第42話

 フリードリヒがリデルとゆっくりと食事を終えて、執務室に戻ると再び主だった使用人と領兵の面々が集まっていた。


「それで旦那様、結局のところどうなさいます?」

 ハワードが場を代表して口を開いた。甘い処罰などみな許せないと思っている。


 彼らが、リデルの人生をどれほど踏みにじって来たのか知っているし、侯爵家に対する侮辱も許せない。彼らはここで働いていることに誇りを持っているのだから。


「まず、男爵領はリデルに返還される。だが、私が入り婿になって爵位を継ぐわけにはいかないから後見人となり、リデルを暫定領主とする。それに関してはことの経緯を説明し、国王陛下に許可をいただく」

 フリードリヒが周りを見渡すとみな一様に頷いた。


「それから、問題は地下牢につないであるあやつらの扱いだが、リデルは彼らが目に触れなければそれでいいと言っていた。彼女を思うと縛り首にはできない」

 皆が真剣な顔でフリートリヒを見る。


「では、どのように処理するおつもりですか」

 ハワードの言葉にふとフリードリヒの顔が翳る。


「北の流刑地送りが妥当と思われる。三人まとめてな。二度と戻ってこれないようにする。しかし、これについてはリデルには口を噤むように。彼女には彼らは労役についているといっておく」


 彼らはみな北の流刑地がどれほど過酷な場所か知っている。極寒のなかで貧しい食事と労働がまっているのだ。


「承知いたしました」

 リデルのことを慮り、そこが落としどころだろうと皆が納得したように頷き、それぞれ持ち場に戻っていった。


 そして、ハワードとドロシーだけが残る。

「それで、旦那様」

「なんだ」

「どこまで記憶はお戻りなのでしょう?」

 こっそりと聞いてくるハワードにフリードリヒは頭を抱えた。


「ああ、リデルとの結婚契約を破棄して新たに更新したい」

 フリードリヒが絞り出すように言う。


「あの、女性恐怖症は治っていらっしゃるようで何よりです」

 ハワードが控えめだが、嬉しそうに言う。


「不思議とね。リデルのおかげだ。女性にも善良なものがいると理解できた」

「はい、そういったことに男性も女性もないと思います。男性にも悪人はいくらでもいますし、女性にもよい人はたくさんいます」

 とドロシーが言う。


「そうだな。ドロシーの言う通りだ……。不思議とリデルと初めて顔を合わせた日のことを鮮明に覚えている」

「それは結婚を申し込みに行った日ですからね」

 ハワードが答えるとフリードリヒは首を横に振る。


「あれは私にとっては日常的に果たす義務と同じことだった。だが、馬車から降りてリデルを見た瞬間、音が消えたんだ」

「は?」

 ドロシーもハワードも主人が何をいっているのかわからなくてぽかんと口を開ける。


「彼女だけが光り輝いて見えて、音も景色もこの世のすべての雑音が消え、私は彼女のもとへとまっすぐに向かったのだ」

「ああ、なんてことかしら……」

 ドロシーが小さく呻く横で、ハワードが驚きに目を見開く。

「旦那様、それは一目ぼれではないでしょうか?」


「あれが……、そう、なのか?」

 愕然としたようにフリードリヒは言った後、我に返り執務机にがんと頭を打ち付けた。


「くそっ、結婚前に彼女に何と言ったかも思い出してしまった。あんなひどいことを言って、どの面を下げて普通の夫婦になりたいなどと言えるんだ」

 彼は頭を抱えた。



 女性恐怖の発端は母親と父の愛人との諍いだ。子供頃、半狂乱になった愛人に切りつけられ殺されかかり、顔に傷を負った。こめかみの傷は戦場で受けたものではない。


 そして、父のような人間になるなと母に塔に閉じ込められ、「ずっと子供のままでいるのよ」と大人になることを拒絶され貧しい食事しか出されなかった。


 父は戦に夢中で息子には無関心、愛人の子が亡くなった途端、フリードリヒの存在を思い出し塔から連れ出し、戦士として鍛えられ、跡取りの教育がなされた。


 しかし、それらは彼女に対する仕打ちの言い訳にもならない。


 過去が少しずつよみがえるたびにフリードリヒは苦悩し、リデルへの思慕を募らせていた。


 忙しかったこともあるが、リデルに対する思いがどうしようもなく高まり、城をあけ一人で視察に出ることが多くなったのだ。


 ◇◇◇


 リデルは二日ほど休んだあと、執務に復帰した。しかし、仕事が溜まっていることはなく、夫やハワードがこなしてくれていた。工房や温泉宿の件はドロシーが細かな点をつめ進めてくれていた。


 フリードリヒは冬が来る前に二件目の宿屋の工事をすますつもりだと街道を行き来して精力的に働いた。しかし、三日以上城を留守にすることはなくなった。


 リデルも領地の温泉宿を増やす計画をたてたり、フィーの工房で働きたいという領都の若者の面接すすめたりしていた。

 もちろんフィーの意見が重要だ。彼女の弟子を選ぶのだから。時にはドロシーも交え皆で真剣に人選し、五人ほど来たうちの一人を採用した。


「センスもいいし、熱意もあって人柄もよさそうでよかったです」

 フィーが目を輝かせて言う。ここにきた頃はやせこけて自信なさげだったのが嘘のようにいまでは明るくはつらつとした表情をしている。彼女を雇ってよかった。


「フィー、いつか王都にも卸したいわね」

「え? この工房で作っているものをですか?」

「そうよ。あなたを馬鹿にした親方や兄弟子たちを見返してやりましょう!」

「奥様……」

 フィーははにかむように微笑み、何度も頷いた。


 領主がかえって来て街道の整備や土木などの仕事が増えてきて、人口も増加し町が活気づいて来た。それにつれ、飲食店や雑貨屋なども多くなり、今夏は領都初のカフェがオープンした。


 リデルは領民の娯楽が増えたことを嬉しく思う。何はともあれ、この領地では寒い冬に閉ざされる前に、出来る限りのことをやらねばならない。

 

 冬場は閑散としがちな領都も店が増えた今年は例年よりにぎやかになりそうで楽しみだ。


 あれから、伯父家族はどうしたのかとフリードリヒに尋ねると伯父は貴族籍から抜かれ、伯母や従姉とともに労役についているという。絞首刑は免れたようでほっとした。


 そして、クルトは男爵領をリデルに返還し今は官吏として宮仕えをしていてる。続く貧乏生活で彼が隣国から連れてきた婚約者には去られたそうだ。


 領地に関しては別に返還しなくともと思ったが、「リデル、権利は簡単に手放すな。先祖代々守って来た領地だろう。それにもうクルト一人ががんばったとて、領地はどうにもならない状態だ」とフリードリヒに諭された。


 再びフリードリヒが領地存続のために援助してくれた。

「今度、君のご尊父とご母堂の墓参りに行こう」

 そんなふうに提案してくれた。二度と戻らないと思っていた故郷が、思いもよらぬ形で返って来た。


 リデルは、今はフリードリヒに対して感謝の気持ちでいっぱいだ。戦場から記憶を失って帰ってきた夫を支えるつもりでいたが、いつの間にか支えられていた。


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