第61話 死にたがりと生きたがり

「うおおっ!?」

「うわああっ!?」


 崩れた瓦礫と共に地面に叩きつけられる。

 大量の砂埃が舞う中で立ち上がると、落ちた先はなにやら礼拝堂のような場所だった。

 石壁に囲まれた空間は薄暗く、少し肌寒い。


「クロ、大丈夫か……?」

「えぇ、なんとか……」


 近くに居たクロに手を貸しながら辺りを見渡す。

 崩れた天井から差し込む夕日と落ちかけているシャンデリアで照らされた礼拝堂は、まるで廃墟のようで神聖な場所とは呼べない。

 そんなみすぼらしい空間で、魔法と剣戟が飛び交っていた。

 滾る炎は一直線に軌跡を伸ばし、しかし振るわれた銃剣で真っ二つにされる。

 薄暗い闇の中、飛び散る火花によって二人の横顔がはっきりする。

 一人は城で一度だけ見た事のある白髪の神父、そしてもう一人は俺達の見知った奴——マリーの顔だった。


「マリー!?」


 思わず声が出る。

 俺の声が聞こえたのか、マリーは一瞬俺達の方を見ると直ぐに神父から距離を取った。

 そのまま、軽やかな身のこなしで俺達の隣まで来ると、彼女は小さく鼻を鳴らした。

 なんで、あいつがウロボロスの連中と戦ってるんだ……?

 理由も意図も目的も分からない。

 それはクロも同じようで、彼女の顔を固唾を飲んで見つめていた。


「……お前、なんでウロボロスと戦ってるんだ?」

「あら、おかしい?」

「おかしいだろ。だって、お前……」


 言葉を選びながら慎重に並べていく俺に待ちきれなくなったのか、マリーは大きなため息をつきながら、


「裏切っただろって言いたいんでしょ? えぇ、間違ってないわ。どんな理由であれ、貴方達を裏切ったことに変わりは無いし、好きに思ってくれて構わないわ。あいつと戦ってるのは……そうね、気に食わないからかしらね」


 そう、吐き捨てるように言った。

 何やらはぐらかされた気がする。

 俺は、マリーと深い付き合いがある訳じゃない。

 だから正直、彼女がどんな理由で何をしていようが、それを大きく気にかけたりはしない。

 でも、クロは違う。


「マリーさん……」

「……ごめんなさいね、クロ」


 言葉が見つからないクロに短く謝るマリー。

 けれど、それだけで何か伝わったのかクロは少しの間目を伏せて「ごめんなさい」の意味を噛み締める。


「……後で、ちゃんと話してもらいますからね」

「……えぇ」

「絶対、絶対ですからね!」

「えぇ、わかったわ」


 子供の様な言い方に俺もマリーもつい頬が緩む。

 けれど、それも束の間のこと。俺達が話している間に、神父の両隣にはムストとアルカが立っていた。

 満身創痍で今にも倒れそうなアルカをムストが支えている。


「まだだよ、タケル……。決着はまだついてない……っ!」


 血塗れで、息も絶え絶えになりながら失くして右腕を俺に向ける。

 俺とアルカの間には何もない。

 その筈なのに、向けられた右腕はまるで俺の首を掴んでいるような気がして、寒気がする。

 「死ぬまで戦って、死んでも戦いたい」というあいつの『願い』は既に『執念』へと変わっていた。

 嫌な因縁だ。


「アルカ……」

「あの子の魔力、何だか変ね……」

「変?」

「えぇ、あまりにも不安定よ。吹けば消えちゃいそうな蝋燭みたいな時もあれば、山火事みたいに激しくなる時もあるわ」

「それ、どういう意味だ?」

「そうね、あの子自身が魔力の核心を掴みかけてるかもね」

「冗談きついな……」


 でも、弱音を吐いている場合じゃない。

 大きく息を吸って、吐き出す。

 

「んで、あの真ん中の神父がウロボロスのリーダーか?」

「そうよ。まぁ、神父の風上にも置けない程の外道なのだけれどね」


 憎たらしそうなマリーの言葉に、神父は何の感情も表さない。

 ただ持ち前の白い長髪を整えながら、神父——名前は、アレクだったか——は俺をじろりと見つめる。


「君がアルカのお気に入りか」


 アレクは一歩前に出る。

 髪と同様に白い顔に付いている金色の瞳は優しげで、そこには敵意がない。

 袖と同だけに金の装飾が施された礼服は、まるで自分の純潔さを強調するようで、それが何だか気に入らなかった。


「あぁ、お前は黒幕だろ」

「そこの少女を狙っているという意味でならそうだな。君たち二人にこうして正面から会うのは初めましてだな。ようこそ我が教会へ。神父のアレクだ」

「ご丁寧にどうも。くたばってろ」


 つい凶暴な返答になってしまう。けれど、アレクは少しも動じなかった。


「随分と嫌われてしまったな。ベルデイレでのことはすまなかった、私としても愚息の行いを恥じるばかりだ」

「……なんで謝んだよ」

「君達と戦う気がないからさ。元々、君達を連れてきたのは交渉の為だ。あの場ではとても話し合える状況ではなかったのでね。だが、不死者である君が封印を解くのは誤算だったな。交渉の切り札にするつもりでいたんだが……」

