第6話 リベンジディナータイム 前哨戦?
「よし、買い物へ行くぞ!」
唐突に
興奮して眠れなかった昨晩からの睡眠不足なバッドステータスにプラスして、おなかいっぱいからの眠気な状態異常がダブルパンチで
崩れ落ちそうになる頭を気力で支えていた蓮は、『これはマズい』と反射的に疑問を唱えた。
「え~っと、どういうことでしょうか、葵さん?」
「どうもこうもない。これから夕食の支度をせねばならんだろう!」
「夕食って、今お昼食べたばかりなんですが」
語るまでもない常識論を展開してみた。
本音を言えば少しでいいから昼寝がしたかった。
今横になったら、そのまま即座に夢の世界へ旅立てそう。
心地よいことは疑いようもなく、そんなタイミングで外出する気になんて――
「ちょ、ちょっと待った。今、夕食って言った?」
「言ったが、それがどうかしたか?」
聞き間違いかと思って聞き直したら、あっさり肯定された。
妻は『お前はいったい何を言っているのだ?』的に眉をひそめている。
驚きのあまり襲い来る眠気はどこかへ吹っ飛び、テーブルに手をついて距離を詰めた。
「いやいやいや、葵さん、夕食って、ええ? ど、どういうこと?」
「何だその顔は。私の料理が食べられないとでもいうつもりか、旦那様?」
「いやいやいや、そうじゃない。そうじゃないけど……」
慌てて首を横に振った。
新妻の手料理、超食べたい。
それはこの世すべての男の夢ではなかろうか。
あと、『旦那様』って響きが胸にきゅんと来た。
でも――
――え、夕食? 夕食って……ご飯作るだけだよね?
他に何があるのかと訝しがられても困るが……夕食を作るということは、それなりの時間までここに居座るということだ。
先週いきなり結婚して、まだ一週間。
諸々の手続きは残っているし、心の準備もできていない。
お互いに、そうだと思っていた。ひょっとしたら違うのだろうか?
――何時ぐらいまでいるつもりだ? いや、でも聞けないよな、こんなの……
下手に尋ねたら『なんだそれは、私に帰れとでも言いたいのか!?』なんて憤慨しそう。
結婚早々夫婦喧嘩。できれば避けたい展開である。
ましてや新妻とは言え相手はサムライガールな葵だ。
物理的な喧嘩になったら絶対勝てない。情けないけれど、それは自信がある。
――ま、まぁ……葵さんは常識人だし? いきなりお泊りなんてするはずないし?
心の中で独り言ちる。自分に言い聞かせるように。
……なんとなく『これ、フラグなのでは?』と訝しみながら。
「ほら、蓮、行くぞ」
「あ、うん。行くから、ちょっと待って」
立ち上がって玄関に向かう妻の背中に声をかける。
この状況、この話の展開。どう考えても葵を止められそうにない。
スラリとした後ろ姿にピコピコ揺れるトレードマークのポニーテールが振り子のようで、これがまた眠気を誘ってくる。
だからと言って『行ってらっしゃい』なんて放り出すわけにもいかない。
彼女はこの近辺に詳しくないだろうし、案内は必要だろうし。
何よりも、甲斐性なしだなんて思われたくなかったから。
★
「おお、これはなかなか……」
蓮は感嘆の声とともに買い物かごに魚を放り込む葵の後ろをついて回っていた。
車を持っていないので近場のスーパーまでふたりで歩いた。食後の散歩のようなものだ。
駅から家まで移動したときに比べれば格段に葵の機嫌は良くなっていたが、眠気と疑問に脳内を占拠された蓮は、歯を食いしばりながら妻を追いかけるのが精いっぱいで、とてもではないが手をつなぐ云々なんて考えている余裕はなかった。
「あ、葵さんってどんな料理が得意なの?」
「母からは主に和食を習っている。蓮は和食は好きか?」
「和食かぁ……ひとり暮らしだと、どうにも手の込んだものはなかなか食べないから、楽しみだなぁ」
リップサービスのつもりはなかったが、葵は喜んでくれている。
実際のところ冷奴とか焼き魚ぐらいならば自前で作らなくもないが、それ以上となると用意する手間が食事の楽しみを上回ってしまう。外食は給料やボーナスが出た時に少々といった程度なので、やはりあまり機会はない。
それに……そういう時は肉を優先しがちなので、結局和食を口にする機会は少ない。
――和食が得意って見た目そのまんまだな。
サムライガールな外見を裏切らない答えであった。
これでバリバリの洋食出てきたら、そっちの方が驚かされる。
別にどんな料理が出てきても、おいしければ何の問題もないわけだが。
「あれ、古谷先輩?」
ふいに声をかけられて背筋が伸びる。
聞き覚えのある声だったが、とっさに声の主の顔が脳裏に浮かび上がらない。
それはどうでもよくて、どうでもよくなくて――
――見られたッ!?
