第13話
その日は朝から冷え込んでいた。領地の短い夏もそろそろ終わりなのだろうか。広い屋敷に住むようになってから、日課になった散歩中に粉雪がちらちらと舞った。
「そろそろ散歩も出来なくなるかしらね」
リデルが呟く。
「まだ、本格的に降る時期ではありませんから大丈夫ですよ。冬の先ぶれのようなものです。それより奥様冷えませんか? そろそろお屋敷に戻ったほうがよろしいかと。お茶の準備を致しますね」
ドロシーは本当に親切だ。
二人で邸に戻り、サロンでお茶を飲んでいると、本邸から一通の手紙が届いた。夫からだ。
対面で話すことはなく、用があれば彼とは使用人を挟んでの筆談だ。かなり特殊な状況だが、それにもだいぶ慣らされてきた。
しかし、手紙の内容はいつものような事務連絡ではなく、深刻なものだった。
東部の国境の町が襲われ、東隣りの国と戦争が始まるため、フリードリヒは一年ほど戦地に行くという。
戦争では何が起こるかわからない。これで彼が命を落とせば、永遠の別離になるかもしれないそれを彼は手紙一枚で済ませようとしている。やはりそれはショックなことだった。
だが一週間後、彼が再び別邸にやってきた。正直期待していなかったので驚いた。
「久しぶりだな」
無表情な夫にそんなふうに声をかけられた。本当に久しぶりで懐かしさを感じる。しかし、彼はリデルが言葉を発する前にすぐに要件に入った。
「手紙に書いたようにおそらく一年は帰ってこれないだろう。君にはその間、本邸に移り住み、領主の仕事を代行してもらう。ハワードから引継ぎをうけてくれ」
「はい」
事務的な口調で淡々と話す。
「それと、予算には余剰分がある。君が、この領のためにやってみたいことがあるなら、試してみてくれ。もちろん小規模でだが」
「はい?」
「わが領は銀や鉱石などの資源に恵まれているが、度重なる戦争で手つかずな場所もある。昔は職人もいたのだが今では王都に卸すだけで精いっぱいだ」
「えっと、それは事業を起こしてもよいということですか? 例えば何かの小さな工房を作るとか……」
「予算は余剰分の半分以内に収めてくれ、後は君の裁量に任せる」
リデルは目を瞬いた。まさか夫がそんなことを言い出すとは思わなかった。
「おそらくこの戦争が隣国と決着をつける最後のものとなる。その後は領地を富ませたい」
「私にそのお手伝いをさせてくださるということですか?」
「無理にとは言わない。引継ぎだけでも大変だろう」
「いえ、ぜひ! やらせてください」
リデルは目を輝かせた。自分は彼にとって都合の良いお飾り妻だと思っていたので、こんな申し出をしてくれるとは思いもよらない。期待はされていないのだろうが、何かやらせてもらえるのは素直にうれしい。
「それと遺言書を王都の公証人に預けた。私が戦死した場合、もしくは生死が確認できないときは、王都に赴き君に開封してほしい」
戦死という言葉にリデルはドキリとした。軍人の妻になるということはこういうことなのだ。覚悟が足りていなかったかもしれない。
「承知いたしました。約束は絶対にお守りします」
「王都の夜会で挨拶したトニー・アンドレアを覚えているか?」
「はい、覚えております」
気のいい軍人だ。
「今回、同じく戦地に赴くが私が死に彼が生きていた場合、困ったことがあればトニーに頼るといい。彼は貴族であるしいろいろな場に顔が利く」
あまり具体的な話をされると本当に彼が死んでしまうのではないかと心配になる。
「旦那様、どうかご無事で」
リデルは内心の不安を隠すように頭を下げた。
それで話は終わりかと思っていたが、フリードリヒはしばらく逡巡すると再び口を開いた。
「最後だから、伝えておこう。君はもう気づいていると思うが、私には感情が欠落していて、男女の情がわからないのだ。
君を特別嫌っているわけではないので、私のふるまいを気に病まないでほしい。けして君のせいではないし、おそらく君は魅力的な女性だ」
彼の声にも表情にも全く温もりは感じられないのに、語られる言葉は心に刺さる。まるで遺言のようだ。
きっとこれが、彼が話せる精一杯。リデルは気持ちが揺れそうになり、慌てて抑えつけた。見た目は凍てついたように冷たいのに、なぜか以前ほど怖いと感じない。
出立前に会いに来てくれたのは彼なりに妻に対して誠意を示したのだろう。いったい何があって彼はそうなってしまったのか。
(それとも元々誰も愛せないの……?)
だが、踏み込むべきではない。
「旦那様、舞踏会の時は助けていただき嬉しかったです。誰かの背にかばわれたのは両親が亡くなって以来です。あれだけで十分です。それにここで豊かな生活送らせていただき感謝しております。ご武運をお祈り申し上げます」
◇◇◇
一週間後、夜明けとともに彼は領の兵士を連れて出立した。見送りはいいと言われたので、二階の窓からそっと見送る。
フリードリヒは愛される喜びを知らないのだろうか。少なくともリデルは実父母には愛され大切にされて育った。子供時代は彼女の宝物だ。
「寂しくはないのかしら……」
騎馬とともに去っていく馬車を眺めながら、ぽつりとつぶやいた。
リデルは刺しゅう入りのハンカチを夫に渡してくれるようにとハワードに託していた。戦場ではお守りになると聞いて作ったものだ。
彼は受け取ってくれただろうか。
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