第44話

 その後、フリードリヒは城に移されて手厚く看護された。愛人の子は殺されたわけではなく事故でなくなり、そのことで父はフリードリヒの存在を思い出したようだ。


 しかし、ある晩、屋敷の中が騒然としていた。


 「火事だ」と使用人たちが口々に叫ぶ声が聞こえる。


 フリードリヒはケガが回復したばかりのやせこけた体で、窓の外を見ると愛人宅が燃えていた。彼は長い間の栄養不良で体力のなくなった身体に鞭打って、火事場に向かう。そこに母の姿を見た気がしたからだ。



 体力を振り絞り息も絶え絶えで火事場に着くと、燃え盛る愛人宅の前で母が哄笑していた。


「あははは、馬鹿な女、いいきみよ」


 ひとしきり笑うと彼女はフリードリヒを振り返る。

 炎にてらされた母の髪は乱れ悪鬼のように見えた。


「不浄の者は炎で浄化したわ。神に穢れははらわれたのよ! さあ、私のかわいい子。塔へ戻りましょう」


 テレジアが歌うように上機嫌で言い、フリードリヒのやせこけた腕をつかむ。恐ろしくて振り払いたいのに、振り払えない。ぎりぎりと強い力で腕をつかんでくる。彼女の爪がフリードリヒの細い腕に食い込み、うっすらと血がにじむ。母は狂ってしまったのだ。子供心にそう悟った。


 そこへ父と番兵たちがやってきて、半狂乱になった母は取り押さえられどこかに連れていかれた。フリードリヒは体力もつき、その場で気を失った。

 

 あくる朝目覚めると父が寝室へやって来た。

「フリードリヒ、跡取りはお前だけになった。だが、お前が弱ければ、ウェラー家の跡取りとは認められない。王国に忠誠を誓い強い騎士となるならば、この領地はやがてお前のものとなるだろう」


 愛人は焼死し、実母は療養と称してどこか遠くへ送られた。

 

 フリードリヒは体の傷が癒えた後、騎士養成の寄宿学校に入った。五年後首席で卒業し家に帰ると母の病死を知らされた。その後、父も遠征で病にかかり、戦地で命を落とした。



「それから、私は一心に学び一流の騎士になるべく努め、戦いに身を投じた」

 フリードリヒがそこまで話すとリデルは涙をながした。

 

 それほどひどい目にあいながらも、再び人を信じられるようになった彼は強く素晴らしい人だ。思い出してもなお過去の自分に戻ることなく彼は乗り越えた。


「もういいです。十分です。なんてひどいの」

 リデルが両手でソファを打つ。


「リデル、不快な話ですまない」

 彼女の涙に、今まで淡々と過去を語っていたフリードリヒがおろおろする。


「だが、同情などしないでくれ、私が受けた仕打ちと、私が君にした仕打ちは違う。どうか見誤らないでほしい」


「同情? 私は腹が立って腹が立って仕方がありません!」

「え?」

 虚を突かれたような顔をする。


「過去を思い、悔しがったり、憤ったりはしないのですか! そんなのあんまりです」


 そういってリデルがフリードリヒをぎゅっと両腕で抱きしめる。壮絶な子供時代を淡々と話す彼の姿が悲しい。彼が悪いわけではないのだ。


「憤ったことはあったな。時折、あの閉鎖した塔へいった」

「え?」

「あの塔の部屋の扉をあそこまで激しく壊し、部屋を荒らしたのは大人になり家督を継いだ私だ。みっともない話だ」


 暗く翳った瞳を揺らし、彼が言う。

 結婚した当初、聞いた遠吠え、塔にともった明かり、あれは彼の行き場のない怒りだったのだ。


「みっともなくなんかないです。怒って当然です」

「ありがとう、リデル」

 フリードリヒが淡く微笑む。


「後は……悲しむだけですね……子供だったあなた自身の為に。無力だったから抵抗できなかった。あなたは被害者です」


 思いもよらないことを言われたようにフリードリヒは目を見開いた。

 この人は心の傷も癒えないまま戦争に駆り出され、今まで自分の為に悲しむことすらしてこなかったのだろう。

 

 リデルはフリードリヒの救いのない境遇に胸が詰まる。叶うことなら、子供だった頃の彼を救い出したい。そっと彼の頬に手を差し伸べた。


「リデル……君は」


 フリードリヒの頬に一筋の涙が流れた。彼はこの時初めて過去の自分を憐れんだ。




 あくる朝、二人は同じ寝室で目覚めたが、ただの添い寝だ。泣きながら手をつなぎ、眠りに落ちてしまった。目覚めたはいいが、気恥ずかしい。


 お互いにもじもじとして向き合った後、フリードリヒがおもむろに居住まいをただす。


「リデル、昨日の続きなのだが、私は君にひどい条件を突き付けてしまったので、どの面を下げて普通の夫婦になりたいなどと言えばよいのか、ずっと逡巡していた」


 フリードリヒが叱られた子供のように、しょんぼりとうなだれる。リデルはそんな彼をほっておけなくてさらりとした砂色の髪に指をいれ梳くようになでた。


 戦場から帰ってきてからの夫は大きな体をしているのに、不思議とかわいく感じることがある。そして愛おしい……。リデルは自分の恋心をはっきりと自覚した。


「旦那様、私たちそろそろ普通の夫婦になりましょうか」

 フリードリヒは顔を勢いよく跳ね上げた。


「いいのか? リデル」

 すがるような瞳でリデルを見つめる。


「はい」

 リデルがうなずくと、彼は頬を紅潮させ歓喜の表情を浮かべた。


 ◇


 翌日、仕事の合間にリデルはフリードリヒに散歩に誘われた。二人でのんびりと景色をたのしみながら歩いた。

 

 一面に咲くシロツメクサの花畑で突然フリードリヒが立ち止まる。

「旦那様、どうなさったのですか?」

 怪訝そうにリデルが問う。


 すると突然彼がリデルの前にひざまずいた。

「リデル、私と結婚してくれないか」

 そういって指輪を差し出す。繊細で美しい細工、きっとフィーの手によるものだろう。

「え、私たちはもう」

「やり直したいんだ。プロポーズから」

 リデルは迷わずフリードリヒの手を取り、花がほころぶように笑った。

彼は立ち上がり、リデルを抱きしめると言った。

「結婚式ももう一度やり直したいんだ」

「はい?」

 リデルは驚きに目を瞬いた。



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