第56話 不自由の核心

 殴り飛ばした牢が幾重の金属音をけたたましく響かせる。

 意外なことに牢屋は俺が入れられていたもの以外にも多くあった。

 けれど、どの牢屋にも人は入っていない。

 どうやらクロは別のところに居るらしい。

 ……急ごう。

 歩いているうちに分かったが、此処は地下のようだ。

 窓のような物は何一つなく、灯り代わりの蝋燭は解けて壁にへばりついていた。

 それに日が当たらないせいか、空気がひんやりしていて肌寒い。

 そのせいだろう、背中を伝う汗が心なしか冷たい。


「やぁ、タケル」


 地下からの出口、地上へと繋がっているであろう階段の前で声を掛けられた。

 逆光のせいで姿が見えづらい。

 けれど、それも直ぐの事。

 二人の人影は俺の知っている形になった。


「……アルカ」

「意外だね、生真面目な君がこんな強情な手段に打って出るなんて……。寝起きが悪いにしても限度ってものがあるだろう?」


 飄々とした表情で軽口を叩くアルカ。

 その後ろに居るムストは相変わらず彫像のように佇んでいる。


「クロは何処だ」

「教えると思う? 教えるとしてもこの建物の何処かに居るってことしか教えられないね」

「じゃあ——」

「残念だけど退きもしないよ。折角君が起きたんだ、戦わないと損ってものさ」

「その腕でか……?」


 我ながら意地の悪い笑みを浮かべつつ右腕を見やる。

 薄暗がりに舞う右袖は、本来そこにあるべきものを失ってただただ空虚だった。

 けれど、アルカはそれを愛おしいげに撫でる。


「……君にこの腕を壊されてから、毎晩夢を見る。君の鬼気迫る表情、怒りと憎悪を体現したような黒い魔力、腕が崩れていく感覚。思い出す度に震えるよ」

「……この戦闘狂が」

「誉め言葉として受け取っておくよ。でもやっぱり、僕の思ったとおりだ。君ならあの程度の封印を破ってくれると思った。さぁ、戦おう!」


 掛け声とともに、アルカは懐からナイフを引き抜き疾走した。

 ナイフと呼ぶには少し大振りなそれを俺の胸に突き立てるのに時間はそう必要ない。

 薄暗がりを引き裂くような影はどこか獣のようで。ならばナイフは牙だ。

 銀の軌跡が暗闇に迸る。

 真正面から迫る刺突を俺は掌で受け止めた。

 肉が裂け、骨が断たれる感触と痛み。

 だが、片腕のアルカに俺の反撃を防ぐ術はない。

 空いた左手に魔力を集め、握り、顔面に向けて打つ。——直前、左腕を切り刻まれた。


「ぎっ、いぃ……!?」


 腕に何本も刃物を突き刺されたような激痛に、集めた魔力は霧散した。

 何をされたのか理解が追い付かない。

 アルカか? いや、あいつの左手はナイフを握ったまま。

 なら……。


「僕も片腕で君に勝てるとは思ってないさ。だから、こっちは二人でやらせてもらう」

「ちっ、このっ!」


 後方に見えるムストが更に魔法を構えているのが見えて、咄嗟に距離を取ろうとする。

 だが、右手を貫いているナイフが抜けるより早く、アルカはナイフを捩じり俺をその場へ縛り付ける。


「ぐっ!?」


 神経が焼けきれそうになる痛みで止まった脚をムストの魔法が切り刻む。

 本当に神経が断たれたのか、感覚を失った脚は俺の意志とは関係なく膝から崩れ落ちた。

 アルカは今度こそ、左手のナイフを俺の首を引き裂くために振るう。

 けれど、そんなものでは俺は死なない。

 心臓を貫かれて死なないのなら、首を刎ねられても死なないはずだ。

 ——不意に嫌な予感がした。


「っ——!」


 左手を魔力で覆って、ナイフを受け止める。

 綺麗な軌跡を描きながら振るわれたナイフは俺の掌に当たると、甲高い音を響かせながら弾かれた。

 反動でよろめくアルカ。

 その隙に治った脚で距離を取る。

 けれど、そこで異変に気付いた。

 右手の傷が治っていない。

 傷口はナイフで抉られたとは思えない程、クズクズに溶けて腐っていた。

 そのせいで、治るのが極端に遅い。


「……そのナイフ、只物じゃあないな」

「流石、よく気づいたね。このナイフには君の相棒——クロ・カトレアの魔力が籠っている。振るえば彼女の魔法も使えるし、言ってしまえばナイフの形をした魔法具かな」

「んだと……」


 クロの魔力……。

 確かに驚きだが、あいつの魔法は再生魔法だろ?

