第41話 理性と衝動

 空気が凍った。

 少なくとも、私はそう感じました。

 陽の光も、風も、私自身の息遣いも、頬を伝う汗も何もかもが冷たい。


「おとう、さん……。なん、で……」


 辛うじて出た言葉はそれだけでした。

 それ以上は声になりません。


 ——死んだはずの父さんが、何で……。


 生きている筈がありません。

 此処に居るはずがありません。

 でも、ぼやける視界に映っているのは間違いなく私の父さんの姿をしていて、肌で感じる魔力も間違いなく私の父さんのものでした。

 嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ……。

 頭では否定している筈なのに、幼い頃の記憶が、心が認めてしまいます。

 あれは、父さんなのだと。


「……ぃ、……い! ……おい、クロ!!」

「ッ……!?」


 タケルさんの声に意識を現実に引き戻されます。

 けれど、体はまだ震えていて立ち上がることもできません。

 そんな私を庇うように、タケルさんは父さんと向き合います。

 一瞬だけ見えた彼の横顔は何か決心したような顔つきで、それを止めなければいけない気がしているのに、必死に伸ばした手は空を切るだけでした。


「逃げろ、クロ」

「い、嫌です! 私も一緒に……!」

「戦えねぇだろ、お前」

「それ、は……」

「言い方を変えるぞ、戦うな。親子で殺し合いなんて、間違ってる」


 そう言って、タケルさんは拳を握ります。

 私はただ、その場にへたり込んでいることしかできません。

 立とうとしているのに、足がそこに縛り付けられているみたいで言う事を聞いてくれないのです。

 戦うことはおろか、銃を持つこともできない。

 それがたまらなく悔しい……。


「ふふっ、いいリアクションをありがとう。準備した甲斐があるってものさ」

「てめぇ……!」

「大変だったんだよ? なにせ元・宮廷魔導士団の団長の死体だからね。掘り起こすのも一苦労だったよ」

「死体、だと……ッ!」

「うん、お察しの通り。死霊魔法だよ」


 至極、それが当然であるかのように白髪の青年——アルカ・ハイマーは頷きました。

 その一言で体の震えは止まりました。

 安心したから、ではありません。

 事実に打ちのめされたからでもありません。

 ただ、純粋な怒りでした。

 

 ——あぁ、私はこの人を許せない。


「ッ、クロ!?」


 タケルさんの声を置き去りに、私はナイフを抜いてアルカさんへ駆け出します。

 両手で握りしめたナイフを彼の心臓目掛けて突き刺します。

 ずぶり、と肉を潰して切り裂く感触が手に伝わりました。


「良い殺気だよ、クロ・カトレア。でも——まだ足りない」


 声と共に、生暖かい温度が私の手に伝います。

 心臓を目掛けて突き出したナイフはアルカさんの手を貫くだけにとどまり、そこから流れる血が私の手を濡らしていました。

 それにも関わらず彼の手はそっと私の手を握ります。

 まるで絡みつくような感触に、思わずその場から飛びのきます。


「酷い嫌われようだなぁ……。傷ついちゃいそうだ」


 手に刺さったナイフを抜きながら、アルカさんはそう言います。

 しかし、言葉とは裏腹に彼は笑っていました。

 とても楽しそうに。

 それが余計に私の怒りを滾らせました。


「期待通りと言えば、期待通りなんだけど。それじゃあ困る。期待以上になってもらわないと困るんだよ」

「何を、訳の分からないことを……!」

「僕はね、永遠に戦い続けたいのさ。死ぬまで戦い続けたい、死んでも戦い続けたい。その為には君の協力が必要なんだ」

「訳が分からないって、言ってるでしょう!!」


 今すぐにでもこの人を黙らせたい。

 その衝動に身を任せ、ホルスターから銃を抜き放ちます。

 照準を定めることもせず、乱雑に放たれた弾丸はアルカさんに掠ることもなく虚しく木の幹を抉るだけでした。

 心臓の鼓動がうるさい。

 切れた息がうるさい。

 黙らせなきゃ——


「これでも打てるかい?」

「ッ————!?」


 引き絞った照準がぶれました。

 さっきまでタケルさんの近くに居た父さんが、アルカさんを庇うように私の前に立ったから。

 たったそれだけで握りしめている両手から銃が零れ落ちそうになり、体を支えている両足が崩れてしまいそうになります。

 ——あれはただの屍。

 そうだと分かっていても、指は引き金を引いてくれません。


「うーん、やっぱりここが今の限界みたいだね。困ったな~……」


 父さんの後ろで、アルカさんは芝居がかった口調でやはり猫のように嗤います。

 しばらく考えた後、何か思いついた様にパッと明るい笑顔になりました。

 子供のような笑顔。

 私にはそれが悪意に満ち満ちたものに見えます。

 アルカさんは地面に落ちているナイフを拾うと、


「こうすればもっとやる気になってくれるかい?」


 それを何のためらいもなく父さんに突き刺しました。

 そのまま、ナイフで父さんの中身を掻き混ぜます。

 父さんの口からごぽっと血が溢れ、零れました。

 それでも、父さんの表情は変わりません。

 折れるほど噛み締めた奥歯が、ぎりっっ!! と鳴ります。


「貴方は……ッ!!」


 撃て、撃て、撃て、撃て。

 衝動と心臓の高鳴りが混ざり、思考がガンガンと五月蠅くなります。

 引き絞った指は引き金を握り、浅くなった呼吸を飲み込むように大きく息を吸って——けれど、引き金は引けませんでした。

 撃てば父さんに当たってしまうから。

 父さんを傷つけるのが怖いから。

 そんな未熟な理由で私の手から銃は零れ、足から力が抜けました。

 心は依然として黒く燃えています。

 でも、その奥にある一欠片の理性が衝動を止めてしまったのです。


「おいおい、冗談だろ。こんなことで心が折れたの? 勘弁してくれよ、これじゃあ期待外れも良い所だ」


 アルカさんの言葉に私は返答することもできません。

 彼の言う通り、心を支えていた気力はすっかり折れてしまったのかもしれません。

 父さんを助けるために戦うこともできない私に、アルカさんは大きくため息をつきました。


「はぁぁ……。まさかこの程度とはね。家族をだしに使えば少しは魔力の核心に近づいてくれるかと思ったけど、ここで僕を撃てないようじゃあまるで見込みが——」

「ごちゃごちゃうるせぇよ。クソ野郎ッ!!」


 アルカさんの言葉を遮り、タケルさんが拳を振るいます。

 魔力を込めて振るわれた拳はアルカさんの顔面に突き刺さり、彼を大きくよろめかせました。


「もう喋らなくていいぞ、アルカ。お前はここでぶっ殺してやる!」

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