第32話

 宿屋の候補地を探していたフリードリヒが、街道沿いに改築するのにちょうどよい廃屋を見つけてきた。


「リデル、書庫で資料を見つけたのだが、昔この領の街道沿いに宿屋が二軒ほどあったらしい」

 彼は勉強熱心で、執務がおわると書庫にこもることが多い。忘れてしまったことを必死に補おうとしている。

「まあ、そうだったんですか」

「おそらく今より栄えていたころもあったのだろう。戦争ですっかり廃れてしまったが。私はこれから廃屋を買い取り、改築する」

 フリードリヒはやる気に満ちている。

「それでは、私も何かお手伝いしましょう」

「リデル、君はやめておいた方がいい。君はここに来る途中馬車酔いに苦しめられたと聞く」

 使用人たちから聞きつけていたようだ。心配そうに言う。

「ええ、確かに……」

 あれはつらかった。街道は寂れガタガタなのだ。途中でぐあいが悪くなれば皆に気を使わせ迷惑をかけてしまう。リデルは今回は諦めた。

「宿をつくるならば、街道も整備しなくては」

「大工事になりますね」

 宿屋ができるのが楽しみだ。


「そうだね。きみも安心して行けるように街道の整備を急ごう。まずは人を集めなくてはな。来年の夏には宿屋を開業できるように今のうちに出来る限り進めておこう。それから内装は一緒に相談して決めよう。女性客も利用しやすいようにね」

 リデルはフリードリヒのその言葉を嬉しく思った。


 彼はその後、力仕事の出来る領兵も引き連れ精力的に土木工事に回り、その間リデルが城での執務を引き受けた。


 ◇


 今日は五日ぶりに夫が城に帰って来た。


 最近では街道の整備や宿屋の改築のためとフリードリヒは外出が多い。久しぶりに二人は晩餐を共にした。

 いつの間にか一緒にいることに慣れて、彼が居ないと物足りない気がしていた。


「リデル、今回は遠くの銀山も回って来たんだ」

 重なる隣国との戦争で銀山の採掘計画はとん挫していたのだ。今は領都近郊のものしか採掘されていない。


「まあ、それでは掘削なさるおつもりですか?」

「埋蔵量は十分だ。リデル、うちにある銀器はここの領地で採取された銀で作られているんだよ」

「そうだったんですか」

「ああ、その頃の資料が残っていた。だから再び銀器の生産をしようと思う」

 フリードリヒが生き生きと語る。軍神と呼ばれた彼はここ数年戦争の合間に領地経営をしていたようなものなのだろう。これから本腰を入れられる。

 リデルはそんな彼の領地開発計画を微笑ましく聞いた。


 ずっとこのまま穏やかな時間が流れればいいのにと、いつの間にか思うようになっていた。



 ◇◇◇



 二人で忙しくしている間に季節はあっという間に過ぎ去り、長い冬が始まった。

 幸い今年は薪が不足することもなく、戦争が終わり報奨金もでたので予算は去年に比べてずっと潤沢だったので、それほど冬支度に苦労することもなかった。


 フリードリヒの指示書があったとはいえ、去年は一人でやった仕事を今は分担できる。

 ときどき記憶のないフリードリヒの質問に答えるだけで、あとはハワードがフォローしてくる。別段リデルの負担になるようなこともなかった。

 それどころか午後は茶を飲みながらドロシーを話し相手に刺しゅうをする余裕までできた。


 リデルは別邸に行くこともなく、城でのんびりと冬を過ごしている。そして、去年に引き続き、城の大きな湯殿を堪能した。


 この城には使用人たち用の湯殿はまた別にある。女性使用人が城に増えるにしたがって、リデルとドロシーでいろいろと施設を改善し整えたのだ。おかげで女性たちにも好評だ。


 それから、リデルが目を付けた川の温泉には、冬になる前に一泊できる小さな宿を作ることが出来た。そのおかげで女性の利用客が増え、冬場にも領民が来るようになり、評判も上々だ。

 

 それもこれもフリードリヒが気前よく出資してくれたおかげだ。リデル一人だったら、もっと時間がかかっていただろうし、どこかで壁にぶち当たっていた。

 

 これで街道の整備が進み宿屋ができれば、観光客も見込める。温泉目当てで、王都から保養に来るものが増えるかもしれない。


 

 フリードリヒは過去の記憶を失っているのに、不思議と領地経営に支障をきたすことはなかった。むしろ、頼りになる。もともと向いているのだろう。

 

 体つきを見ると標準よりずっと大きく、手もごつごつしていて、やはり戦士なのだと思うが、記憶を失ってからの感情豊かな彼を見ていると一年前の彼を忘れそうになる。

 

 あれほど怖くて近づきがたい人だったのに、今では時折二人は遊戯室でゲームに興じ、領地の将来について語り合っていた。


 彼はよく笑うし、人の話も聞いてくれるし、リデルを拒絶しない。何より親切だ。こちらの方の彼が、本来の姿だと思いたい。


 何かがあって、彼はあのように氷のように冷たい人になってしまったのだろう。

(彼の本性は……どっち?)


 リデルは彼がこのままでいてくれたらいいのにと思うが、彼にしてみれば記憶がないことは心細く不安なのだろう。


 リデルはその問題を棚上げにして、いつ終わるかもしれないこの生活を楽しむことにした。

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