第12話 最近親友がウザいと嘆く愛華さんと一緒 その2

『こんなことアンタに聞かせてどうなるってわけじゃないけど……私、これまでに何回かあおいに男を紹介したことがあるわけ』


 愛華まなかの発言は割と爆弾めいた内容ではあったが、れんは特に驚いたりはしなかった。

『初耳だな』とは思ったし、愛華がどんな男を紹介したのか興味は湧いた。


――ま、別にありえない話じゃないよな。


 ふたりは幼馴染で親友。

 家族を除けば葵と最も近しい位置にいるのが、目の前で豪快にビールを干して唐揚げをかっ食らっている『小岩井 愛華こいわい まなか』だ。

 愛華は葵が心の内に抱えているコンプレックスに気づいている。

 ならば『恋を知らない、恋ができない』と悩む親友に対し、その手の働きかけをしていても何もおかしくはない。

 ただ――気になることはあった。

 愛華の心配がちゃんと葵に届いているか。

 イチイチ男の面倒を見たがる親友を葵が疎んじてはいないか。

 それぞれから話を聞いた限りでは、若干不安に思わなくもなかった。

 今や夫となった蓮にすら、妻である葵の胸中のすべてを窺い知ることは叶わない。

 いずれにせよ……ふたりの関係が現在も良好であるということは、葵の中では愛華から男を紹介されて云々なんて出来事はワザワザ問題視するほどのことではなかったという解釈で間違っていないはずだ。


「動揺しないわね、アンタ」


「これでも動揺してるんだけど……葵さんと小岩井さんの関係を考えれば、そんなに変な話でもないなって思うし」


「ま、そうよね」


 半眼で睨みつけてくる愛華の圧力を、肩を竦めて受け流した。

 そんな蓮の態度が気に食わないのか、愛華の目がスッと細められる。

 ……実際のところ蓮が余裕を持って対応できていることには理由があった。


「それに、今の状況があるってことは結局上手く行かなかったってことでしょ」


 今の状況とはすなわち蓮と葵が結婚してしまったこと。

 結局のところ、葵と結婚したのは蓮なのだ。

 蓮と葵の夫婦関係は今のところ良好。

 それが事実で、それこそが一番大事なこと。

 これまで愛華が気を回してきた過程なんて些末な話に過ぎない。


「そーなのよね。身も蓋もないこと言っちゃうと、アンタよりも数段スペック高い奴ばっかり集めたつもりだったんだけど、葵ったら『興味ない』のひと言でさぁ」


「そんなこと言ってた気がする」


 同意はしたが、相手のスペック云々は葵の口からは出てこなかった点には触れなかった。

 記憶にある妻の口ぶりは、夫に気を遣ったという感じではなかった。

 要するに、スペックを測る以前の段階でシャットアウトされていたということ。

 顔も名前も知らない男たちに対して、ほんの僅かだけ同情の念が――


――いや、別に湧かないな。


 自分の妻が他の男の腕に抱かれていたのかもしれない。

 想像するだけで、まったくもって面白くとも何ともない。

 だから、同情なんてしない。できるわけがない。

 以前は葵に『上手く行かなかったら離婚して……』なんて嘯いてはいたものの、あの時と比べると蓮の心境の変化は本人の自覚以上に大きかった。葵が余所の男とねんごろにしている姿なんて見たくもないし、そんな彼女を祝福できるほどの度量もない。

 それほどに、蓮は葵との生活に喜びを見出していた。

 ……まぁ、喜び以外もいろいろ見出してはいたが、それもまた楽しい。


「言っても意味ないことだけど……あの中の誰かひとりぐらいは今のアンタと同じか、それ以上の関係になってた可能性はあったと思うのよね」


「否定はできないかな。葵さんが僕のどこを好きになったのかって、自分でもよくわかんないし。僕にできることなんて、他の誰かだってできるだろうし」


 愛華の言葉は、蓮が抱いていた不安のド真ん中を突いてきた。

 葵が蓮を好ましく感じてくれているのは、単に彼女に『男女交際の経験』がなかったからというだけなのではないか。

 彼女に告げたことはないし告げるつもりもないが、そういう懸念はあった。

『優しい』『かわいい』『カッコいい』なんて(愛華に対して)惚気まくってくれているけれど、そのいずれの美点にしても、蓮が他の男と比べて特別に優れているわけではない。

 卑下するつもりはないが、思い上がるつもりもない。

 仮に――葵が親友の顔を立てて誰かとお試しで付き合っていたら、案外上手く行っていたのではないかとさえ思える。


「はぁ……そんな情けないこと言ってんじゃないわよ。経緯はどうあれ葵はアンタを選んだ。アンタには葵を幸せにする義務があるし、アンタは葵の一番にならなきゃならない。他の男なんかに目写りさせたらダメだし、アンタには自分が他の男に劣ってるなんて自虐してる暇とかないから」


