第6話

 リデルはその晩、悶々としてベッドの中で過ごした。この婚姻に不安しか感じない。




 しかしどうにも寝付けなくて廊下へ出ると、サロンから明かりが漏れているのが見えた。誰か起きているのだろうか? 近づいていくと話し声が聞こえてきた。




 伯父夫妻や従姉も起きているようだ。


「なぜ、あの子が侯爵様と結婚を? 私は子爵家に嫁ぐというのに。舞踏会で一度だけ見たことがあるわ。とても美しい方だけれど、どの令嬢にも今まで靡かない方だったのに、どうしてリデルなの? 私の方が美しいじゃない」


「あのお方はやめておけ」


 伯父が珍しくイボンヌをいさめる声が聞こえる。




「どうしてなの?」


「娼婦の愛人を囲っているとか、女性に興味がなく男色なのではないかという噂まである。軍隊にはよくあるそうだ」


「だとしてもよ。金があるわ。私が行った方がよくない?」


「リデルは侯爵からの指名だ」


「え、なぜ?」


 イボンヌが驚きの声を上げる。




「お前は正式なドリモア家の人間とは認められないそうだ」 


「はあ? 何それ、どいうこと?」


「弟夫婦が亡くなったので私が家督を継ぐことになったが、お前たちはもともと庶民だろ。だから断られた。この家で貴族なのは私と先妻の子クルトとリデルだけだ」




「そんな馬鹿な! 私たちはれっきとした貴族だわ」


「私がお母様の連れ子だからってあんまりよ!」


 ミネルバとイボンヌが抗議の声を上げる。




「この国の慣習でね。お前たちは貴族とは認められない」


「でも舞踏会にはお呼ばれするし、殿方もレディとして扱ってくれるわ」


「それは大きな商会の娘も同じだし、女優や俳優もそうだ。それにイボンヌ、お前はギルバートが好きでリデルから奪ったのではないのか?」




「そんな……ちょっと暇だったから相手にしただけよ。田舎者のギルが勝手に私に夢中になってリデルを捨てたの。私っていつもそうちょっと愛想良くすると男が勘違いして寄ってくるの」


 それを聞いてオットーがため息をつく。




「リデルは嫁いだとしてもお飾りの妻だし、侯爵家の領地は冬には雪と氷に閉ざされると聞く。王都に出てくるだけでも大変だ。お前には合わない。やめておけ」




「でも、侯爵家の妻よ。それにあのお方は先の戦いで軍神として国民に慕われている。彼がこの国にいれば、他国に脅かされることはないとまで言われているわ。地位も名誉もあるし資産もあるから贅沢できる。それをみすみすリデルに渡すというの?」




「お前は将軍という職と侯爵の地位に惑わされ勘違いしている。質素な方で、派手なことは嫌いだし、そうとうな変わり者でただの戦争屋だ。それに領地は極寒の地と聞く。嫁いだとしても華やかな生活は期待できない」


「王都のタウンハウスにずっといればいいじゃない?」


 当然のことのようにイボンヌが言う。


「そんなわけにいかないだろう」


 伯父が唸るような声を上げる。




「いっそのこと、先に縁談がきた年寄り伯爵ののち添えにしてやればよかったのに。あの娘が侯爵夫人だなんて生意気だわ!」


 悔しそうに叔母が言う。


「仕方がないだろう。侯爵家の方が全然いい条件で縁談を持ってきたのだから。それもこれもこの家に借金があるかこうなったんだ」




 暇だったからギルバートの相手をした?


 盗み聞きなんて卑しい者のすることだ。しかし、リデルの足は根が生えたようにその場から動かなかった。腹が立ってしょうがない。悔しさに歯噛みする。




 しかもリデルは伯爵家と侯爵家の間でより高値を付けたほうに売られたのだ。




 侯爵は冷血漢で、結婚を契約と呼ぶ。譲れるものなら、いつでもイボンヌに譲りたい。




 彼は図々しいという親戚に対するけん制の意味もあって代々貴族の血を受け継いでいるリデルを選んだだけ。






 ◇◇◇






 ウェラー侯爵が訪ねて来てから半月もしないうちに、リデルは迎えに来た侯爵家の立派な馬車に乗って、王都へ向かうことになった。




 侯爵と結婚するためだ。フリードリヒは忙しいとのことで、迎えに来たのはウェラー家の家令だった。




「こんなに急なお話だとは思いませんでした」


 高位貴族の結婚は準備がいろいろとあり、もう少し婚約期間が長いものだと思っていた。




「ええ、ご主人様は結婚を急がれています。というのもわがノースウェラー領は王都に比べて冬が来るのが早く、寒さもきびしいので社交シーズンが終わる前後に冬支度をしなければなりません」




「冬支度ですか?」


 ウェラー家の治めるノースウェラー領は王国の北方に位置し王都まで片道五日以上かかるという。ドリモア家は領地こそ狭いものの王都へ行くには二日もあれば十分だ。




「薪の調達や食料の保存、建物の補強などいまのうちにやっておかなければ多々あり間に合わないのです。だから、この時期を逃すと結婚は来年以降になってしまします」




 リデルにはいまひとつピンとこないが、侯爵家にもいろいろと事情があるようだ。




 持参金もなしでウェディングドレスも飾りもすべて侯爵家で用意してくれるということで、リデルは身一つでウェラー家に嫁ぐ。その上、ドリモア家の借金の肩代わりまでしてくれる。この結婚は伯父家族にとっては渡りに舟だ。




 馬車から窓外の景色を眺めるも、もう二度と戻ってこないだろう領地に、驚くほど何の感傷もわかなかった。両親亡きこの地は、すでに自分の故郷ではないのだと感じた。




 大切な場所が伯父家族にけがされてしまった気がした。わずかばかりの解放感を胸にリデルは生まれ育った領地を後にした。






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