第4話 意思確認!
「……本当にいいの?」
『
すでに婚姻届は受理されてしまっていて、法的には成立してしまっている。
それでも意思確認を怠るわけにはいかなかった。それほどに現実味がない。
蓮自身も内心では『ちょっとしつこすぎるかな?』とは思っていたが、こればっかりは止められない。
「私としては否やはない。古谷は、その――どうして、そんなに何度も尋ねてくるのだ?」
眉をひそめながら、そんなことを問われても困ってしまう。
まるで自分がおかしいみたいじゃないかと文句のひとつも言いたくなる。
代わりにワザとらしいほどの大げさなため息をついて見せて、逆に尋ね返す。
「その前に確認しておきたいんだけど……新堂さんって今は何を?」
「今? ……ああ、私は〇〇大学に通っている。二年生だ」
葵は現在大学生。それも地元の有名な大学だった。
高校三年生では進学クラスだったから予想どおりだった。
ちなみに蓮と同い年だから、今年で二十歳になるはずでもあった。
否、酒を口にしていたから、既に成人しているに違いない。
――あの同窓会、ひょっとして未成年も混じってたんじゃなかろうか?
ごく当然の話として、蓮は参加者全員の誕生日など覚えていない。
今さらになって未成年飲酒の可能性に思い至って、背筋が震えた。
そんな蓮の心中を知ってか知らずか、葵は何気なく言葉を続ける。
「古谷は確か……」
「僕は就職してる」
口早になってしまった。
蓮と葵は高校三年生の時、同じクラスだった。
つまり蓮も進学クラスだったのだ。
しかし、蓮は高校卒業後、進学することなく就職の道を選んだ。
自らの選択に悔いはないものの、かつて目指した道を征く元同級生を前に虚心でいられるほど人間ができているわけでもない。
「そうか、凄いな。私も遠からず就職活動をすることになるのだろうが……なるほど。うん、古谷の懸念がわかってきた」
葵は腕を組んだまま、うんうんと頷いている。
経済力の問題は決して軽んじることはできない。
だから――蓮も自身の思うところを素直に告白した。
「自信がないんだ」
「自信?」
蓮は力なく頷いた。
「新堂さんは、その……僕にはもったいなさすぎる人で、結婚してくれるって言われてうれしいのは確かなんだけど……僕は、新堂さんを幸せにする自信がない。性格とか能力だけの問題じゃなくて、率直に言ってお金がない」
身も蓋もない上に情けない話ではあるが、金の話を有耶無耶にはできない。
どこぞの漫画で『金は命より重い』なんてフレーズを目にしたことがある。
さすがに命と比べるのはどうかと思うものの、現代日本において金の有無が人生のクオリティに直結していることは認めざるを得ない。
既に就職してひとり暮らしを始めている蓮は、その残酷な現実を肌身で感じている。
こんなトラブルじみた結婚で、葵を苦難の人生に付き合わせたくはなかった。
葵は目を閉じて顎に指を這わせた。
言葉を探しているように見えた。
ややあって――
「それは私も同じだ。私だって古谷を幸せにする自信なんてない。大層な人間でもない。成人しているとはいっても親の脛を齧っているだけの未熟者に過ぎない。はぁ……考えてみれば、私なんてアルバイトすらしたことないぞ。しかし――いや、ちょっと待った。先ほどから気になってはいたが……その、古谷は自己評価が低すぎるのではないか?」
優しい口ぶりだった。
蓮を気遣う意図を感じることができて嬉しい反面、その言葉は同時に目の前の女性が自身に無頓着であることを如実に物語ってもいた。
断言できてしまうが『新堂 葵』から求婚されて喜ばない男なんて早々いるはずがない。
葵の内面について完全に把握できているわけではないにしても、外見面だけをピックアップした段階で十分すぎる。
スタイル抜群の美人。しかも二十歳の現役大学生。
この時点で彼女の恋人として立候補する男は後を絶たないだろう。
目を覚ましてから今までの会話で受けた印象の範囲では、性格だって真摯であり好感が持てる人柄であるように思える。決して蓮の勘違いでも依怙贔屓でもない。
風変わりなところがあるような気がしなくもないが、それは愛嬌の範囲に収まるもの。
実家は地元では有名な剣道の道場を営んでいると聞き及んでいる。
冗談抜きで嫌う要素がどこにもない。
対して『古谷 蓮』という人間は――まぁ、良くも悪くも普通の男だ。
――自己評価が低いのはどっちだよ!?