「自分で話を振っといて、それはちょっと横暴じゃない?」


 不平を漏らしてはみたものの、愛華の言うことに間違いはないと思った。

 葵は蓮を選んでくれた。ならば『古谷 蓮ふるや れん』は『古谷 葵ふるや あおい』にふさわしい人間になりたい。

 それぐらいの甲斐性はあるつもりだった。

 なるほど、愛華の言うとおりだと頷かざるを得ない。

 自分と他人を比べてうんたらかんたら言ってる場合じゃない。


「うっさいわね」


「……何か嫌なことでもあったの?」


 さっきから様子がおかしい。

 アルコールが回りすぎているのかと思いはしたが、視線は鋭いままだし呂律だっておかしくない。

 顔が真っ赤になっているわけでもなければ、奇声を上げるわけでもない。

 つまり、愛華は酔っていない。

 その割には、蓮にずいぶんと絡んでくる。

 犯人がらみで目的が一致しているだけで、元々大して親しくもないのに。

 ほんの数回しか顔を会わせていないにしても、これまでの愛華のイメージとは少しズレているように感じられる。言動の方向性がややネガティブというか、攻撃的というか。


――いや、元々過激な人ではあったけど、これは……


 眉を顰めた蓮を無視して、愛華はまたもやジョッキを空にした。

 止める間もなく店員にお替りを追加している。

 もう何杯呑んだのか、数えるのはやめてしまっていた。

 本当に酒量を弁えているのだろうか?


「別に。さっきも言ったとおり、最近葵がウザくて鬱憤が溜まってるだけだし」


「僕が言うのもアレだけど……葵さんが浮かれるのも無理ないかなって気もするから、その、少しぐらい手心を」


 窘めながら、改めて愛華の様子を観察する。見た目は変わらない。

 葵をウザいという声のトーンは最初から変わっていない。

 やはり酔ってはいない。顔を会わせてからずっと同じ状態だ。


――最初から機嫌が悪かったって可能性はあるな。


 女性の友人同士の距離感に口を差し挟むことは憚られたし(迂闊に触れると手痛いやけどを負いそうだったから)、愛華だって人間なんだからたまには愚痴を吐きたくなることもあるだろう。

 そんな風に考えていたのだが……ひょっとして何か彼女も抱え込んでいる事情があるのではないかと俄かに不安を覚えた。

 思い返してみれば愛華の口から『葵がウザい』なんて聞いたことがなかったではないか。

 今日の愛華は、やはりどこかおかしい。


「……それくらい言われなくてもわかってるんだけどさぁ。私がつい最近彼氏と別れた話していい?」


 アルコールとともに吐き出された愛華の言葉に、蓮は口に含んだウーロン茶を吹き出しかけた。

 色々な意味でタイミングが最悪すぎる。

 彼氏と揉めて別れながら、親友に惚気られる。

 蓮の二十年の人生において類似した経験はなかったが、想像することすら恐ろしい。


――よくキレなかったな、この人。


 友情とか性別とか、そういうあらゆるものを排した上で純粋に敬意を抱かずにはいられない。

 ただ、それはそれとして。

 心の中で『葵さ~ん!?』と叫びつつも、夫としては妻の無邪気で無意識なやらかしに対するフォローの必要性をひしひしと感じた。


「えっと、ごめん。ここ僕のおごりでいいから」


 ほんのわずかな時間の中で可能な限りのアイデアを検証してみたが、他にできそうなことがなかった。

 存分に酔ってもらって愚痴を吐きだしてもらうぐらいが関の山。

 嫌なことは酒を飲んで忘れる。それは別に悪いことではない。

 大人なんて基本的にそんなもんだ。


「アホか。アンタなんかにたかるほど落ちぶれてないし。私に奢るぐらいなら、その金で葵に何かプレゼントしなさいっての」


 カラッと笑って手をひらひらさせながらジョッキを呷る。

 ここまでされてなお、愛華には葵を思いやる心がある。

『イケメンか』

 蓮は改めて強い感銘を受けた。

 今度葵にあったら、それとなく注意しておこうと心に刻みつけた。

 もうちょっと周りを見て、気を遣ってみてはどうか、と。

 あと、愛華にもっと優しくしてあげて欲しいとも。

 どう伝えるかは……明日の自分が考えるだろう。

 明日が土曜でなくてよかったと、心の底から思った。


「小岩井さんってさぁ……いいお……人だよね」


 ウーロン茶しか飲んでいないのに口が滑りそうになった。

 アルコールが入っていたら、多分ヤバかった。


「……今、何て言おうとしたのかしら?」


「何でもないです」


 くわばらくわばら。

 愚痴ぐらいならいくらでも付き合うつもりではいたが、愛華の勘気を買いたいわけではない。

 余計なことを言わないように口に流し込んだウーロン茶は、ぬるくて苦かった。

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