第12話
金銭の問題は行き違いがないように対面で話した方がよいと思うのだが、向こうが会いたくないのであれば仕方ない。少し待つことにした。
そしてリデルがいい加減しびれを切らしたころ、フリードリヒが本邸からやってきた。
彼は極力リデルとは顔を合わせたくないと言っていたので、直接やってくるとは思わなかった。慌てて彼が待っているというサロンへ向かう。
「旦那様、この度は別邸まで足をお運びいただき……」
「いや、挨拶はいい。座って」
「はい」
リデルは緊張しながら、フリードリヒの向かい側の席に着いた。彼とは適度な距離を保たねばならない。それはほんの少し人より遠い。
いつも付き添うドロシーがいなくて、なぜかハワードが紅茶をそそぐ。
「この手紙の内容はでたらめだ。私はきちんと約束を果たしている」
少なからずこの言葉には驚いた。
「それはあの膨大な借金をもう返し終えているということですか?」
「確認してくれ」
彼は支払いの証拠となる書類を広げる。リデルは恐る恐るそれに手を伸ばした。
侯爵はとんでもない金額をすべて支払ってくれていた。伯父家族の散財はすさまじいもので、なぜ弟であった父が爵位を継いだのかがわかった気がする。
伯父は昔からドリモア家に借金があったような口ぶりだったが、父母はつつましやかな生活をしていたので彼らが散財したとしか思えない。
「約束なのだから、当然だ。君と結婚の証書を交わしたあの日に返済は終わっている。今ある借金はあの男の妻と娘が新たに贅沢なドレスや宝飾品をかったものだ」
「え! また借金をしているのですか。とんだ誤解をしてしまい。申し訳ございません」
リデルは愕然とし、恥ずかしくなって彼に頭を下げた。
「いや、君は真偽を確かめたかったのだろう。無理もない。私たちの間に信頼関係はないのだから」
相変わらず表情は硬く、冷たい口調だが、伯父夫妻より彼の方がずっと信用できることが分かった。
約束はきっちり守るし、夫である自分を信用しないのかと詰ることもない。
「お恥ずかしいです。こんなことで旦那様に会わせてほしいだなんて、申し訳ありませんでした。日ごろから、こんなに良くしていただいているのに」
すると彼が不思議そうに小首をかしげる。
「よくしている? 何がだ?」
「え、それは素晴らしいお屋敷に、素敵な温泉に、よく気が付いてやさしい使用人たちがいて、旦那様のおかげでとても快適な生活を送っております」
そのうえ、フリードリヒは手がかからないし、リデル自身も心の通わない彼と子をもうけようとも思わない。
人によっては馬鹿にされたと頭にくるかもしれないが、割り切ってしまえば、かえってありがたい条件だ。そこに愛はないのだから。
少なくともリデルの両親はお互いを思いやり大切にしていた。そんな姿を見て育ったせいか、今では養子で十分だと思う。
しかし、そのリデルの言葉に夫は小さく目を見開いた。彼にも威圧以外の表情ができるのだと初めて知った。
「いや、おかしな条件を付けたうえ、この不便な領地にきてもらうのだから、当然のことだろう。それでも足りないと思っている」
今度はリデルが驚く番だった。彼は別にリデルを嫌っているわけではないようだ。ただ人が苦手なだけなのだろうか?
しかし、そんな人が軍隊での生活を送れるとは思えない。それとも軍隊とは特殊なところなのだろうか。リデルの考えは再び堂々巡りする。
「いえ、そんなとんでもないです」
慌てて首を振り、彼の言葉を否定した。なんといっても温泉が気に入っいる。あれがある限りこの地から離れたいとは思わない。もうバスタブや、体をふくだけの生活に戻りたくない自分がいる。
「それから、君はうちの人間になった。だから、帰るあてのない実家など気にする必要はない。だが、縁あって君と一緒になったのだから、一つだけ忠告しておく。早くあの家の長男を外国から呼び戻すんだ。そうしなければあの親子に身代をつぶされ、彼の帰るべき家がなくなる」
リデルはぎょっとした。
「……そ、それは、どういう?」
「それほど、君の伯父夫妻がだらしないということだ。だが、長男はまともそうだ」
ただただ、恥ずかしい。
「おっしゃる通りです。ありがとうございます。取り急ぎ従兄に連絡します」
「わかった。手紙は届けさせよう。それから、契約と金の話に関しては行き違いがあってはいけないと思い今日はこちらに来たが、今後こういうことはないと思ってくれ」
「はい、肝に銘じておきます。ご足労いただきありがとうございました」
リデルは深く頭を下げた。
人嫌いなのは全くぶれていないが、彼なりに妻を丁重に扱おうとしてくれていることは伝わってくる。
リデルはそのあとすぐに大慌てで従兄に帰国を促す手紙を書いた。
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