こそ仕事しよっと」
私は編集作業の続きを始めた。
縁側のガラス戸の向こうから、松虫の鳴く声が聞こえる。
なにやら慌ただしかった私の田舎暮らし、そろそろ落ち着いてくれるだろうか。
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