第7話 わからないから聞いてみた!
「はぁ」
平日の昼休み、職場の片隅に配置された自分のデスクで。
昼食を口に放り込みながら、
机の上に広げられた弁当は、昨晩の夕食の残りを適当に詰め込んだ有り合わせ。
これが月曜の昼だったら『蓮、明日の弁当はこれを』なんて
別にマズいわけではないが、自分で作った献立を二日連続。
以前はさほど気にもしていなかったが……妻のお弁当すなわち愛妻弁当の味を知ってしまった今となっては、どうにもテンションが上がらない。
しかし……違う。
ため息の原因は他にある。
『だって――僕が葵さんを惚れさせるから』
葵が初めて蓮の家に泊まった夜、今にも泣き崩れそうになっていた妻に誓った。
恋をしたことがない自身を嘆き、蓮を巻き込んで後戻りのきかない道に足を踏み入れたなどと謝罪する葵を慰めたくて『気にしなくていい』と胸を張った。
論理的に導き出した言葉ではなかったし裏付けも何もなかったが、嘘をついたり誤魔化したりしたつもりはなかった。
心の底からの本音、百パーセントの本心からの言葉であった。
蓮の本気を感じ取ってくれたからこそ、葵も心を落ち着けてくれたのだと思う。
あれ以来、ふたりの生活は順風満帆と言って差し支えない。
……まぁ、まだ始まってから一か月も経っていないが。
妻である葵は、毎週土曜日に蓮の家に訪れて一泊し、日曜日に帰っていく。
夫婦の営み的な行為は『葵が蓮に惚れてから』ということで話がまとまっている。
あとは蓮が有言実行して葵を惚れさせれば万事解決。なのだが……
――どーすんだよ……
頭を抱えて項垂れ、盛大にため息をついた。
とてもではないが、葵には見せられない姿である。
しかし、しかしだ。これが悩まずにはいられようか。
『惚れさせる』などと嘯いたはいいものの、いつまでたっても突破口が見えてこない。
ふたりが結婚していることは、ふたりのほかには葵の親友である『
愛華にも口止めしているし、週末婚(?)を除けば葵の生活は何も変わっていないはず。
今や蓮の妻である葵こと『
だから――きっと今でも彼女はモテていて、数多の誘いを跳ねのけている、はず。
それはとても喜ばしいことであり、ひそかの誇らしくすら思えることなのだが……逆に考えれば、状況がまるで進展していないということでもあった。
葵がどのような男性に好意を抱くのか。
容姿、性格、能力などなど……
彼女が袖にしてきた多くの男たちはバラエティ豊かな面子に違いなく、しかし、その中には葵の心の琴線に触れたものはひとりもいないのだ。
惚れさせるとカッコつけたはいいにしても、サッパリ見通しが立っていない。
気のせいかもしれないが……ここ最近、葵から期待に満ちた視線を感じることがあった。
『まだ焦るような時間じゃない』と心の中で唱えてみても、なかなかどうして落ち着いてなどいられない。
とりあえずネットでその手のサイトを見て回ったり、恋愛的教本を電子書籍で買い漁ったり(実物を買ってしまうと葵に見つかったときが怖すぎる)したものの、その手の情報はきっとこれまで玉砕してきた男たちだって参考にしてきたに違いなく、おそらく何の役にも立たない。
今も冷凍コロッケを口に放り込みながらスマートフォンをチェックしているが、やはり何も有益な情報なんて見当たらない。
「古谷さん、何してるんですか?」
訝しげな声が隣から飛んできた。
頭を上げてみると、今年度新規採用された年上の後輩氏が気遣わしげな視線を向けてきていた。
新年度当初は距離を感じていたものの……何度となく仕事を手伝ったせいか、以前よりもずっと雰囲気は柔らかくなっている。悩み事はひとりで抱え込んでいてもロクなことにならない。特に仕事に関する悩みは早めに共有しておくに越したことはない。
ようやく彼もそのあたりに理解が及んだ様子で、先輩としてはひと安心といったところ。
男に好かれても嬉しいことは特にないにしても、仕事のやりやすさは段違いに向上した。
それはとても喜ばしいことであって――
――ん?
