第34話

 彼は翌日早くから起きて執務を終えるとリデルを誘って、今では閉鎖されている塔へ向かった。


 ハワードが心配してついてきたが、そうすると侯爵家の仕事がとどこおってしまうので、代わりに番兵を連れてきた。

 あとは下働きの者たちが、鎖と南京錠で厳重に塞がれていた入り口を開いた。

 そして塔が開いている間は番兵を入り口に立たせた。


 ぎぎぎという重い音を立てて扉が開かれる。

「蝶番に油をささなければだめなようだね」

 フリードリヒはいつも変わらない落ち着いた口調で下男に指示を出す。


「さあ、リデル行こうか、足元が悪そうだ」

 そう言って彼は何の躊躇もなく自然にリデルに手を差し出す。


 その手を握りつつも、王都の夜会で彼に触れた瞬間の嫌悪の表情を思い出す。

 もしフリードリヒが過去を思い出してしまったらと思うとやはり怖い。


 リデルが城に行くまで城の中に女性の使用人がいなかったことから、彼が極度な女性嫌いだったのだとわかる。もしくは女性を恐れていた?


 塔の中に一歩足を踏み入れる。ひどくがらんとしていて薄暗い。

 日が当たらないせいか外より寒く感じ、外套を着こんでいるのにリデルはぶるりと震えた。


 中央に階段があり、二階三階へと折れ曲がり上へと続いている。

「どこから調べるおつもりですか」

「上の階からにしようかと思う」

「それはまたどうしてですか?」

 彼は何か見当をつけているのだろうか。


「この塔の見取り図をみつけたんだ。最上階は物見やぐらとして使っていたのかと思っていたのだが、どうも人を幽閉するために使われていたようなんだ」

「え?」

「それが、私なのではないかと思っている」

 薄暗い塔の中でランプを片手に持つ彼が真剣な表情で言う。


「そんな、まさか。旦那様は跡取りとして大切に育てられたのではないですか?」

「君は以前の私を見て本当にそう思ったのか?」


 答えに窮してしまった。確かに愛情をたっぷり注いで育てられたというよりも厳格に育てられたように感じる。

 笑うことはなく、常に隙のない人だった。


「それから同僚に聞いた話だが、野営のおり、私はあまりテントを好んでいなかったようだ」

「え?」

「たいてい焚火のあるところや、明かりのある所で寝ていたそうだよ」

「暗闇が怖かったのでしょうか?」

 その言葉に彼がうなずく。


「ここに帰ってきた日に使用人にも聞かれた。寝るときに部屋の明かりを落としても大丈夫なのかと」

 いやな予感がする。


「ご自分がこの塔に幽閉されていたとお考えなのですね」

「ああ、そう思っている。君をこんなことにつき合わせて悪いと思っている。だが、情けないことに一人で確かめるのは怖くてね。君がいれば、安心できるんだ」

 フリードリヒがぎゅっとリデルの手を握る。


「アンドレア様ではなくて?」

「彼も信頼がおけるが、これから先私とずっと生きていくのは君だ。だから、君とともに確かめたい。あの結婚の契約書はひどいものだったが、遺言書を見たときに確信したんだ。私は君を信頼していたと、いやむしろ心の底では慕っていたのかもしれない」


 とてもそんなふうにはみえなかったが、遺言書を見る限りでは十分すぎる財産を残してくれている。蔑ろにされていたようには思えない。何らかの事情があり、リデルがというより女性全般が苦手だったのだろう。


 リデルは手を引かれるようにゆっくりと塔の上まで登っていった。さすがに最上階まで来ると息が切れる。


 階段の先には開け放たれたドアがあり、明かりとりの窓から穏やかに光がさし、きらきらと舞い散るほこりを照らしていた。思ったより、穏やかな様子にほうと息をつく。


「リデル、あれを見ろ」

 フリードリヒの緊張した声に振り返ると、向かい側のドアが破壊されていた。


 そして、その奥は暗闇に閉ざされていて何も見えない。あれが、フリードリヒが幽閉されていた部屋なのだろうか。リデルは後退りした。

「行くよ」

 そう言ってフリードリヒは反対側に向かって足を踏み出す。

 いつの間にか彼は早足になり、二人の手は離れいていた。リデルは慌てて彼の外套をつかみついていく。けっして彼を一人にしてはいけない、そう思った。


 何者かによって斧のようなもので破壊されたドアの前に立つ。部屋の中は暗く、饐えたような嫌なにおいがした。部屋に日が差さず何も見えないが、かなり劣悪な環境だ。


「旦那様、もうやめませんか?」

 リデルは震える声でつぶやいた。


「リデルはここで待っていてくれ」

 戸口の外にリデルをたたせ、フリードリヒは一人で入っていく。そして部屋の中を確認した。

 一度出てくると彼は、斧を手にして再び部屋に入ろうとする。

「旦那様、どうなさったのです?」

「窓に板が打ち付けてあった」

「え?」

 もう嫌な予感しかしない。糞尿の匂いに、微かだが血の匂いが混ざっている。

 ガツンと斧を打ち付ける音が数度聞こえた後、部屋に外のまぶしい明かりがさした。


 目がくらんだのは一瞬で、机も粗末なベッドも無残に破壊され、荒れ果てた部屋が現れた。


 そして、次に見えたのは壁に刻まれたいびつな文字。


 ――助けて――


 リデルは息を飲んだ。

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