第16話
「それから、ここは銀やラピスラズリの産地でもあるのよね。それならば、雪に閉ざされる前に採掘現場を見たいのだけれど」
「奥様、採掘など見てどうなさるおつもりですか?」
ハワードが目を見開いた。
「今のままだと原石をそのまま王都に卸しているだけよね」
「はい、それでも随分領の収益にはなっておりますが、それが何か?」
「幸い領地には銀も豊富だし、細工師を募集しようと考えているの」
「この土地でですか? 残念ながら人材はいません」
しかし、リデルにはある考えがあった。
「王都から連れてくるのよ。衣食住とそれから機材も保証すれば、来てくれるかもしれないわ。旦那様のメモによれば、良質なラピスラズリが出るようだし、旦那様もそのことをお考えだったんですよね」
「はい、伺ったことはございますが、そのたびに遠征で中断されてしまいました。しかし、いまはほかのお仕事も忙しいですし」
確かに領主の仕事は書類仕事が多いし、決裁権を持っているのはリデルだけだ。だから、リデルが目を通し確認しなけばならない書類もある。
それに何より、ハワードはリデルの体を心配してくれている。
この間も「奥様をあまり働かせすぎないでください!」とドロシーから抗議されていた。その件に関しては申し訳なく思う。けっしてハワードが悪いわけではないのだ。
「戦争が長引けば、資産が乏しくなるのでしょう? ならば、先行投資でまずはここで銀とラピスラズリを使った細工を売ってみたらどうかしら。原産地はここなのだから輸送費はかからないし王都より安価で提供することが出来るでしょう」
「確かに実現できれば素晴らしいことです。成功して規模が大きくなれば、ゆくゆくは領の特産品になるかもしれません」
と言って頷く。
「何とか利益を上げたいものですね。旦那様との契約もありますし……」
「契約? 何の話ですか?」
不思議そうにハワードが聞いてくる。リデルはこの結婚を雇用契約だと思っている。領のために働けるなら、こんなうれしいことはない。
「いえ、何でもないの。ただ、ほら領主代行でなければ、できないこともあるでしょ」
「確かに工房をつくったり、温泉宿をつくったりする際には、奥様の許可がなければできません」
「それならば、決まりね。よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします。奥様」
最初は戸惑い気味だったハワードも乗り気になったようだ。何といっても彼はこの領を愛している。
「では、まずは細工師から。王都に募集を出しましょう。条件は例えば三年契約で最初は補助金をだし、衣食住を保証。うまくいったら、地元でひとを育ててもらって、工房を大きくしていくというのはどうかしら? 儲けが大きくなれば、その分を出来高で払う。そうすれば職人にとってもいいのでは」
「最初に一人二人雇う程度ならば、温泉を整備するよりもずっと安く済みますね」
「ええ、しばらく募集しても来なければ、今年はあきらめましょう。とりあえず雪や氷に閉ざされてしまう前に、職人を募ってみましょう」
それから二人は額を突き合わせて、執務の合間に詳細を詰めていった。
◇◇◇
ラピスラズリの採掘現場は城からそれほど遠くはなかったので、リデルは寒い中どうにか無事に視察を済ませた。それから領都と城の間にある民家を買い取り、設備を整えた。
池はこおり、鈍色の空からは雪が舞い落ちる。もうすぐ本格的な冬が始まってしまう。今年は無理かとあきらめかけた頃、フィーというまだ若い女性職人が、王都から面接にやってきた。年のころはリデルと変わらなさそうだ。彼女は粗末なマントを羽織り、寒さに震えている。
王都から来たならば、ここの気候は身に染みるだろう。迎えの馬車も出してやればよかったとリデルは後悔した。
そんな彼女のために茶の準備をした。
彼女が茶を飲み、遠慮深げにびくびくと焼き菓子を口に入れたのを見計らって、再び声をかける。
「ええと、まずは三年契約で、その後は両者合意のもとで、更新ということで、よろしいでしょうか?」
「は、はい」
緊張しているようで、女性の声は上ずっていた。
「それでは作品を見せていただけますか?」
粗末な布に包まれ、おずおずと差し出したそれは美しく繊細な耳飾りだった。
「あの、募集しておいてなんだけれど、これほどのものを作れるのになぜ、わざわざ北の地に?」
使われているラピスラズリのグレードは低いが細工は見事で、これならばある程度の値段で売れるはずだ。デザインもいい。
正直、ここまでレベルの高い者が来るとは思ってもみなかった。嬉しい反面、これならば王都の方が商売しやすいだろうと、いぶかしく思う。
「なせ、この地で働こうと思ったのですか?」
リデルは率直な質問をぶつけた。
「その……細工師は女の仕事ではないと親方が」
「え?」
リデルは目を瞬いた。
「私の作品はすべて親方か兄弟子のものとして売られます。だから、ずっと給金がみならいのまま上がらなくて……生活が苦しいのです。でもここなら食べ物とすむ場所を保証してくれるというので来ました。やはり女では雇ってもらえませんか?」
女性は震える声で、懇願する。まるでここが最後の頼み綱のように。
「なんですって!」
リデルが驚いて立ち上がるとフィーはおびえたように縮こまった。
「ごめんなさい。つい腹が立って」
聞けば彼女は孤児院出身だという。後ろ盾もないので、ていよく奴隷のように使われてきたようだ。
「大丈夫よ。ここは保証があって儲けが出ればその分は出来高で給料が払われるから、安心してちょうだい。最初はそれほど高いお給金は出せないけれど。後ほど条件を説明するから今はゆっくり休んで」
リデルは彼女を即決で雇うことに決めた。面談にはハワードやドロシーにも同席してもらっていた。すべてをリデル一人で進めていこうとは思っていない。
彼らもリデルの判断に強く頷いてくれた。王都での彼女の扱いに憤りを感じているようだ。
その後、夕餉をすませ雇用条件をハワードから聞かされたフィーは叫んだ。
「え! こんなにお金をいただいてよろしいのですか! 夢みたいです」
それを聞いたリデルは彼女のいままでの境遇に思いをはせ、胸が痛んだ。
リデルも女児だったから、両親が死んですぐに叔父がやってきて、混乱に乗じて家督を勝手に継いでしまった。そのお陰で彼女は相続権を失った。
今思うと両親の遺言なりなんなりあったかもしれない。婿を取り男爵領でのんびりと平和に暮らす未来もあったのだろうか……。
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