そのあたりをとことん問い詰めてやりたい欲求に駆られたが……どれだけ言葉を尽くして心を砕いて説得しても、葵は納得しないのではないかという気がした。
あくまで『なんとなく』ではあるが、確信めいたものを感じる。
これまで心の凪に苦しめられてきた彼女にとって、異性と関わる中で『ドキドキする』ことは至上命題なのだ。
少なくとも恋をした経験がある蓮には、永らく葵を苛んできた静謐を共有することはできない。
だから、葵の心情を軽んじることもできない。
「それと、もうひとつ」
「まだ何かあるのか?」
葵の声にモヤッとした感情が混じっていた。
蓮としてはむしろこっちが重要だったのだが。
「あのね新堂さん。僕と結婚するっていうことは、その……僕とそういうことをするってことなんだけど、その辺のこと、ちゃんとわかってる?」
「そういうこと」
「昨晩泊まってたホテルでするようなこと」
「ああ……そういうことか。そういう……」
ブツブツと呟いていた葵は、ここにきてようやく蓮の懸念に得心行ったらしい。
その証拠に頬を真っ赤に染めている。耳まで赤い。可愛いかよ。
――年頃の女の子なんだから、そっちの心配をしなよ……
今朝だって動転していたからスルーしたけど、先に目覚めた蓮が不埒な思いを遂げようと暴挙に出ていてもおかしくなかったのだ。それを本人の目の前で『シャワー浴びたい』とか言って……考えれば考えるほどに腹が立ってくる。少なくとも葵は蓮を異性として認識していなかったに違いない。
胸のドキドキはどこへ行ったのか、小一時間ほど説教してやりたい。
「新堂さん、ひょっとして結婚を遊園地のアトラクションとか映画と勘違いしてない?」
「……私はそこまで人でなしではないつもりでいるのだが?」
不機嫌な葵の眼差しを真っ向から受けた。
学生時代では考えられないシチュエーションだったが、ここは後に引けなかった。
しばらく向かい合い、睨み合い、そして――
「すまない。私の考えが足りなかった。その、まったく意識していなかったわけではないのだが……古谷ほど真剣に考えられていなかった、と思う」
葵が退いてくれた。
たどたどしい口ぶりからは、完全に納得してくれてはいない気配を感じたが……同意を得られる程度には思想信条の類に隔たりがないようで、正直ホッとした。
「わかってくれればいいよ。僕の方こそ偉そうなこと言ってごめん」
「いや、古谷が謝る必要はない。さすが社会に出ているだけあって大人だ。この状況でそこまで気を回せるのは凄いと思うぞ。ふむ……そうだな、結婚するのならそういうことを考えるのは当然だ。いずれ子どもだってできるだろうし」
「あ……うん、そうだね」
性的関係についての意識がすっ飛んでいたくせに、一足飛びで子どもの話が出てきた。
アップダウンが激しすぎて、ちょっとついていけそうにない。アクセル踏みすぎだろ。
葵は顔を真っ赤にして指をこちゃこちゃやりながら、とんでもないことを口走っている。
――これ、無意識なんだろうなぁ……
零れそうになるため息をぐっと堪える。
そんな蓮の前で葵の口上が続いていた。
「その、私だって、その……興味はある。ただ、ちょっと考えさせてほしいというか、時間がほしいというか。でも、真剣なんだ。それだけは信じてほしい」
「興味あるんだ……」
あの凛としたサムライガールな『新堂 葵』がエッチなことに興味津々という言葉に驚いて、思わずまじまじと見つめてしまった。
整った顔立ちは羞恥で真っ赤。向けられる漆黒の瞳は濡れていて。
両手で隠されたボリューミーな胸元が、却って量感と質感を際立たせていて。
思いっきり生唾モノの光景だった。ガン見してたら睨み返されたが……目が離せない。
「うう……古谷ぁ」
悔し紛れな半泣き顔が卑怯すぎるほどに可愛い。凛々しさが仕事をしていない。
いささか情緒不安定気味ではあるものの、葵はどこまでも真摯であり必死でもあった。
だから――蓮は覚悟を決めた。
「うん、新堂さんを信じる。それに……そこまで言わせちゃったからには僕も腹をくくるよ。これでも一応男だし、面子とかプライドとかあるし」
「女だって面子もプライドもあるぞ。大体だな……窓口で必死にやり取りしてくれていたことは、その、当然の対応だったとは思うのだが……正直、ちょっと腹も立ったのだぞ」
そんなことを言って、ぷ~っと頬を膨らませた。
仕草は可愛かったが、蓮としては首を捻らざるを得なかった。
なぜ彼女が怒るのか、どうにも理解が及ばない。
意図を尋ねるべきか迷った末に、口を開いた。
「……何か怒らせるようなことしたっけ?」
「……そこまで私と結婚するのが嫌なのか、と」
「え~」
――いや、そうなるのか?
口では不平を漏らしつつ、心の中で自問した。
意に添わぬ状態で成立してしまった婚姻関係。
その解消は求めてしかるべきであると疑いもしなかったが、まさか裏で葵の矜持を傷つけていたとは……
「新堂さん、そんなに僕と結婚したかったの?」
「そうではない。そうではないんだが……あそこまで拒否されると、それはそれで納得できないというか」
「理不尽すぎる」
「お互い様だな。言い出したのは私だが、この件を引っ張るのはやめよう」
「賛成。新堂さん……これで最後にするけど、後悔しないでね」
後悔させる気はない。
その思いは胸に秘めた。
「そちらこそ、後悔するなよ」
混ぜっ返し合って、ふたりで顔を見合わせて笑った。
つい今しがたまでロクに会話もなかった『古谷 蓮』と『新堂 葵』のカップリング。
目を覚ました時のトンデモ状態からは思いもよらない話の流れになったけれど――案外上手くやっていけるのではないかと、素直にそう思えた。
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