第11話
領地についてから二週間が過ぎた。勉強は順調で、この地の特産品も教わった。王都を発って以来フリードリヒとは顔を合わせていないが、取り立てて不安はなかった。
上質なドレスを贈ってもらい着るものにも不自由することがない。何といっても食べ物も自分で用意する必要はないし、望めば毎日広々とした温泉で湯あみが出来るし、簡単に済ませたければ部屋にも湯殿もある。
ドロシーは小さいと言っていたが、バスタブに比べれば、ずっと広く、足を延ばしてリラックスできる。
この素晴らしい環境は今までとは雲泥の差だ。早くもここが気に入った。使用人たちはみな感じがよいし、話し相手にもなってくれる。それとも長く続けば、夫に愛されない孤独と寂しさにたえられなくなるのだろうか。
(いや、多分それはない……)
夫は端正な面立ちではあるが、顔に刀傷があり威圧感があり、怖いので出来れば会いたくない……かも?
しかし、この待遇の良さ、感謝の気持ちぐらい筆談ではなく、直接あってつたえたい。
◇
勉強の合間に茶を飲み、ふと窓の外に目を向けるといつも空に向かってそそり立つ塔が目に入る。立派なものであるが、打ち捨てられたように人の気配がない。
「ドロシー、あの塔は使われていないのですか」
「はい、この領地まで敵が襲ってくることもないので、以前は旦那様はお使いになられていたようですが、いまは閉鎖されていると聞いています」
「そうなの……」
リデルの生家の屋敷は、城と呼べるものではなく。ただの大きな家だ。だから城門もなく、塔もない。だから、少なからず好奇心がわいていた。
しかし、住む場所を決められている以上勝手に出歩くわけにはいかない。それにこの別邸はリデル一人で住むには広すぎし、庭までついている。これ以上の贅沢はない。
「いつか中を見てみたいわね」
「何年も整備されていないから、危険なのだそうですよ」
「そう、残念ね」
リデルはそこで好奇心を打ち切り、勉強に戻った。夫が領地を留守にする間領主代行として仕事をしなければならない。彼は軍人でいつ何が起こるかわからないから、早くいろいろ覚えておきたかった。
ふと夜中にオオカミの遠吠えを聞いた気がして、リデルがぱちりと目を覚ます。まだ夜が明けていない。
なんとなく寝付けなくて、ベッドから起き出し、カーテンを開けると夜空に大きな満月が浮かんでいた。ほんのりと赤い月で美しいというよりもまがまがしい。降るような星空の下にうっそりと立つ塔。そこにちらりと光がよぎった気がした。
リデルは目を凝らす。間違いない。塔の上の方に光がゆらゆらと灯り移動している。
確かあの尖塔は閉鎖されているとドロシーが言った。もしかして賊? いや、これほど高い城門から賊が侵入できるわけがない。ここにはウェラー家専属の兵士たちや屈強な門番もいる。そこまで考えてリデルは怖くなり、さっとカーテンを閉じた。
「まさか……、幽霊?」
その晩、震えながらベッドに潜った。
◇
「奥様、王都からお手紙でございます」
あくる昼下がり、ドロシーが二通の手紙をもってきた。言いつけてもいないのに彼女は気を利かせて茶とケーキを準備してくれる。いつの間にか彼女を信頼するようになっていた。それと同時に夫の存在が薄くなっていく。
宛名を見ると、一通は叔父からで、もう一通はギルバートからだった。いまさら何の用かと、そのまま破り捨てようかと思ったが、用件は気になる。仕方なしに封を切った。
ギルバートからはイボンヌが苦しんでいるという内容だった。侯爵が皆の前でイボンヌを非難したせいで彼女が社交界に居場所をなくしたので、侯爵の名代として王都に来て、舞踏会で皆の前で、リデルに謝罪してもらいたいというものだ。これは速攻で却下だ。ギルバートがこれほど愚かな人だったとは思いもしなかった。
かっとなって火にくべようかと思ったが、念のため保管しておくことにした。
それから、しぶしぶと叔父からの手紙の封を切る。だが、内容は少し深刻で、侯爵が約束を破り借金の返済をしてくれないとのことだった。それはイボンヌの件に腹を立てての制裁だろうか……。
叔父の言うことを真に受ける気はないが、まだ夫がどういう人なのかわかっていない以上真偽を確かめないわけにはいかない。借金のカタにリデルはここへ嫁いできたのだから。
さっそくハワードに夫と話す場を設けてくれるように頼んだ。その際、叔父からの手紙を渡す。
すると次の日、確認すべきことがあるから少し待ってほしいと手紙で返事が来た。会って顔を見て話がしたかったが、彼はやはりリデルには会いたくないようだ。
同じ敷地に住んでいて筆談とは……。
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