一瞬、何かが意識の片隅に引っかかったような気がした。
心の中で首を捻ったが……残念なことに答えは蓮の手をするりと潜り抜けて消えていった。
「ああ、これ? ま、その、ちょっとね……」
当たり障りのなく、そしてまるで意味をなさない言葉の羅列で奇妙な空白を誤魔化そうとすると、スマホの画面をのぞき込んできた後輩がギョッと目を見開いた。
「ふ、古谷さん、浮気はマズいっすよ」
「誰が浮気なんかするか、誰が」
想像していたよりも、かなり重くて冷たい声が出たらしい。
その証拠に後輩氏が思いっきり仰け反っている。ドン引かれている。
常日頃は冗談でも怒ったりしないよう心掛けていたので、ギャップが大きかったかもしれない。
「あ、いや、だって……あんな若くてきれいな奥さんがいるのに、何でこんな……やっぱヤバいですよ」
「その奥さんにもっと好きになってもらうために見てるの」
「のろけっすか」
「自分だって彼女いたじゃん」
「いや、アイツはただの腐れ縁で」
もごもごと口ごもる後輩を見て、不意に蓮の脳裏に閃光が奔った。
そう、目の前の後輩と親しくなった最大の要因は、仕事を手伝った云々ではない。
葵とともに買い物に出かけた際に、偶然女連れ同士で会ったことがきっかけだった。
言い方は悪いが、似たり寄ったりの年齢と似たり寄ったりの関係で、その関係を周囲に秘密にしたいという思いも似たり寄ったりだった。
お互い黙秘を誓い合ったあの日から、蓮たちを取り巻く状況は好転し始めたように思う。
ちなみに、本人はただの腐れ縁などとほざいているが、蓮の目にはかなり仲睦まじい間柄に見えた。
家に帰ってから葵とも話してみたが、彼女もまた『いいカップルだな』と微笑んでいた。
あれはきっと羨んでいたのだろうなと、今ならわかる。
「ね、君とあの彼女さん」
「腐れ縁です」
「……ま、別にいいけど。どうやったらあんなに仲良くできるのか、ちょっと秘訣を教えてほしいな~と」
「別に仲良くなんかないです」
「はいはい。仲良くなくてもいいから、普段どんな感じで接してるのかとか、そんなのでもいいから」
「……何でそんなに必死なんすか?」
訝しさに戸惑いをブレンドさせた瞳。
言い方を変えると不審者を見る目つきだった。
目の前の後輩は葵の存在と蓮との関係を知ってはいるが、葵が抱えている悩みまでは知らない。
彼女を苛む苦しみは、おいそれと他者に言いふらす類のものでもない。
それほど親しい間柄ではない後輩に教えるつもりは爪の先ほどもなかった。
その一方で、同年代で彼女持ちの男からアドバイスが欲しいことも事実だった。
書物もインターネットも頼りにならないとあっては、リアルな知り合いの実体験ぐらいしか当てになりそうなものが思いつかない。
しかし……残念なことに、蓮は基本的に友人が少ない。
同年代かつ彼女持ちなんて条件を付けるとなると、もはや皆無だった。
だから――この後輩は逃したくない。是非とも彼の話は聞いておきたい。
本人は認めたがらないが、ふたりの距離感は傍からは絶妙に見えた。
葵が羨むほどの関係なのだから、きっと参考になるはずだ。
出来れば彼女(後輩曰く腐れ縁)の方の意見が聞けるとなお良いのだが……これはさすがに難しそうだった。
「えっと、君も見たとおり、僕の奥さ……彼女、とってもかわいいでしょ」
場所を変えるのは不自然に過ぎるので、声を潜めた。
『妻』とか『奥さん』とか言う呼称も避けて『彼女』にする。
蓮はまだ結婚したことを上司にも報告していないし、職場で明らかにもしていない。
「それはまぁ、確かに。つーか、現役JDとかヤバくないですか?」
面と向かって言われると、まったくもってそのとおりだった。。
現役美人JD妻とか、字面からして破壊力ありすぎる。
これが現役美人JK妻だったら別の意味でヤバい。犯罪臭が半端ない。
「成人してるから問題ないよ。でもまぁ……『彼氏』としては不安にはなるわけでさ」
「すげーわかります。あんな美人が大学に行ってるとか悪い虫がつかないか気が気でない」
「そう、それ。だから、僕としては『彼女』の心を繋ぎとめるための努力を惜しみたくないわけ」
そこは問題視していなかったが話を合わせておいた。
……冷静に考えてみると、結構不安になってきたりもする。
葵のことは信じているし、傍にいてくれるであろう愛華のことは頼りにしている。
理屈ではわかっていても、納得できるかどうかは話が違うわけだ。
男の嫉妬はみっともないと思うけど、どうにもならないことはある。
「はぁ……いや、わかります……一緒にいられないのってキツイですよね」
「そう、それ。そうなんだよ。ほんと辛いよ」
「……まぁ、先輩には世話になってるしなぁ。でも、アイツの話なんて役に立つとは思えませんけど……」
「根掘り葉掘り聞こうとまでは思ってないんだ。ただ、藁にもすがりたいって心境で」
「そこまで言うなら……でも、ホント、あんまり期待しないでくださいよ」
無理に聞き出そうと思ってるわけじゃない。でも、頼りにしている。
たまさか選んだ論法が、彼の自尊心を上手くくすぐったのだろうか。
不承不承といった体ではあったが、後輩氏はぽつりぽつりとこれまでのいきさつを語ってくれた。
なお、その表情はドヤ顔とにやけ顔の絶妙なブレンドで……
――これで腐れ縁はないだろ……鏡見なよ。
調子に乗ってきたらしく軽快に舌を回転させる後輩を前に、あの時目にした腐れ縁(仮)な彼女に心の中で同情した。
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