第25話

 フリードリヒはリデルにきっぱりとはねつけられ、すごすごと執務室に戻った。


 記憶を失ったフリードリヒは、戦場からの帰途、自分の妻と会えるのを楽しみにしていた。


 婚約破棄後にすぐに結婚するなど元婚約者に対する当てつけではないか、変わり身が早すぎるなど、リデルについて少し耳障りな噂も聞いたが、領地について事細かに報告する彼女の手紙を読み、さぞや誠実で知的で素晴らしい女性なのだろうと思った。


 手紙の最後には必ずフリードリヒを気遣う言葉が添えられているのもいい。温かな人柄と夫が留守の間に、しっかりと領地を守る気概に惚れた。いや、その時は惚れ直したと思っていた。


 封書の中には、毎回領地の季節の花が押し花にして添えられていた。

 記憶をなくす前のフリードリヒ自身もそれを大切に保管していたので、二人はお互いを思いあう夫婦なのだと思っていた。


 記憶を失い、けがをして戦場をさまよっていた時には妻からもらった刺しゅう入りのハンカチを握りしめていたと聞いている。


 そして目にした彼女は噂で聞くよりもずっと美しく天使のような女性で、会えた瞬間胸が熱くなった。

 しかし、彼女はなぜか他人行儀で、フリードリヒは戸惑った。


 友人だというトニーや部隊の人間からは、記憶をなくす前のフリードリヒは感情の起伏がなく、どのような状況でもいつも冷静で完璧な司令塔として活躍したと言われた。


 だが、それは裏を返せば冷血漢ということで。彼女に何かしてしまったのだろうかと、リデルのよそよそしい態度を見るたび、そんな不安が頭をよぎる。


 かたくなに別邸に移ろうとするリデル。彼女はこの結婚は契約によるものだという。憂鬱な気持ちで執務室の前に行くと親戚を名乗るオニールとその娘であるハンナがいた。彼らはどうも苦手だ。特にハンナという女はしつこく付きまとってくる。不快だ。


 昨日主寝室で、寝ているとノックの音が聞こえたので、リデルかと思い開けたら彼女が立っていた。ぞっと肌が粟立ち、すぐさま追い返した。


 戦争後は疎遠だった遠縁の親戚が乗り込んできて、財産を持ち去ってしまうトラブルが多発するとトニーから聞いていた。現在親戚だと名乗る彼らのことは調査中だ。


 サムのように剣を抜き、使用人を傷つけたというのならば簡単に追い出してしまえるのだが、彼らはフリードリヒのことを幼少のころから知っていて、フリードリヒの身に何かあったときは領地を頼まれていたと主張している。


 そのうえ、リデルと離縁して彼らの娘のハンナと結婚する予定だったと。信じたくはなかったが、離縁状はフリードリヒの直筆だった。

 記憶がないので書いた覚えはないが、かといって偽造の証拠もないので歯がゆい。



 親戚の二人を執務室の前から追い払ったあと、また、書類を読み込んだ。親戚が来る前はきちんと整理整頓されていたのに、彼らが家探しをして荒らしたと使用人たちは口をそろえて言う。


 それをリデルが止めに入り、剣をふるうサムをいさめたという。あれほどほっそりとした可憐な人が盾となり使用人たちを守ってくれたのかと思うと泣きたくなる。その彼女と自分が離縁しようとしていたなどと考えたくもない。


 引き出しを隅々まで探した。すると執務机の上から二段目の引き出しが二重底になっていることに気付いた。とうとうフリードリヒはリデルとの結婚の契約書を見つけ、その内容をむさぼるように読み始めた。


 結婚にあたり、リデルの主張通り、自身が別居を求めていたことを知り、ショックのあまり卒倒しそうになった。これで彼女の話の裏付けは取れ、彼らの白い結婚は証明された。それから彼女の誠実な人柄も。


 だから彼女は荷物をまとめていたのだ。


「これでは結婚というよりも、労働契約ではないか」


 フリードリヒは罪悪感に崩れ落ちた。何故自分がそのような契約を彼女のような魅力的な人と結んだのかさっぱりわからない。


 しかし、どうしてわざわざ契約書を隠したのか。自分の身にもしものことがあれば、親戚が乗り込んでくることを見越して隠していたのだろう。リデルが不利益を被らないように。


 その時ノックもなくいきなりオニールとフラニーが入ってきた。

「フリードリヒ、さっさとあの女を追い出したらどうだ」

「そうよ、フリードリヒ、あの女ったら図々しくて、女主人ですって顔して、親戚である私たちをないがしろにするのよ。この執務室に近づけさせないし。離縁したほうがあなたの身のためよ。貴族とはいえ、あまり評判の良くない家の出だし。借金のかたで、この家に嫁いできたというじゃない。清楚なふりをしているけれど絶対にあなたの財産を狙っているのよ。ちょっと美人だからって、騙されないで!」


 フラニーがヒステリックに叫ぶ。いい加減彼らの態度にはうんざりしてきた。使用人たちによると、彼らはフリードリヒの安否がわからなくなったと聞いてすぐに乗り込んできたということだ。そろそろ見切りをつける時かもしれない。


「ええ、そうですね。財産を狙っているようですし、さっさと出て行ってもらいましょう」

 記憶を失ったフリードリヒは自分が強力な領主権を持っていることをアンドレアから教えられていた。


「やっとその気になったか、フリードリヒ」

「ハワードいるか?」

「はい、旦那様。こちらに」

 彼はきちんと戸口に控えていた。できた使用人だ。常に主人のそばに影のように付き添っている。

「今すぐ、オニール、フラニー、ハンナの三人を追い出してくれ」

「は! 仰せのままに」

 いきいきとした声と表情でハワードが応じる。


「何を言っている! 私はお前の親戚だぞ」

「結婚の条件を記した書類が見つかったんですよ」

「馬鹿な、この間家探ししたときはなかったぞ!」

 オニールが目を吊り上げる。


「使用人の言う通り、やはりあなた方は勝手に家探ししていたんですね。私がリデルにあなた方から、使用人たちを守ってほしいと頼んでいた書類が見つかったんです。

 それに以前の私は、あなた方にうちの領に入らないようにと言い渡していたようだ。何故ここに? 今すぐ出ていってもらおう。それが出来ないのなら、領主権限を行使する。ここの領主権が国法より優先するのはご存じですよね。私には領内で起こった犯罪を裁く権利がある。混乱に乗じて人の屋敷で好き勝手をするとは許せん。即刻出てけ!」

 

 さっそく権力を行使した。まずは城の掃除だ。


「なんですって!」

 夫人が甲高い声で悲鳴を上る。

「この恩知らず!」

 オニールが憤ったように叫ぶ。


「黙れ、この恥知らずどもが! さっさと荷物をまとめろ。今日中に出ていかなければ、貴様ら全員、牢にぶち込む」

 以前は聞くこともなかったフリードリヒの怒声が廊下まで響き渡った。



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