第40話

「リデル、リデル、大丈夫か!」

 夫の必死な呼びかけにリデルはぱちりと目を開ける。そこは見慣れたリデルの寝室だった。


「旦那様……」

 今まであったことを思い出し、リデルはがばりと起き上がる。


「まさか、伯母様たちは、もう?」

「いや、それに関して一週間後に執行する」

「どうか、旦那様。おやめください! ここは戦場ではないのです。誰も殺さないでください。伯父家族の旦那様に対する非礼は謝りますので、なにとぞ」

 リデルが必死で頭を下げる。


「やめてくれ、リデルには何の非もない。私はお前が不当に貶められ、一方的に暴力を振るわれたことに腹を立てている。それにやつらは使用人たちが進めていた冬用の保存食にまで手を出し、酒を開けまくり、飲み残し食料を無駄にした」

 寒いこの地では冬の酒は必需品だ。領主ならば怒って当然である。


「いえ、それは彼らを城に入れてしまった私が至らなかったのです。旦那様への侮辱は許されませんし、使用人たちに嫌な思いをさせてしまいました。私が償いますから、どうか」

 リデルの頬を涙が伝う。フリードリヒがやさしく拭った。


「そんなわけがないだろう? 君はよくやってくれている。リデル、なぜ、そこまであいつらを庇う。まるでけだもののような奴らではないか?」


「それでも、縛り首だけは……」

 もちろん彼らのことは大嫌いだ。リデルを利用し傷つける意図はあっただろうが、あやめる気はなかったはず。


「私は、嫌いな人間は姿が見えなければそれで満足です。彼らが二度と私の前に現れなければ、それで良いのです。それから皆に迷惑をかけたので保存食を作るお手伝いをします」

「いや、それについてリデルが止めてくれたから、最小限ですんだ。問題ない」

 貴族には面子がある。このままでは済まないこともリデル重々承知している。


「旦那様、どうか……」

 リデルはすすり泣き、フリードリヒの体温を確かめるように抱き着いた。フリードリヒはリデルの細い腰を抱き、なだめるようにやさしく背中をさする


「少し待ってくれ、君の知らない間に彼らを処分することはないから、今はゆっくり休め」

 そう言ってフリードリヒはやさしくリデルの髪をなで、ベッドに横たわらせた。


「旦那様、もう少しだけここに」

 心細かった。リデルの知らない間にフリードリヒが変わっていきそうで、もとの冷たい彼に戻ってしまいそうで。


「大丈夫。君が寝付くまでここにいよう」

 フリードリヒの指示で、ドロシーが温めた薬草酒を持ってきてくれた。

 それを飲み干すころにはリデルは、フリードリヒに包み込むように手を握られたまま眠りにいざなわれた。



 ◇◇◇



 フリードリヒは、眠りについたリデルを愛しげにしばらく眺めると、顔を引き締め執務室に戻った。


 執務室にはハワードやドロシーの他、主だった領兵がそろって待機していた。みな一様に厳しい表情をしている。

「奥様のご様子は、いかかですか?」

 ドロシーがリデルを気遣う。


「ああ、今は寝ている」

 それ聞いて皆がほっとしたように胸をなでおろす。リデルは使用人たちに好かれているのだ。その大切な奥様がひどい目にあわされ、しかも主をけなされたことに腹を立てていた。


「旦那様、ドリモア卿から先触れがきました。まもなく早馬で到着するようです」

「なるほど、現当主のクルトか」

「刑の執行はどうなさるおつもりですか?」

 ハワードが硬い表情で聞いて来る。

「即刻、縛り首にしたいところだが、それを実行したらリデルが私を恐れて口をきいてくれなくなるかもしれない」

 いつもは即断即決の彼が、悩ましげ額に手を当てる。


「それは困りましたね。私も妥当な刑だと思うのですが」

 ハワードが言う隣でドロシーも頷く。リデルは北方の人間の純朴さと情の深さは知っているが、その分彼らが敵に対して苛烈なことに気付いていない。


「本当に奥様とはうまくいってらしたのに。そんなことになれば残念です」

 ドロシーの言葉に、皆同時に溜息をついた。


「そうだな。あいつらをこの領で処分するわけにはいないだろう。まずはクルトの出方をみる。あの家族が面倒になってこの領へ送ったのか、それとも管理もせず野放しにしていたのか」


 フリードリヒのアイスブルーの瞳が鋭く光った。

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