第9話

 王宮主催の舞踏会でここまで恥をかかされて、ウェラー侯爵に結婚を白紙に戻すと言われたらどうするつもりなのだろう。それに豪華なドレスや飾りまでいただいている。リデルは恐ろしさに顔色を失った。




 しかし、フリードリヒはイボンヌの言葉を冷たい声音で一喝する。




「貴様は、私を、ひいてはうちの家門を愚弄しているのか。リデルとは神官の前で永遠の愛を誓い合った。それに誰が、貴様ごときにファーストネームを呼ぶことを許した? 常識も弁えない者が、なぜ、この舞踏会にまぎれ混んでいる。不愉快だ。今すぐ出ていけ」




 辺りはしんと静まり返る。


 リデルはフリードリヒの迫力に震え、固唾をのんで成り行きを見守った。




「そんな……私はリデルの従姉であり姉替わりです。フリードリヒ様、私たちは親族ではないですか!」


「やめろ! やめてくれ、イボンヌ!」


 いち早く我に返ったギルバートが真っ青になり必死にイボンヌを止める。だが、イボンヌはことの重大さに気付いていない。それどころか怒りに頬を染めリデルをにらんでいる。そこへタングス子爵が、人をかき分け息を切らして慌ててやってきた。




「ほお、どこの愚か者かと思えば、タングス子爵家の嫡男か。タングス家も落ちたものだな」


 フリードリヒの冷えた声と威厳に、彼よりずっと年上の子爵がひれ伏した。




「侯爵閣下、この度は愚息が失礼を……申し訳ございません」


 震える声で詫びる。プライドの高い子爵夫人まで顔を青くしてやって来て「どうか、お許しくださいませ」とすぐさま頭を下げ謝った。そのころになってようやくイボンヌも場の空気を察して顔色を変える。




「どうして? あの、私、どうしたら」


 しかし、答えるものはどこにもいない。ギルバートも頭を下げたままなので、イボンヌは落ち着きなく左右に目を動かす。タングス子爵がイボンヌを振り返りもせず口を開く。




「この娘は当家とは何らかかわりありません。愚息の過ちです。即刻、縁を切らせますので、なにとぞご容赦を」




 子爵はリデルの時と同じようにあっさりとイボンヌを見限った。子が出来たと言っていたが、どうするつもりだろう。




 イボンヌはその場に崩れ落ち失神した。彼女は都合が悪くなるといつも気絶する。多分、今回も芝居だろう。自分の非を認めたくないのだ。そしてその後の始末は誰かがつけてくれると思っている。




 タングス家の面々が平身低頭するなかで、フリードリヒが重々しい口調で言った。




「今回は不問に付すが、次はない。さっさとその不快な女をこの場から連れ出せ」




 彼らはイボンヌを引きずるようにそそくさと立ち去った。




 フリードリヒが周りに集まっていた貴族たちをひと睨みすると、一瞬びくりとした彼らは何事ともなかったように、素知らぬ顔で舞踏会の喧騒に戻っていった。




 きっと明日はこの噂でもちきりだろう。リデルはもう二度と社交の場に姿を現したくない気分だった。




 しかし、それとは別にギルバートに対する気持ちが急速に冷めていった。今まで、彼との間には何か誤解があったのだと心のどこかで思っていた。だが、それはリデルの独りよがりな幻想。




「では、私は挨拶も用も済んだのでこれで失礼する。君は王都の夜をまだ楽しむといい」


 侯爵の言葉にリデルは目をむいた。


「え……?」




 この状況で何を楽しめと? 問い返す間もなく彼は礼装用のマントを翻し去っていく。




「嘘でしょ」




 リデルは小さくつぶやくと、慌てて彼を追いかける。 




 侯爵家のためだったとはいえ、窮地に陥っていたリデルは彼に助けられたわけで、礼の一つも言っていないし、従姉の非礼も詫びなければならない。というか新妻を一人残して会場から去らないでほしい。この状況でひたすら王宮で出される料理を一人で堪能していろと? 冗談ではない。




 急いで彼の後を追い、夜会場から人気のない廊下に出た。軍靴をかつかつとならし大股で歩く彼の足は速い。


「お待ちください。旦那様」


 リデルは息も絶え絶えにおいついて、彼の腕に手を添えた瞬間、驚いたようにさっと振り払われた。その激しい拒絶にリデルは目を見開いた。


 すると彼がはっとしたように言う。




「すまない。私は人と接触することが苦手だ。予告なく触れないでほしい」




 無表情でわかりにくいが、謝っているので悪気はなかったようだ。だが、傷ついたことは確かで。




「……そういうことは先に言っておいてくださいませ」


 リデルはしょんぼりと肩を落として言う。首に下げたエメラルドのネックレスがやけに重く感じる。




 もしかして彼はつめたいというより、人嫌いなのだろうか。いや、しかし、そんなものが軍隊を率いて戦いなど出来るものなのだろうか。彼の言動に混乱させられる。




「それで君は私に何の用だ?」


 心底不思議そうに問う侯爵にリデルはふと涙を流しそうになったが、なんとか気力を振り絞る。




「先ほどは従姉が失礼をしました。申し訳ございません。それから、助けていただきありがとうございます」




「私は侯爵家のために当然のことをしたまでだ」


「はい、存じております。それでも謝罪とお礼だけは申し上げたいと思いましたので」




「随分と律儀だな。私はこれから仕事をしなくてはならないので帰る。君は好きなだけいるといい」


「私も帰ります」


 リデルは断固として言った。この状況は普通にいたたまれない。




「いいのか? この後は領地へ行くから、しばらくはこのような華やか夜会などに参加できないぞ?」




 リデルを傷つけようという意図はないのだろう。この人からはなにか欠落している、そんな気がした。




 初めて出会うタイプの人でどう解釈したらいいのかわからない。が、答えは決まっている。




「いいえ、帰ります。あのような場は苦手です。もちろん旦那様のご命令とあれば、今後とも参加します。そういう契約ですから」




「いや、夜会は君の好きにするといい。ただ領地へ発つ前の息抜きになればと思っただけだ。領に行けば、冬は雪や氷に閉ざされ、領都には若い娘が喜びそうなものは何もない」




 語られる内容からはそこはかとなく思いやりを感じ取れるが、彼の声音や冷たい表情からは何も読みとれない。




 リデルは慎重に夫と距離を取りながら廊下を歩いた。できれば、夫の機嫌を損ねたくないし、本気で振り払われたら多分大けがをする。




 彼と過ごすうえで、いつか心地の良い距離を見つけられてたらいい。


 リデルはそんなふうに思い、燭台の火影が揺れる王宮の廊下を彼の後について歩いた。






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