平静を装いつつ恐る恐る振り向くと、そこにいたのは――職場の後輩だった。
昨日仕事を手伝った、隣の席に座っている年上の新人。
今日の彼はスーツ姿ではなく幾分カジュアルな格好をしていた。
隣には同年代の女性が笑みを浮かべていて、こちらは軽く色の抜けたボブカットが似合っている。
「あ、こんにちは。こんなところで珍しいね」
サラッと口に乗せたものの『本当に珍しいな』と小さな驚きを覚えていた。
この辺りでは最も大きなスーパーだから、エンカウントする可能性そのものは存在する。
しかして彼が新人として配属されてから今まで一度も顔を合せなかったのは、おそらくあちらがここを利用する頻度が低いからだろう。蓮は割と頻繁にこの店を訪れるから。
つらつらとそんなことを考えていると、後輩氏の目が思いっきり泳いでいた。
蓮と――葵の間を。
「えっと先輩、失礼ですけど、そちらは――」
葵を凝視しながら、これまた恐る恐るといった体で尋ねてくる。
内心は……興味津々といったところか。
職場でのやり取りと違い、プライベートの距離感はお互いに掴みづらかった。
微かな違和感。よくよく後輩を観察すると――腿をボブカットの女性に抓られていた。
そして葵と視線を合わせると、こちらからは目配せが返ってくる。
『まかせる』
そう言われている気がして、思考に沈んだ。
『妻です』と答えても大きな問題はない。
法的にはすでに結婚しているのだから。
だが……そのまま素直に口にしてしまうと、『初耳っすよ』なんて返事が予想される。
結婚しているのに職場で秘密にしているというのは、後で波乱を呼びそうでもある。
プライベートにまで上司や同僚にイチイチ口を出されるのは腹立たしいものの、あまり余計なトラブルを招くことは本意ではない。
――でも――でもなぁ……
「こちらは葵さん。僕の奥さん」
迷った末に、事実を話した。
隣の葵から、かすかな動揺を感じた。
「え、奥さんって、ええ?」
「まぁ」
驚くふたりを尻目にスッと前に出た葵が夫の言葉を肯定する。
「妻の葵です。うちの蓮がいつもお世話になっております」
後輩氏は礼儀正しく折り目正しく頭を下げる葵に気圧されている。
そのまま後輩たちに見られないように、葵がそっと流し目を送ってきた。
『妻』と紹介されてまんざらではなさそうな反面、『よかったのか?』と心配かけてしまったらしい。
――隠しておいてもなぁ……
結婚しているのは事実だ。後ろめたいことは何もない。
無言で頷くと、葵は嬉しそうに目を細めた。
「あ、どうもご丁寧に。自分、古谷先輩に世話になってまして……」
しどろもどろに答える後輩氏と、威嚇するように頭を下げる隣の女性。
殺意を漲らせているわけではないが、あからさまに葵を警戒している。
ナチュラルにふたりの間に割って入る位置取りといい、もはや熟練の業を感じた。
――まぁ、彼氏彼女な関係なんだろうな。
姉とか妹だったら太腿を抓られる理由がない。
恋人ならば、人妻にデレデレしている彼氏に思うところはあるだろう。
痴話喧嘩は自分たちの見ていないところで存分にやってほしい。
それはそれとして――後輩氏に釘を刺しておかなければならない。
「えっと、その……葵さんのことは職場にも秘密にしてるんで、あまり言いふらさないでいてくれると助かるんだけど」
蓮が頼むと後輩は苛立たしげに顔を歪めた。
しかし、その感情は蓮に向けられたものではなくて。
