第24話
その日の晩餐は、湯上りでさっぱりしたフリードリヒにアンドレア、親戚一同で食べることになった。
ここにきてこれほどの大人数で食事をしたのは初めてだ。リデルはいつも一人で食べていた。そしてサムはいない。本当に追い出してしまったようだ。彼がどうなってしまったのかリデルは知らないし、さっきのフリードリヒの剣幕を思い出すと知りたくもない。
使用人の名前すら覚えていないのに、彼らを大切にしてるところは変わらない。そこに少し安堵する、ここの使用人たちは有能で素朴で気持ちの良い人たちだ。
そういう人たちを周りに置いていた以前のフリードリヒは、やはりいい人だったのだろうか? リデルは夫のことをあまりにも知らない。
フリードリヒは食事の前に、何かと理由をつけて隣に座ろうとするハンナを押しのけ、リデルを座らせた。おかげで親戚の視線が痛かった。フリードリヒは記憶がないにもかかわらず、早くも親戚を疎み始めている。
食卓では嫌みが飛び交い。親戚はここに住むと言い張り、晩餐はぎすぎすしたものでリデルは気がきではなかったが、この状況にも関わらずフリードリヒもアンドレアも健啖家でよく食べた。
「このランプ肉は絶品だな」
まるではじめて食べたかのようにフリードリヒが言えば、
「戦場では干した肉ばかりだったしな。焼き立ての肉は最高だ」
トニーが破顔する。その合間にオニールが
「この女をいつまで置いておくきだ」
とリデルを指さし、フリードリヒから追い出されそうになった。
突然大切にされ始めて、リデルは身の置き所がない。
次の朝、アンドレアは王都へ向けて旅立った。
フリードリヒはゆっくり眠れたのか、すっきりした表情をしている。
「リデル、一緒に執務室に行こう」
リデルはゆるゆると首をふる。
「私だけ特別扱いしたら、オニール様やフラニー様が怒ります。まずは旦那様の目でお確かめください。そのあと質問にお答えします」
それこそ親戚たちに何を言われるかわかったものではない。リデルは断った。
「そうか……」
がっかりしたような顔をする。しかし、そんなフリードリヒの様子にかまっている場合ではない。
自室にもどると荷物をまとめ始めた。夫の記憶はいつ戻るかわからない。その時にリデルが本邸に住んでいてはまずいことになるだろう。すぐに別邸に移り住むことにした。城は仮の住まいと思い荷物は最小限にしていたつもりだが、いつの間にか増えていて、意外にかさばり手間取った。
すると廊下で騒がしい足音が聞こえてきた。どうも誰かが走っているようだ。また親戚が騒ぎを起こしたのだろうかとうんざりする。
「リデル! リデル!」
フリードリヒの声に慌てて扉を開けた。
「旦那様、何事です」
「どうしてだ、リデル。なぜ出ていこうとする」
「え?」
そういうフリードリヒの隣には下働きのメイドがいて、心配そうに二人の様子を見ている。彼女がリデルの荷造りをフリードリヒに知らせたのだろう。
「誤解です。今から、別邸に移るだけです」
「は? なぜ、別邸に移る必要があるんだ。リデル、昨夜は私が疲れていると思って寝室に来なかったのかと思ったが、君は」
悲しみに潤んだ瞳を向けてくる。
「ちょっと何を大声で言っているんですか。とりあえず部屋に入ってください」
リデルは真っ赤になった。メイドに茶の準備をお願いするとフリードリヒを部屋に招き入れる。
「旦那様、落ち着いて聞いてください」
それから、リデルは二人の結婚生活について話、なぜ今は城で暮らしているのか、どうして別邸に戻るのかを彼に伝えた。
「そんな、ならば私たちの結婚は」
「いうならば、雇用契約にちかいでしょうか」
「つまり白い結婚だと」
「そういうことです」
白い以前に完全なる雇用契約。
「そ、それで君はもう恋人を作ってしまったのか?」
「作っていません。領地の仕事が忙しくそれどころではありません。そんなことより、執務室できちんと書類を確認してきてください」
リデルは子供のように感情のままに動く、フリードリヒをなだめ、部屋から出そうと背を押した。彼がここでのんびりしている間にまた親戚たちに執務室を荒らされたら大変だ。
しかし、彼はなかなか部屋から出ていこうとしない。
「書類の確認ならば、急ぎのものは大方すんでいる。それに、ここに来る旅で時間はあったから、君からの手紙を読んだ。あれで領地の状況はわかった。領民のために薪の供給をいそいでくれたし、そのほか王都から細工師を呼んだり、温泉の整備をしたり、領のために尽力してくれていたではないか。君から送られてきた手紙を読んだとき、私は素晴らしい妻を持っていると感動した。君は新事業を起こすに際して、私財も投入していたんだね」
「失敗したら、領の税収の損失になりますから」
リデルが当然のことのように言う。
「それで、リデル、この間見せてもらった離縁状を私に預けてくれないだろうか? 記憶のない状態で、書いた覚えはないと言っても信憑性はないと思うが、考えれば考えるほど、私がそのようなことをするとは思えない。執務室をざっとみたところ、どうやら私は自領を大切にしていたようだ。それを等しく大切に扱ってくれた君と離縁しようと思うわけがない。それとも私に愛想をつかし、君から要求したものなのか?」
「いいえ、そのようなことはありません。ですが、やはり、記憶が戻った時のために私は別邸にいたほうがよいように思います」
「なぜ?」
そういって、またしがみ付いてくる。リデルはそれをさりげなく振りほどく。戸惑いつつもだんだん彼の扱いに慣れてきた。いちいち動揺していたら身も心ももたない。
「えーっと、旦那様は私に触れられることを極端に嫌っておられました」
「え? 嘘だろ!」
フリードリヒが驚きに目を見張った。あれほど冷たく見えた彼のアイスブルーの瞳が、温かみを帯びて見えるから不思議だ。
「ですから、記憶が戻った旦那様はここに住む私を見て気分を害されるはずです。それに旦那様の記憶がないからと付け込んだような形になってしまうのも嫌なんです。だから、どうか別邸に行かせてください」
「リデル、君の気持ちはわかった」
納得してくれたようでよかった。
「別邸は私の名で封鎖しよう」
「は?」
「そうすれば、私の意志で君がここに留め置かれたという証明になるだろう」
「なぜ、そうなるのですか?」
訳が分からない。
湯殿管理があるから、封鎖だけはやめてくれてとフリードリヒに頼み。結局、フリードリヒの意志でリデルが本館にいるということを一筆入れてもらった。
「リデル、ナイフはあるか?」
「はい」
渡すといきなり彼は指を切った。
「きゃあ! 旦那様! いったい何をなさるのですか!」
「血判を押しておけば、君も安心だろう」
「嘘でしょ……」
極端から、極端に変わった夫の行動にリデルの意識は飛びそうになった。血判付きの書類など物騒で気味が悪い。それともこれが軍人の常識?
「それから、このまとめた荷物は私の部屋に」
「運びません!」
フリードリヒが持っていこうとするのを断固として止めた。
王都から遺言書が届けば、きっと彼も変わるはず。
リデルとの間に子を設けず養子縁組すると言っていたのだから。しかし、親戚から選ぶと言っていたので、その養子がサムだったら嫌だなと思った。
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