第62話 過去への決着、未来への一歩
後ろで聞こえる、重々しい打撃音。
振り返るとタケルさんの拳がアルカさんの顔面に突き刺さっているのが見えました。
お互いボロボロで、血塗れで、どっちが勝者なのか分からないような状態。
でも、倒れる寸前に見えた彼の表情は何か吹っ切れたような、清々しい表情をしていました。
だから、不安はありません。
「クロ、気持ちは分かるけど今は集中して頂戴」
「えぇ、わかってます」
視線を前に戻すと、黒幕——アレクさんも私と同じように後ろで行われている戦いを興味深げに見ていました。
そのたたずまいはこれから戦おうとしているモノではなく、ただ純粋に見入っているようです。
警戒心に欠ける立ち姿。なのに、私もマリーさんも仕掛けることができません。
ふと、アレクさんの隣に居る父さんと目が合います。本来、死者であるはずの父さんに意志が残されている筈もなく、偶然私の方を向いて立っているだけなのでしょう。
つい、下唇を噛みます。
「あちらは決着が付いたようだな。まったく、親の恩情すらも無駄にするとはどこまでも愚かな息子だ」
「親なら子供の頑張りを讃えてやるものじゃなくて?」
「私とアレの間に絆などない。あるのは利用価値のみだ。私はあの子を利用して自らの計画を推し進め、あの子も私を利用して生き永らえた」
「そう、どこまでも外道ね」
「理想に犠牲は付き物だ。よもやそれを説かねばならぬほど、君達も愚かではあるまい?」
袖口から銃剣を滑らせながら、神父は語ります。
口ぶりは子供を諭すようで、しかし、何処か盲目的に。
彼の金色の瞳は私達に向けられている様で、その先ばかりを見ているようでした。
おそらくは、自分が思い描いた理想のその果てを。
「クロ、神父の方を頼めるかしら。あの人は——」
「いいえ、父さんは私が相手をします。なので、マリーさんはもう一人の方を」
「ダメよ。実の親子同士で殺し合いなんてさせる訳にはいかないわ」
「ダメと言われても引きませんよ。タケルさんが果たしてくれた約束を、私が果たさない訳にはいきません。それに、親の不始末は子供が始末を付けなきゃいけませんから」
「…………分かったわ。まったく、いつからこんなに頑固になったのかしら」
「さぁ、反抗期ってやつじゃないですか?」
「自分で言ってちゃあ世話ないわね」
軽く笑いあって、構えます。
自分の過去に決着をつけるだなんて、今思えば仰々しいですね。
えぇ、これはただの親子喧嘩です。ただ、望んだ形とはほんの少し違うだけ。
ナイフも銃もありませんが、それは父さんも同じこと。
むしろ、そっちの方がよっぽど喧嘩らしい。
それに策が無い訳ではありません。
マリーさんから距離を取る様に左から父さんへ回り込みます。
私と父さんの実力差を考えれば、守りに入るのは致命的。ひたすら攻め続けなければ勝機はありません。
礼拝堂に散らばる椅子を足場に距離を詰め、顔面目掛けて魔力を込めた蹴りを放ちます。
けれど、父さんはただ首を逸らすだけでそれを躱し、風切り音が虚しく響くだけ。
「——やれやれ、死霊魔法はあまり得意ではないのだがね」
ため息交じりに呟く神父は、肩を竦めつつも飛んでくるマリーさんの魔法を銃剣で打ち払う。
その横眼でしっかり私を見ているあたり、まだまだ余裕が伺えます。
——なら、まずはその余裕を奪いましょう。
蹴りの勢いを殺さずに着地。そのまま魔力で強化した両足で地面を蹴ります。
狙いは胴。さっきの蹴りよりも早い右の掌底は父さんの外套を掠めました。
止まらず、左足を軸に体捻って返しの左裏拳。
けれど、それすらも体を後ろに倒されて躱されます。
「関係ないですね!」
重心が下がった父さんの太腿を足場に飛び上がります。
そのまま両足を魔力で覆い、落下の勢いを乗せた胸へと向けた跳び蹴り。
頭を後ろに倒しているせいで、父さんの両足は体を支えるために大きく開かれています。
顔面への攻撃なら首を逸らせば避けられるでしょう。でも、的の大きい体はそうはいきません。
当たる、と確信を得た刹那、風が頬を撫でました。
屋内、それも密閉されている地下の礼拝堂でそれは普通有り得ません。
なら、何が……?
疑惑は直ぐに悪寒へ。
見れば、父さんは両手を胸元に構え、その中心に魔力を集めていました。
空中に居る私には、父さんの魔法を躱す手段はありません。
——いや、私の方が速い!