 怪我をしてないやつを再生させても何も起こらないはずじゃあ……。


「言葉足らずかな? 君にならこれで通じると思ったけど……。そうか、彼女から聞いていないんだね。そう、君も知っての通り彼女の魔法は再生魔法だ。どんな傷や怪我でも治せるし、朽ちたものや壊れたものを治す事だってできる。でも、それはあくまで力の一面に過ぎない」

「回りくどいな、さっさと本題を言えよ」

「せっかちだなぁ、もっと余裕を持ちなよ。まぁ、いいか。要は薬の用法と容量の問題さ。少量の毒薬が良薬となる様に、良薬も過剰に使えば毒薬になる。それと同じさ。彼女の魔法で過剰に再生させると肉は腐り、物質は崩れる。ふふっ、皮肉だね。本当は誰かを助けるための魔法なのに使い方次第ではこんな惨いこともできる」

「……っ、くそが!」


 あいつの説明は、正直話の半分くらいしか分からない。

 でも、取り敢えず分かるのは、あのナイフを喰らったらまずいってことだ。

 思っていたよりも戦況は不利に傾いているらしい。


「さて、話は終わり。ここからは——本気で殺し合おう!」

「……っ!」


 滲み出る殺意に思わず後退る。

 それと同時に偶然下げた足元に魔法が打ち込まれた。

 けれど、幸運はそう何度も続かない。

 ムストの魔法を契機にアルカは狭い通路を縦横無尽に駆けて、跳ねる。

 俺が目で見て、肌で感じるより早く首元に振るわれるナイフ。

 考える間もなく反射で体を逸らして、転がる。

 その後の事なんて考える暇もなく、ただ躱すことだけに専念して右へ左へと体を捻った。

 地面に転がっている金属片を蹴り飛ばした時、俺は自分が居た牢屋まで戻ってきたのだと自覚した。


「避けてばかりじゃあつまらないよタケル!」

「こ、の……ッ!!」


 転がっている鉄格子の一部を振るうと、きぃんという音と共に火花が散る。

 その火花の向こう。

 薄っすらと見える暗がりの中から暴風が吹き荒れた。

 体勢を崩した体は風に攫われ、壁に叩き付けられる。

 ミシッ、と嫌な音が背中から聞こえた。


「が、はっ……!」


 空気を無理やり押し出され、意識が一瞬消えかける。

 けれど、その暇もなくアルカのナイフが右肩を突き刺した。


「が、あぁぁぁっっ!!」


 意識を飛ばすことなど許さない、と言いたげな刺突。

 皮肉なことに、それのおかげで視界が開けた。


「痛いだろ? 苦しいだろ? 君を殺すために作り上げた手段なんだ、存分に味わってくれ。でも、まだ死んじゃあだめだよ。君だけ楽しむなんてそんなの卑怯だ。ほら、拳の握って魔力を込めなよ。僕は——敵はここだ!」


 うるせぇ、訳分かんねぇこと言ってんじゃねぇよ。

 楽しむ? 卑怯? 敵?

 知った事か、てめぇだけで楽しんでろ。

 俺は——


「安心して、彼女も直ぐに送ってあげる。僕たちも幼気な女の子を弄ぶ趣味はないからね。役割を果たしたら、しっかりと殺してあげるよ」

「……ぁ、ぐぅぅ……。や、かま……しい!!」


 ——あいつを助けるんだよ!

 途端、右腕に込めた魔力が膨れ上がった。

 ベルデイレの時と同じような、衝動に応えた黒い魔力。

 確信はない。

 でも、それを思い切り壁に叩き付けた。

 壁には罅が入り、一度だけ地面が小さく揺れる。

 それが罅を大きくして床と天井に亀裂が走り、崩れ始めた。


「——っ! タケル!!」


 アルカの驚きに満ちた声。

 反対に俺は笑った。


「……精々頑張れ、クソ野郎」


 その言葉を最後に、俺の視界は暗闇に染まった。

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