「てめぇ……」

「さて、改めて交渉と行こうか。クロ・カトレア、私達の計画に協力してくれないか? 私が君の望む未来を創ってあげよう」

「お断りです。他を当たってください」


 アレクの提案をクロはあっさり突っぱねる。

 交渉は決裂。もう言葉では状況は変わらない。

 暴力でしか解決できない状況で、アレクは何故か嬉しそうに笑う。


「そうか、ならば闘争だ」


 短い言葉は暗示となり、アルカに染み込んだ。

 アレクが触れると同時に、戦闘狂は走りだした。

 自分の怪我なんて毛ほども気にせず、血に飢えた獣のように疾走する。

 礼拝堂を突っ切って。一直線に、俺をめがけて。

 咄嗟に腕を組んだ。

 十分に開いていた間合いは数秒で潰れ、放たれた蹴りは空気を切り裂く。

 腕を魔力で覆う暇もなかった。

 瞬間、腕に衝撃。


「っ、ぐ!?」


 べキリ、と腕が悲鳴を上げた。けれど、それだけでは止まらない。

 殺しきれなかった衝撃は腕から全身に伝わり、俺の体を軽々と吹き飛ばした。

 ほんの一分前まで倒れそうだったのが嘘みたいだ。

 何をした。いや、何をされた……!?


「ッ、タケルさん!」

「問題ねえ、そっちは頼む!」


 腕を治している間もアルカは礼拝堂を駆け回る。

 床を、瓦礫を、椅子を、壁を蹴ってさらに速度を上げていく。

 きっと、衝撃は足に魔力を集めて軽くしているんだろう。

 だとしても、なんでこんな動きができる……。

 けれど、思考の隙をついて弾丸のような速度で獣が突っ込んでくる。

 俺の死角から、魔力で強化した爪を振るう。

 躱しきれず、脇腹を掠める。

 鋭い痛みと一緒に鮮血が地面を濡らした。


「く、そ!」


 考えてる暇はねぇか。

 アルカの速度はもはや目で追えるものではなくなった。

 目でも、耳でも、肌でも警戒できない。

 ——爪が腕を掠める。

 傷が治るより早く、新しく傷ができる。

 血だまりは大きくなり、死がだんだんと近づいてくる。

 体力はすでに底をついて、不死がだんだん薄れて。

 自分が死にかけているのが分かった。

 ——爪が首を抉る。

 一瞬、意識が飛びかけた。

 死神の手が首を掴んでいる気がした。

 いよいよ死を実感する。初めて心臓を貫かれた時と同じだ。

 血が抜けて、意識が沈んで、闇に溶けて、消えていく。

 、これ、本当に死ぬ。

 あと一歩、後ろに下がれば死が俺の片足を掴んで引きずり込むだろう。

 あぁ、でも。だからこそ生きているのだと思える。

 ふと、クロが目に入った。


「クソったれ……」


 まさか、死ぬ事をヤバいと思うようになるなんて。

 これもクロと一緒に居たせいだろう。

 ——腕が心臓を貫いた。

 ごぼっ、と血が溢れる。

 いかん、ボーっとしすぎたか。

 心臓を貫いた手は、俺を死へ押し込むようにさらに深く沈む。

 アルカと目が合う。笑っていた。


「ハハッ、僕の勝ちだよ」


 勝ち……? 

 あぁ、そうだな。体力も尽きて、心臓を貫かれて、不死すらも殺されかけて……。

 確かに、俺の負けだ。いいよ、認めてやる。

 でもな——生きることは譲れない。

 死の淵から一歩、前に出る。それだけで吐血する。

 前に出て、拳を握った。

 アルカの顔から笑みが消えた。

 あー、なんだったかな。前に魔法を使えるコツみたいなものをクロから聞いた気がする。

 あー、えーと。あ、そうそう確か……。


 ——自分の心に素直になれば良いんですよ。


 だったか。

 魔法なんて縁遠いもんだと思った。使うことも、使えるようになるとも思えなかった。

 叶えたい『願い』なんて無かったし、死ぬためだけに生きていくもんだと思ってた。


「っふ、わりぃな。アルカ……」


 折角、俺を殺そうとしてくれたのに。

 不思議と拳に集めた魔力がと魔力は白く染まる。

 『願い』が魔法だとするのなら——


「じゃあな、俺の、死!!」


 ——生きることが俺の『魔法』だ。

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