第23話

「あのアンドレア様、フリードリヒ様は軍隊ではいつもこのようなお方だったのですか?」

 もしかしたらこれが素なのかと考え、リデルはおずおずときりだした。だが、アンドレアはあっさりと首を振る。


「いいえ、社交界の評判通り氷です。いつも冷静というか無表情というか、感情がないかのようにみえるというか。しかし、戦場では勇敢に戦い。将軍でありながら矢面に立ち部下を庇うことも多々あります。本当は情に厚い男だと私は信じております」


(結局、どっち?)


「……はい」

 リデルはアンドレアの熱弁に頭を悩ませた。彼も混乱しているのだろうか。


「そうだ。フリード、俺たち軍人は戦場へ行くさい、家族に遺言を残す。それを確認すれば、君の考えがわかるのではないか? この離縁状は君の筆跡をまねた偽物かもしれないし、まあ文書偽造なんて投獄ものだけれど。公証人に見せればそれもはっきりするかもしれない」

「そういえば、王都の公証人に遺言書を預けていると旦那様から伺いました」

 親戚に押しかけられて、それを確認するどころではなかった。


「なるほど、いい考えだ。さっそく王都に行こう」

 記憶をなくす前にはなかった直情径行にリデルは戸惑う。彼はすぐに立ち上がり戸口に向かった。それをリデルは慌てて止める。


「旦那様、それは少しお待ちくださいませ。私は旦那様が戦場に行く前、親戚方から領と使用人たちを守ってほしいと頼まれており、それは婚姻の契約書にも記されております。だから、ここに残ってください。私が代わりに王都へ行きます」

「だめだ、リデル!」

「私が信用できませんか?」

 フリードリヒの拒絶の言葉が思いのほかぐさりと心に刺さる。一時にいろいろなことが起きてリデルの気持ちも激しく揺れ動いている。


「君はきっとそのまま帰ってこないつもりだろう?」

 そういってすがるような目を向けてくる。

「はい?」

 意味をはかりかねて首をひねる。


「私は記憶が亡くなる前、冷血漢だったと聞く。君はそんな私に愛想をつかしたんだね」

 フリードリヒが悲しそうに目を伏せる。


「しかし、あの離縁状は旦那様がお書きに……」

「夫人、記憶を失ったフリードリヒをどうか見捨てないでください。友人として頼みます」

 アンドレアがリデルにみなまで言わせないように割り込んでくる。

「は?」

「大丈夫です。文書は責任をもって俺が手続きをして、ここへ持ってきます。それでいいな、フリード」

「ああ、頼んだよ。トニー」

 ガタイの良い男たちが固く手を握り合い、熱く見つめ合う。なぜか背筋がぞくりとした。

 軍人同士って距離が近いの?


「では、さっそく、俺は王都へ行く。お前も達者で暮らせ」

 と言って立ち上がる。

「そんなアンドレア様、せめて今晩一晩だけでもここにお泊り下さい」

 リデルが慌てて引き留める。

「いえ、久しぶりの再会ですし、夫婦水入らずでゆっくりお過ごしください」

 そうはいわれても、この状態のフリードリヒを置いて行かれては甚だ扱いに困る。


「うちにはいい温泉がございます。ぜひ!」

 とっさに温泉で引き留めてみた。


「おお、そういえば、聞いたことがあります。王宮にも負けない最高の湯殿があると」

 どうやら彼は単純な人のようだ。


「ええ、ぜひともお願いいたします。せめて一晩だけでもお泊り下さい」

「最高の湯殿? 私は初めて聞いたぞ?」

 フリードリヒがきょとんとしている。


「そうです。旦那様も湯につかれば、記憶を思い出すかもしれません。さっそく旅の疲れを癒しましょう」


 リデルはハワードとドロシーを呼び、手短に夫の状況を報告した。二人も驚き戸惑っていたが、優秀な彼らはすぐに理性を取り戻し、顔を引き締めた。彼らにとっては主が無事だったことの方が喜ばしいのだ。たとえどんな状態で帰ってこようとも。


「ではハワード、旦那様方を湯殿へお連れしてください」

 しかし、アンドレアとともに途中まで行きかけたフリードリヒがいきなり立ち止まりリデルを振り返る。

「おい、フリード、どうしたんだ」

 アンドレアが彼の異変に気付き声をかける。


「リデル。まさか私を風呂に入れている間に逃げたりしないよね?」

 不安そうにアイスブルーの瞳を揺らし聞いてくる。

「は? いえ、そんな失礼なことは致しません。出ていくときはアンドレア様をお見送りして、きちんと領地の収支報告をしてからです」

 すると一瞬明るくなったフリードリヒの表情が曇った。


「リデル。どうかわたしを捨てないでくれ」

 そういって、リデルの前に跪き縋りついてくる。


「え、ええ?」

 リデルは大きな体で縋りついてくるフリードリヒにどう対処したらよいのかさっぱりわからない。リデルよりずっと付き合いの長いハワードすら、主人の変わってしまったようすに困惑しきっている。


「あの、旦那様、とりあえず親戚の方たちに執務室に入らないように命令していただけますか? もちろん、旦那様と一緒でなければ、私も今後は一切執務室には入りません。つまりは立ち入り禁止ということでお願いします。それから、ご親戚のサム様が帯刀しておられます。使用人たちにけが人も出ておりますので、あのお方から剣を預かっていただけますか?」


 そう頼むと、彼の表情が一瞬で豹変した。きりりと引き締まり、アイスブルーの瞳が冷たく光る。

 やはり偽物ではない。これは記憶が戻ったかも……。


「おい、そこの使用人。サムとかいう男をつまみ出せ! 我が家で帯刀したうえ、剣を抜くなど絶対に許さん! 誰がけがをしたのか、傷はどの程度なのか私に報告するように、破傷風は危険だ。きちんと対処しなくてはならない」

 いや戻っていなかった。あれほど信頼していたハワードの名前すら覚えていない。そしてはっとしたようにリデルを見る。


「す、すまない。女性の前で大声を出したりして、どうも私は激情に駆られやすいたちのようだ」

 やはり別人としか思えない。激情に駆られやすいって誰のこと? さらには饒舌さにひく。


「いえ、私は大丈夫です。どうか湯殿で疲れをいやしてくださいませ。その間にあり合わせですが、いそぎ晩餐の準備を致します」


 完全に別人格としか思えない。リデルの気持ちはざわざわどきどきと忙しく今にも叫び出しそうだ。


 男たちが出ていくと、リデルは急ぎ使用人たちを集め、夫の症状を説明し指示を出した。


 使用人たちはみな一様に驚いたが、それでも城の主人の帰還に歓喜に沸いていた。


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