そう信じて、両足に力を込めます。
瞬間、全身に走る衝撃。
お互いの魔力がぶつかり爆ぜた勢いは、空中に居た私を軽々と吹き飛ばして、辺りに散らばっている椅子に叩き付けられました。
「か、は……っ!」
思わず、絞り出す様な声が出ました。けれど必死に息を吸って、痛みを訴える全身に鞭を打って体を起こします。
——父さんは、どうなったんだろう……。
揺れる視界で辺りを見渡すと、そこには顔に砂埃を付けただけの父さんが立っていました。
「う、そ……」
蹴りを当てた感触はあったのに、無傷。
その鉛のように重い事実が震える体に伸し掛かります。
立た、ないと……。立って、戦わないと……。
湧き上がる思いに突き動かされる様に、ゆっくりと立ち上がります。
「っ、……!」
不意に左足から激痛。
漏れてしまいそうな声を押し殺して視線を落とすと、いつの間にか私の左足には見慣れない棘が数本生えていました。
よく見ると、それは椅子の破片でした。小さな木片を伝って足元には小さな血溜まりが出来上がります。
暫く放置していても直ぐに死ぬ事は無いでしょう。でも、これで左足は使い物になりません。
その実感が体を小さく振るわせます。
でも、不思議と焦りや不安はありませんでした。むしろ強固になる覚悟。
あぁ、これが決死の覚悟というやつですか。心の奥でそれを噛み締めると、不思議と脳裏にタケルさんの顔が過ります。
気づけば彼を探していました。
シャンデリアに照らされただけの薄暗い礼拝堂。私達が落ちてきた瓦礫の近くに、彼は倒れこんでいました。
いつも通り傷はありません。でも、よほど疲れているのか倒れたままピクリとも動かない彼を見て、何故か笑ってしまいました。
いえ、仕方ないんですけどね。なんだか暢気に見えちゃって、つい。
きっとこれがバレたら不機嫌な顔になって私のことをこづいたりするんでしょうね。
……やめましょう。決死の覚悟なんて私達らしくないですね。だって、貴方は最初から生きるための覚悟しかしていませんでしたから。
そこまで考えて視線を父さんに戻します。
相変わらず、父さんに表情はありません。
父さんを操っている筈の神父も今はマリーさんに集中していて、こちらを気にかける余裕もないようです。
血塗れの左足を引きずって、一歩前に出ます。
——父さんは動きません。
さらに一歩出ます。一瞬、神父がこちらを見た気がしました。
——風の魔法が頬を掠めました。
構わず前へ。
——右腕、左肩が風の刃に切り刻まれます。
痛めつけはするものの、決して殺さないように加減をしている魔法。
考えてみれば、私は彼らの計画の要。殺せるはずもないのです。
今更それに気づく辺り、私も随分と間抜けですね。
——風の槍が左肩を貫きます。
一瞬、意識が黒く塗りつぶされました。けれど、漸く父さんの目の前に立てました。
死に体の私を前に、しかし父さんの表情は動きません。
父さんは遂に風で剣を創り、それを無造作に振り上げます。
私は、父さんに抱きつきました。
ずっと、こうしたかった。
おそらく、幼い時に一度くらいは抱きしめてもらったことがあるのでしょう。でも、私の記憶の中にはそれが残っていなくて、いつも抱きしめてくれたのはマスターとマリーさんだけ。
あぁ、いや。そういえば一度だけ彼に抱きしめてもらいましたね。思い出すとちょっと恥ずかしいですが。
「……ごめんなさい、父さん」
冷たい温度を感じながら呟きます。
その言葉すらも届かずに、父さんは風の剣を一思いに振り下ろしました。
けれど——剣は私を斬る寸前で止まっています。
親子の絆だとか、愛情だとか、そんな劇的なものじゃありません。
単純に私の魔法の効果です。
私の魔法は再生魔法。朽ちたもの、壊れたものを治すことに特化した魔法。
死んでいる人を治すことはできません。
でも、形があるものならどんなものでも治せます。
——死者復活の理論。
自分で完成させて、自分で目を背けた愚かな子供が創り出した御伽噺のような負の産物。
死者の体と、生者の魂を使って行われるそれは、奇しくもこの場において条件を満たしています。
父さんの死体と、私の魂。
さっきの謝罪は、最初で最後の親不孝に対するものです。
どれだけ考えても父さんを解放するにはこの手段しかありませんでした。
死ぬつもりはありません。でも、失敗すれば私は父さんと共に死ぬでしょう。
