第43話

 そして領地に本格的な冬がやって来た。二人は執務以外でも寄り添うようにずっとそばにいた。使用人たちはそれを温かい目で見守った。


 ある晩、暖炉の前で果実酒を楽しんでいると夫が真剣な口調で切り出した。

「リデル、実は結婚の契約のことだが」

「はい」

「以前も言ったと思うが、私は君と普通の夫婦になりたい。こちらから一方的にひどい条件を押し付けておいて勝手な話だが、考えておいてくれないか?」

「……はい」

 けっして嫌ではない。むしろ嬉しい。だが、それ以上に不安に思った。


「あの、以前の旦那様は私に触れるのも嫌がっておいででした」

 だが、今は肩に触れリデルの長い髪を自分の指にまいたり伸ばしたりしている。


「私は君に触れたくてたまらない」

 その言葉にリデルは頬を染める。だが同時に恐れもあった。


「私と普通の夫婦になり一緒に過ごしたとして、もしも記憶が戻ったらその時はどうなさるおつもりですか? 私を拒絶するのではないですか? それがとても怖いんです」


 彼のことは信頼しているし、淡い思いも抱いている。だからいったん受け入れた後に拒絶されたら、耐えられない。きっとギルバートのときよりもずっと傷つくだろう。


「実はそのことなんだが……もう、記憶は戻っている」

 リデルは言葉を失い。しばしぽかんとした。二人はまじまじと見つめ合う。


「はあ? いつ、いつですか! 本当ですか! どうして私に触れても大丈夫なのですか? というか戦場から戻ったときから全然変わらないじゃないですか! なぜ、今まで何もいってくれなかったのですか」

 リデルがこぼれんばかりに目を見開き、彼女にしては珍しく、身を乗り出しまくし立てた。


「その、以前の私は女性恐怖症だったが、記憶を失い君といい関係を築けたおかげですっかり治ってしまったようだ」


 会話はほぼなく筆談で、あれほど拒絶していたのだ。にわかに信じがたい。


「ほんとに治ったのですか? 過去を思い出したのに? 女性恐怖症になった原因を思い出していないだけではないですか」

 フリードリヒは首を振る。


「いいや、なぜ女性が恐ろしくなったのかも思い出している。君もうすうすは気づいていたんじゃないか。ときどき私を恐れるような目で見ていた」


「……旦那様は怒ると怖いですから。そこは以前のままで、もしかしたらとは思っていました。でも私に怒ったことはありませんでしたね」

 女性恐怖症だろうということは彼が戦争に行く前にそれとなく気付いていた。


「ああ、だが結婚の契約を一方的に押し付け、脅すような言い方をした。あのとき君はとてもおびえていたようだし、本当に済まなく思う」

 フリードリヒが居住まいをただし、頭を下げる。


「いいえ、あの時は旦那様も女である私が怖かったのですよね。では、あの、本当に……思い出したのですね」

「いやな話ではあるが、君には私がなぜ、そうなったのか話そうと思う。不快ならば、途中でやめるし、私に同情する必要はない」


「旦那様がよければ、お話をお聞かせください」

 リデルが率直な気持ちを伝えると、彼は淡々と過去を語り始めた。


 ◇


 彼の父ゲオルグは戦いを好み常に戦場に身を投じていた。そんな折、隣国の第四王女テレジアとの結婚がきまった。これは王命で政略結婚だ。


 しかし、プライドが高く気性の激しいテレジアと攻撃的なゲオルグは性格が合わなかった。

 フリードリヒが生まれてもゲオルグは家庭を顧みることはなく、そのあげく愛人を作った。もちろん、テレジアは激しく抵抗し愛人を城に入れるのを嫌がった。


 するとゲオルグは愛人のために別宅を作りそこに入り浸り、やがては男の子を設けた。愛人はこれ幸いとその子供を跡継ぎにしようともくろんだ。


 フリードリヒは夫から愛されず嫉妬に狂った母親にあの塔に閉じ込められたのだ。

「あなたは、大人になってはだめ」と食事も満足与えられず泣き叫んでも暗闇から表に出してもらえることはなかった。


 最初の頃はいつか誰かが助けてくれると思っていたが、そんな奇跡は起きず、暗く不衛生な牢獄のような部屋で月日の感覚もなくなり、感情が擦り切れるほどの長い時間を過ごした。


 だが、ある日のことドアに何度も斧を打ち付ける大きな音が響いた。やがて扉は破壊され、フリードリヒは久しぶりに見るまぶしい光に目を細めた。

 斧を握りしめ立っていたのは父の愛人だった。助けてもらえるものかと思った。


 だが、彼女はフリードリヒに斧を振り上げた。

「絶対にあんたの母親が私の子を殺したのよ! だから、お前も死ね!」

 

 半狂乱で泣き叫び斧を振るう彼女のもとに父親が駆け付けた時にはフリードリヒは顔にも体にも大けがを負っていた。


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