第45話 最終回
今シーズンは王都の夜会へ二人そろって参加することになった。
フリードリヒの記憶も戻ったことだし、あまり社交をサボってはいられない。
「なんだか、緊張します。旦那様」
王宮の長い廊下を、夫にエスコートされながらリデルは頬を染める。初めて来たときにはこんな胸の高鳴りはなかった。
「リディ、旦那様はないだろう。お互いに愛称で呼び合うように約束したじゃないか」
「そうね。フリード」
二人は照れくさそうに眼を合わせ微笑んだ。
仲睦まじさを通り越し、いちゃいちゃしているようにしか見えない二人のようすに会場ではどよめきが起こった。みなフリードリヒの姿に恐れおののいている。リデルの目には夫は愛らしく映っているが、周りからは少し違うようだ。
しかし、そんな彼も王族に呼ばれれば、軍神と呼ばれる凛々しい顔にもどる。不器用だった夫が随分と器用になったものだなとリデルは思う。
温かい気持ちでフリードリヒを眺めていると
「リデル」
と声をかけられた。最初はすっかり様変わりしていて誰だか気づかなかったが、ギルバートだった。昔はそこはかとなく育ちの良さを感じたのに今ではそれすらもない。
いまさら、よく声をかけられたものだと思う。
「お久しぶりです」
無視してもよかったが、リデルは形式的に言葉を返す。
「昔は、君にひどいことをしてしまったね。申し訳なく思っている」
いまさら謝罪とは呆れてしまう。そういう気持ちがあるのなら書簡でいつでもできたろうに。
「いえ、別に気にしていません」
早々に会話を打ち切りたかった。
「それで、君は今幸せなの?」
婚約者でもないのに彼のなれなれしい口調に少しイライラする。
「それはどういう意味でしょう?」
するとギルバートは慌てたように言う。
「いや、旦那様の具合がよくないと聞いていたから」
「それはどの筋からです? うちの夫はすこぶる元気です。おかしな噂を信じてしまうところは昔通りですね」
カチンときてチクリやってしまう。
「ち、違うんだ。リデル、僕はあの女にすっかり騙されていたんだ。今は目も覚めた。そんなことより、リデル、君は随分と綺麗になったね」
「は?」
リデルは困惑した。いったい彼はなんの目的で話しかけてきたのだろう。
「貴君、侯爵夫人にその口の利き方は失礼すぎやしませんかね」
割り込んできた声に振り返ると、アンドレアがギルバートに厳しい視線を向けていた。いつも陽気な彼がそんな表情をするのを初めて見た。
ギルバートは礼装姿のアンドレアの襟に徽章を認めると、恐れをなし慌てて去っていった。リデルはその情けない姿にあっけに取られた。
「呆れたわ……」
ギルバートにも、彼に傷心した過去の自分にも。
「本当に呆れたやつですよ。侯爵家をなんだと思っているんだか」
「アンドレア様、お助けいただきありがとうございます」
「いえいえ、いつでもお手伝いさせてください。あんな雑魚。タングス子爵の家督はあいつの弟が継ぐことになったんです。いまじゃ、醜聞が広がり、結婚相手もいないそうですよ」
「まあ、……そうだったんですか」
「実家の後ろ盾もなくなり、働いているようです。本来なら、こんな立派な夜会に入り込めないやつですがね。何か伝手を使ってあなたに会いにきたのかもしれません」
さっきの態度は腹が立つが、アンドレアの話を聞いていると少し気の毒になる。彼なりに苦労しているのだろう。
それからアンドレアはリデルの為に果実水を持ってきてくれた。彼はにっこりと笑うと話題を変える。
「奥様、二度目の結婚式は素敵でした」
「ありがとうございます」
リデルは顔を赤くした。結局フリードリヒと二度目の結婚式を領地で挙げた。二度も結婚式を挙げるものなどいるのだろうか。
氷の侯爵と呼ばれていたころから、彼には人望があり城には各地から彼を慕う軍人たちが集った。
そのため華やかというよりも少々武骨で物々しい結婚式となったが、一度目よりもずっと大々的で派手なものになってしまった。