私の魂を半分使って、父さんへの魂に変換。それを再生魔法でほんの一瞬だけ形にします。
魔法による軌跡と神秘は魔力による等価交換。
人間の魂を半分創るのならそれに見合う魔力が必要です。今の私の全魔力を使ったとして足りるのか。足りたとして、私にはどれだけの命が残されているのか。
魔力を練り上げ、その端から父さんの魂へ変換します。
体から何か大事なものが削られていく様な感覚がして、その淵に死があることに気づいてしまうとどうしようもない恐怖が体の奥底から吹き上がりました。
思わず離れてしまいそうになる手を必死に握りしめ、恐怖を噛み殺します。
「ダメよ、クロ!!」
マリーさんの声が聞こえます。でも、振り返らず残りの魔力を振りしぼ——
「良いんだ、クロ」
不意に、聞いたことのない声。
上から聞こえる優しい声は、握りしめていた風の剣を手放して私を抱きしめます。
「これ以上はお前が危ない。もういい、後は俺がやるよ」
「……とう、さん?」
「あぁ、そうだよ」
さっきまで温度を感じなかった父さんの体には確かに生きている人間の温度が流れ、表情に乏しい顔には優しい笑顔が浮かんでいました。
私と同じ瞳をした、優しい顔。
「ごめんな、クロ。父さんのせいで痛い目に遭ったみたいだな」
「父さん、私……」
「良い、良いんだよクロ。よく一人で頑張ったな。大丈夫、クロが優しい子だって言うのは父さんが良く知ってる。なにせ、俺達の子だからな」
言いたいことが沢山あるはずなのに、その全部が押し寄せて、引っかかって言葉になりません。
それでも、父さんは私の言いたいことが分かっているように、一度だけ私の頭を撫でてくれました。
「ありがとう。大きくなったクロを見えるなんて、俺にはもったいないくらいの最後だよ。美人なのは母さん譲りだな。目元は、俺に似ちゃったか」
ちょっと残念そうに笑う父さんに釣られて私も笑ってしまいました。
それを見て、父さんは抱きしめていた私を離して、今度は悲しそうに笑います。
「ごめんなクロ。本当はもっと話したいんだけど、もう時間が無いみたいだ」
「いいんで……。いいの、父さん。分かってるから」
「そうか、偉いな」
たった一言そう言って、父さんは更に魔力を練り上げます。
その量は私の比ではなく、この場に居る誰よりも圧倒的でした。
けれど、それは自分の魂を燃やしているせい。
きっと、その魔力を使って自分の魂と体を完全に亡き者にするつもりでしょう。
二度と悪用されないように、念入りに。おそらく体なんて一片も残らないくらい。
「クロ、ずっと愛してるからな」
それが、最後の言葉でした。
次の瞬間、目も眩むようなまばゆい光が礼拝堂に満ちます。
私も、つい両目を庇います。
光が収まるとさっきまでいた父さんの姿はなく、代わりに静寂だけが残りました。
「素晴らしい、やはり君だ。クロ・カトレア、君でなければダメなのだ」
「ッ、クロ、逃げて!」
誰もが呆気にとられていた筈の刹那。誰よりも早く動いたのは神父でした。
マリーさんの警告も虚しく、神父は私の首を易々と掴み上げます。
「あ、ぐ……っ!」
「魔力の核心に触れた今の君なら、態々君に魔法を使わせる必要はないな。君の魂を取り込み、私が君の魔法を使おう」
「クロ!」
「邪魔はさせんよ」
突如動き出した十体の死体がマリーさんに飛び掛かりました。
それと同時にギリッ、と力が籠る神父の右腕。
必死に足掻くも、体力も魔力が尽きた私の抵抗など彼からすれば赤子同然でしょう。
呼吸が止まり、意識が真っ黒に塗りつぶされていきます。
——嫌、だ。せっかく父さんに会えたのに。
——まだ、彼との旅も始まってないのに。
「その手を離せよクソ神父」
視界の隅に映った白い魔力は神父——アレク・ハイマーをいとも簡単に吹き飛ばしました。
彼の腕から解放された私は、そのまま礼拝堂の冷たい床に投げ出されて。しかし、その途中で誰かに抱きとめられました。
霞む視界で必死に目を凝らせば、そこにはすっかり見慣れてしまった相棒の顔。
「タケルさん……」
「わりぃな。ちょっと寝てた」
どこか場違いな彼の返答はさっきまで死にかけていたのが嘘のようで、それが不思議な安心感を生んでいました。
やっぱり、私はまだ死にたくない。
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