第7話
ウェラー侯爵家はドリモア家よりもずっと大きくて立派なタウンハウスを所有していた。門から馬車でエントランスへと向かう。
いちおう夫となるフリードリヒの出迎えはあったが形ばかりで、彼はにこりともせず、すぐに執務室に引きあげてしまった。覚悟はしていたが、やはり歓迎されていないようだ。
リデルは家令に案内され玄関ホールにある大きな中央階段を上り、天井が高く長い廊下を歩き、大きな両開きの扉の前へ来た。
「こちらがリデル様のお部屋です」
家令が扉を開けると意匠を凝らしたティーテーブルに座り心地のよさそうなソファーや椅子が目に入った。そして大きな陶器の花瓶にはまるでリデルの到着を歓迎するかのように赤やピンクからなる大輪のバラがいけられていて、続いて案内された寝室には美しい布が重なる天蓋付きのベッドがあった。あまりの豪華さにリデルはたじろぎ、戸惑った。
(もしかして、歓迎されているの……?)
茶を飲んで一息つくと、すぐに婚礼の衣装合わせが始まった。純白のドレスにパールがあしらわれた豪華なもので、サテンの布地が光沢を放つ。パールやダイヤの飾りに驚かされた。あまりにも高価すぎて本当にこれを自分が身に着けるのかと信じられない気持ちで、どこか他人事のように感じられた。
その後は式の手順の説明を受け、結婚式を挙げる神殿に赴き挨拶し、三日後には神官の前で形ばかりの誓いを交わし、侯爵家とは思えないほど簡素な結婚式を挙げた。リデルの豪勢なウェディングドレス以外は……。
物事は驚くほど慌ただしく、淡々と進んでいく。そのせいかリデルには、誰かの妻になったという実感がわかない。
突然降ってわいた結婚と環境の大きな変化に気持ちがついていかないのだ。慣れない生活の中に、ぽつりと取り残されたような気がした。
◇◇◇
使用人たちはみな親切で働き者でかいがいしくリデルの世話をしてくれるが、夫とは家令を通しての筆談だ。それほど妻に会いたくないのか、噂通りの変わり者なのか……。宙ぶらりんな状態で、リデルは屋敷の中でもどうふるまったらよいのかわからない。
それに結婚の条件からして風変りだ。
リデルが侯爵と交わした契約は、彼が留守の間領地を預かることと、業突く張りな親戚から領地と使用人たちを守ることだ。
食事は当然のように夫婦別で、用があっても直に会って話すことはかなわず筆談と言うのは18歳になったばかりのリデルには思いのほか堪えた。
彼を夫だと思うから、嫌われているのかと悲しくなったり、疎まれているのかと傷ついたりするのだ。ならば、雇用主だと割り切ってしまえばいい。
「つまり、使用人頭のような何か……かしら?」
リデルは食後の紅茶を飲みながら独り言ちた。
◇◇◇
三日後、王宮で開かれる夜会に参加した。リデルのお披露目も兼ねている。フリードリヒは侯爵夫人にふさわしい、シャンパン色の華やかなドレスと大きなエメラルドをダイヤで彩ったネックレスを贈ってくれた。袖がふわりと膨らんだ最新流行のデザインだ。
衣装も飾りもリデルの柔らかなライトブラウンの髪や若草色の瞳に映えよく合っていた。
結婚式のときにいただいたパールやダイヤも素晴らしかったが、借金がある身でさすがにここまでしてもらっていいものかと気が引ける。生まれて初めて身につけるものばかりだ。肌着すら滑らかで心地よい。
メイドたちに髪を結われ、化粧を施され「奥様、お美しいですよ」と褒められると、心細さも和らぎ気分が高揚してきた。
それから夫婦そろって、初めて同じ馬車に乗り王宮へ向かう。馬車の中では多少の打ち合わせはあったものの両者ほぼ無言でぎこちない空気が流れていた。
夫はリデルがドレスや飾りの礼を述べても頷くだけで反応が薄く、早くもリデルの気持ちは萎んできた。
馬車から降り、フリードリヒにエスコートされ会場に向かう。彼のエスコートは少しぎこちなく、女性にあまり慣れていない様子がありありと伝わってきた。それどころか彼はリデルとの間に適度な距離を保って、決して近づいてこようとしない。嫌われているというより、恐れているかのように感じられた。
(……まさかね?)
リデルは不思議そうに背の高い夫を見上げた。
その姿に緊張している様子は微塵もないが一部の隙もなく会話の糸口すら見つからない。
彼は初めて会ったとき、干渉しあわない仲が望ましいと言っていた。だから私語は厳禁なのだろうか?
貝のように心も口も閉ざす夫に、リデルはそっと溜息をついた。これから彼とは長い付き合いになる。普通の夫婦になれなくとも、もう少し距離を縮めたいと考えていたが今はまだ無理そうだ。
ウェラー侯爵家が付き合いのある王侯貴族への挨拶が済むと、騎士であり彼の同僚だというトニー・アンドレア卿に紹介された。彼は戦場では常にフリードリヒの副官を務め、付き合いも長いという。トニーはフリードリヒと違い、きさくで陽気な人だったので軍人にもいろいろあるのだなとリデルは思った。
それからフリードリヒとダンスを一曲踊る。下手ではないのだが、彼のリードはどこかぎこちない。社交はあまりしないと噂には聞いていた。踊りなれていないようだ。
リデルがそんなことを考えながらステップを踏んでいると彼が一言ぼそりと言った。
「私は軍人だ。いつ何があるかわからない。もしものことがあれば、トニーを頼れ」
リデルがはっとして顔を上げた瞬間、ダンスは終わった。
そのあと、すぐに彼は王族席に呼ばれてしまった。二年前の戦争での功績が認められ今や王家の信頼も厚いらしい。この国の第二王子と真剣な表情でひそひそと話し込んでいる。
そういえば、リデルが王都の夜会に来たのはこれが初めてだ。想像より、ずっときらびやかでまるで別世界に来てしまったよう。
心の準備をするまもなく結婚したせいか、すべてが夢の中のできごとのようでふわふわとして現実感がわかない。そのせいだろうか。思ったほどどきどきすることもなく、緊張感も薄い。
一人ぽつんと立っていても仕方がないので、リデルは壁際に移動する。給仕から飲み物をもらって席につき、やることもないのできつね色の焼き菓子をつまむ。バターが香ばしく口の中でほどけていく。これほどのおいしい焼き菓子を食べたのは初めてだ。
隣の皿のオードブルも手を伸ばしてみた。最高においしくてリデルは舌鼓を打つ。この料理が食べられただけでも王宮に来たかいがあるというもの。
しかし、貴婦人たちは先ほどからチラチラとリデルを観察するばかりで誰も近寄ってこない。婚約者を庶民出の従姉に奪われ、そのあとすぐ侯爵家に売りに出された娘と、ひそひそと噂されているのだ。その上身分差のある結婚。
みなリデルとの距離をはかりかねているのだろう。「すぐに離縁されるのではないか」という話まで耳に入ってくる。社交界の面々は聞きしに勝るゴシップ好きだ。扇子で口元覆いクスクスと笑い、「あの娘が、お飾りの妻よ」と聞こえよがしに言われ多少居心地が悪くなってきた。
「リデル」
そんな時に名を呼ばれ顔を上げるとイボンヌがいた。彼女は何かやらかして、今年は社交はしないといていなかったか?
いずれにしても、故郷を出てから一番見たくない顔だった。
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