「……プライベートっていちいち上に報告しないといけないんですか?」
「どうだろう? 僕もまだ入って二年目だしなぁ。その辺は良くわかってないよ」
「そう言えばそうでしたね」
日ごろは少し反抗的なところがある後輩と、顔を見合わせて笑みを交わした。
昨日手伝ったことが関係しているかもしれないし、同年代ゆえの共感によるものかもしれない。あるいは次は自分の番なんて考えているのかもしれない。
あまり長々としゃべっていてもボロが出そうなので、早々に切り上げて買い物を再開する。引き止められなかったところを見るに、どうやら相手も同じ気持ちだったらしい。
そのまましばらく店内を回っていると――
「妻、か……」
葵がポツリと呟いた。
なんとも表現し難い声色で。
「ごめん、周りにどう説明するか相談してなかったのに勝手に言っちゃった」
「……別に構わないのではないか。県外に住む蓮の後輩に話したところで、うちの両親の耳に届く心配はなかろう」
うんうんと納得した様子で首を縦に振ってくれた。
すなわちノープロブレム。心の中で胸を撫で下ろしていると――
「蓮は、ちゃんと先輩しているのだな」
「ん? まぁ、それなりには。昨日も一緒に仕事したし」
「ふ~ん……普通に仕事しただけにしては、あちらはずいぶん腰が低かったように見えたが」
あちらの方が年上だろう?
葵が続けると、蓮は頭の後ろを掻きながら口からポロリと事情を漏らしてしまった。
つい、うっかり。
睡眠不足が祟っている。
頭がうまく回っていない。
「あ~、昨日ちょっと彼と残業になっちゃって、それでかなぁ」
「……手伝ってあげたのか?」
「そうだけど、それほどでもないです」
失言を悟り、慌てて取り繕った。
もちろん、そんな簡単に逃がしてくれる妻ではない。
「ひょっとして、結構遅くまで仕事していたのか?」
「……それなりには」
あまり気を遣わせたくなかったので今まで触れなかったのだが、こうして間近に詰め寄られると答えざるを得ない。
葵を心配させたくなったし、葵と買い物するのは楽しい。嘘ではない。
この楽しいひと時をぶち壊しにするのは――無粋だと思ったのだ。
「そういうことはちゃんと言ってくれ。家で休んでいてくれてもよかったのに」
「でも、葵さんと一緒に買い物行きたかったから」
「それは……嬉しい。そう言われると嬉しいけど、でも……よく見ると顔色が悪くなってるじゃないか」
「え?」
慌てて額に手を当てると、いつの間にか正面に立っていた葵の視線が一層厳しくなった。
「カマをかけただけだ。さっさと帰るから、蓮は休んでいてくれ」
油断があった。
まさか葵がカマをかけるとか、そんな搦め手を遣ってくるとは想像していなかった。
甘く見ていたと思い知らされて、余計に恐縮してしまう。
「はい。あの、ごめん」
「そんなごめんはいらない。後輩を手伝ったのは胸を張っていいことだから、堂々としていてくれ」
柔らかく微笑まれて、首を縦に振らされる。
『いい人だな』と素直に思わせられる妻が誇らしかった。
『この人、僕の妻です!』と世界中に言いふらしたくなるほどに。
「私は叱ったつもりなのだが、ずいぶん嬉しそうじゃないか」
「うん、最高のお嫁さんだなって」
「なッ……バカなこと言ってないで帰るぞ、もう!」
などと言いつつも、まんざらでもなさそうなところが、とても可愛らしいと思った。
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