第15話

 ノースウェラー領からシルノフ領にはいると途端に森林が増えた。領地は狭いと聞いていたが、緑豊かな土地で、森林地帯が広がっている。




 だがハワードの言った通り、夜の冷え込みは凄まじく、寒さが骨身にしみた。野営で食べるしょうが入りの蕪のスープがありがたい。




 二日後、やっとシルノフ領の領主館に着いた。




  小ぢんまりとした城で、さっそく客間に通された。大きな暖炉にのある室内で暖を取る。




 挨拶を済ませると、土産物である毛織物を渡した。


「奥様。美しい毛織物のお土産ありがとうございます」


 領主ジョンソンとその家族が思いのほか喜んでくれたようでほっとした。




 ノースウェラー領では良質の毛が取れる羊やヤギをたくさん飼っているのでさほど費用は掛かっていないが、王都に卸しているものは輸送費もかさむのでかなり高額になるという。そうそう手が出ないと彼らは言っていた。




「本当にノースウェラー産のものは温かいのですよね。感謝申し上げます」


 ジョンソンが温厚な紳士でほっとした。




「いえ、こちらは薪を分けていただきたくて、お願いに上がりましたので」


「もちろんでございます。同じ北方の領地ですから、困ったときはお互いさまです。そうやって代々助け合ってきました。しかし、ただというわけにはいきません」




 この領や領主館をみれば彼らが質素な生活をしているのがうかがい知れる。これは取引だ。




「もちろんです」




 適正価格はハワードから聞いている。初めての商談で緊張していたが、フリードリヒが段取りを決めておいてくれたので思いのほかスムーズに決まった。ジョンソンも見かけ通り誠実な人で吹っ掛けてくるようなことはなかった。




 それどころか「ぜひ、休んでいってほしい」と、ゲストルームに通され、晩餐に招かれた。




 ハワードが「ここで一泊するのは初めてです。よほど毛織物のお土産がお気に召したのでしょう」とびっくりしていた。




「うちの領にはよい宿があまりないのです。この辺境の地まで訪れてくれる観光客もいないのでね」


 と苦笑する。それはノースウェラー領も一緒だ。




 交渉が終わり次第帰るつもりだったが、疲れている使用人たちも暖を取りながら休めるのでほっとした。






 ◇






 五日に及ぶ旅程を終え、城に着いたときは寒さにかじかみ疲労困憊だった。暑さだけではなく、寒さも体力を消耗するものなのだと初めて知った。これで雪が降り積もったら、どうなることやら。




 薪の仕入れを最優先したフリードリヒの気持ちがわかる。これでは領民が凍え死んでしまうだろう。




 城に戻るとさっそく温泉で一息ついた。疲労が湯に溶けていくようだ。城の湯殿は別邸よりもさらに広い。兵士たちもここの温泉につかると聞いた。本当に素晴らしい設備だ。




 この広い城では大きな暖炉で薪も焚くが、温泉を利用した暖房を使っているので、温かくて助かる。シルノフ領にはないものらしいので、とても素晴らしい資源だと思った。




 翌日、ふと思いつき執務の途中でハワードに聞いてみた。


「そういえば、この城以外に領地に温泉はないの?」


「そうですね。自然に湧いてる場所はございます」


「皆はそれを利用しないの?」


「一部のものしか使っておりません。危険なガスが出てくることもありますし、いろいろと整備しなくてはならないので金がかかります。湯の温度もぬるすぎたり、熱すぎたりと使えないものもありますから。そういえば、領都のそばの川に噴き出す天然のものを猟師たちが利用しています」




「それは何か施設でもあるの? 例えば温泉宿とか?」


「温泉宿ですか? いいえ、宿は領都に小さなものが一件あるきりです。川の温泉は猟師や街の男たちが時々利用するだけので、建物もなにもありません」




「もったいないですね。そこに休憩所のような場所を作ればもっと多くのものが利用できるのに。これほど素晴らしい湯殿をつくれるのだもの。技術はあるということですよね」




「もちろんで、ございます」


 ハワードが自慢気に頷いた。彼はここの領地に愛着を持ち、フリードリヒを尊敬し慕っている。話の端々にそんなようすが見て取れた。




「うちでやったら、どうかしら?」


「は?」


「温泉宿を作るの。旦那様は怒るかしら?」


「いえ、領地経営は奥様の裁量に任されている部分もあるので大丈夫かとは思いますが、しかしこのまま戦争が長引くようなことがあれば、今は潤沢な財源も乏しくなっていくかもしれません」


 それはリデルも考えた。思った以上に戦争は金がかかる。




「それなら、私のお小遣いで出来る範囲でやりましょう」


「はあ?」


「旦那様には十分すぎるほどのお小遣いをいただいています。私は別に社交は好きではないし、衣装も必要ないから」




 本当にリデルは小遣いにほとんど手を付けていない。金を払うときはいつも世話になっている使用人たちのために菓子を取り寄せる時だけだ。




「奥様が私財を投じるのですか? あたたかくなったら王都のタウンハウスで休暇を取らなくてよいのですか? 旦那様も是非にとおっしゃっていましたが。執務さえすれば、茶会を開くなり、買い物をするなり、お好きに過ごすようにと……」






 ありがたい話ではあるがリデルは派手好きではない。宿屋が街道沿いにないので、王都に出るには二日も野営しなくてはならない。そこも悩みどころだ。




「そうね。私が王都に行かなければ、その旅費もうくわ」




 ハワードが驚き、不思議そうにリデルを見る。しかし、温泉が存外気に入っていた。




 皆が利用できれば、素晴らしいと思う。




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