城の庭でガーデンパーティを開き、ご馳走を食べダンスをし、ドロシーやハワードをはじめとする使用人たちは泣いて喜んだ。
それからフリードリヒのたっての願いで、領地でお披露目をした。
馬車で領都をパレードするのは恥ずかしかったが、思いのほか領民たちに温かく祝福された。
街道も舗装され、流通も盛んになり宝石や銀器、毛織物を買い付けにくる商人も増えてきている。領は着々と栄え始めていた。
リデルがアンドレアと談笑していると品の良い夫婦がやって来た。
「あの少しよろしいでしょうか? 私はドーラン伯爵家ケインと申します。こちらは妻のサマンサです。ウェラー侯爵夫人にご挨拶申し上げます」
まさか話しかけてくるものがいるとは思わなかったので驚いた。リデルもきちんと挨拶を返してから、微笑みを浮かべ問いかける。
「なんでしょう?」
「そちらには上質な毛織物と素晴らしい温泉があると伺っています」
品の良い夫人が口を開く。
「ええ、ございます。王都でお求めになるよりもお手頃ですし、種類も豊富ですよ。それに温泉は産後や病後、さらには休養にもよろしいかと存じます。領都までは宿もございますし、街道も整備されていますので快適な旅が出来ると存じます。ぜひお越しくださいませ。お待ちしております」
リデルの口からさらさらと自領を売り込む言葉がこぼれた。それを聞いたトニーが援護するように言う。
「本当にあの温泉は素晴らしいですよ。私はノースウェラー領に行くと日に何度も浸かってしまいます」
「そうですね。トニー様はよくお越しになりますよね。ありがたいです」
「ええ、ノースウェラー領はスープも酒も絶品ですから」
気づけば、リデルの周りには談笑の輪が出来ていた。そしてリデルが身に着けているフィーが作った飾りも話題もなった。
「そのうち、領都にも流通すると思いますのでぜひお手にとってただけると嬉しいです」
長らく社交を休んでいたので、今日は顔みせできたつもりなのに、いつの間にか領地のアピールまでしていた。
なぜ、数年前はあれほど社交界が怖かったのだろう。彼女は一面しか見ていなかった。夫のことも……。
「やあ、リディ楽しそうだね」
そこにフリードリヒが戻って来た時は、さすがに場に緊張が走ったがおおむね和やかに楽しく過ごすことが出来た。
二人で踊るダンスにぎこちなさはなく、疲れるまで何度も踊り夜会を楽しんだ。
社交は意外にいい息抜きになるものだとリデルは思った。だが、そんな華やかな中にいても常に頭の中には領地のことがある。
あの北の大地が彼女にとっての故郷なのだ。
その後、リデルとフリードリヒは、王宮でふるまわれたシャンパンを手にバルコニーを出た。目の前には素晴らしい庭園と降るような星空が広がる。
「そういえば、以前、旦那様の親戚が来られていた時に、離縁状まで見せられたのになぜ私を追い出さずにいてくれたのですか?」
「それは君が一番にお帰りなさいませ。と言ってくれたから。使用人以外にその言葉を言ってくれたのは君だけだ」
彼が苦笑する。リデルの伯父家族もひどいが、彼の親戚もなかなかのものだった。
しかし、そんな彼らと出くわすことは二度とないだろう。
「本当にご無事でよかったです」
リデルが微笑むと彼が照れたように下を向く。
「私は戦場で記憶を失いさまよっているときに、やさしく美しい女神が天から舞い降りてくる夢を見た。それが君だった。だから、てっきり私は君に惚れていたのかと……いや、実際にそうだったのかもしれない」
リデルはそれを聞いて真っ赤になった。なんてロマンチストな人なのだろう。
「フリード、あなたに出会えてよかった」
「リディ、愛している」
ほうき星が降る中で、二人は幸福をかみしめ抱擁を交わした。
fin
契約結婚? いいえ、雇用結婚です~婚約破棄された男爵令嬢は北の大地で逞しく生きる 別所 燈 @piyopiyopiyo21
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