第42話 願いの片鱗

 握った拳から刺す様な痛みを感じた。

 視線を落とせば、強く握りすぎたせいで掌から血が出ていた。

 直ぐに治るそれを恨めしく思いつつ、けれど同時に初めてこの力に感謝もした。

 何せ、目の前のクソ野郎を思う存分殴れるのだ。

 俺は死なずに、一方的に。


「立てよ、クソ野郎。一発殴られてハイ、お終いって訳にはいかねぇんだ」

「ッ、ハハ! いいねぇタケル。今のは効いたよ」


 予想外の出来事が嬉しいのか、血の混じった唾液を吐き捨てながらアルカは笑っていた。

 猫のような不気味な笑みではなく、新たな獲物を見つけた獣のような笑み。

 割と全力で殴った筈なのに、戦意が削がれるどころか寧ろ火を付けてしまったらしい。

 戦闘狂め……。

 背中に嫌な汗が滲む。


「不意を突かれたとはいえ、ここまで綺麗に貰うとは思わなかったよ。でも幽霊村で見た時よりも威力は弱いね。あぁ、魔力操作はまだ苦手なのか」

「一人で何をブツブツ言ってんだ。何でお前が幽霊村でのことを知ってる!」

「見てたからに決まってるだろ。本当は彼女の魔法の効力を確かめるためだったけど、さっきの一撃で君にも興味が出てきたよ。君は只物じゃあないって僕の勘が言ってるんだ!」

「知るか!」


 クロの親父さん——ムストを使わず、直接突っ込んでくるアルカ。

 俺も前に出た。

 すれ違い様に互いの拳が互いの顔面に突き刺さり、奥歯が折れる。

 口の中に溢れる血を吐き出すこともせず、そのままアルカの後頭部目掛けて回し蹴りを放つ。

 けれど当たる直前でアルカは後ろに跳び、俺の蹴りは空を切った。

 僅かに落ち葉が舞うその向こうで、アルカは依然として笑っていた。


「ハハハッ!」


 さらに距離を取ったアルカは、ムストに刺さっていたナイフを引き抜いて弾けるように真横に跳んだ。

 先ほどよりも数段速い跳躍。

 その勢いを殺すことなく、右へ左へとステップをしながら徐々に距離を詰めてくる。

 ……関係ねぇな。向かってきたところを叩くだけだ。

 避けることもせず、ただ大振りに拳を振るった。

 当然、当たるはずのない拳は僅かに風を起こすだけ。

 直後、左の脇腹にナイフが刺さった。


「——ぐっ!」


 激痛を噛み殺し、左手でアルカの手首を全力で握る。

 ——今度は外さねぇ!

 心臓から肩を通って腕に流し、拳に集めて——放つ。

 全力を込めた拳は今度こそアルカの顔面にめり込んだ。


「ッ、ぎ!?」


 けれど、伝わる手応えはおよそ人を殴ったものではなく分厚い鉄の壁を殴ったようだった。

 拳の骨が砕けた。


「知らないのかい? 魔力は打撃に込めれば格段に破壊力が上がるけど、魔力で体を覆えば鎧にもなるんだよ。こんな風にね!」

「が、ふっ!」


 魔力を込めた掌底が腹に打ち込まれた。

 まるで槍で体を貫かれたような衝撃と激痛に堪えていた血が口から溢れる。

 アルカの手首を掴んでいた手は離れ、刺さっていたナイフは血と内臓を撒き散らしながら引き抜かれた。

 立っていることもできず、血反吐を吐きながらその場に蹲る。

 間違いなく致命傷の傷。

 だが、激痛は直ぐに鈍痛に変わり、地面を濡らしていた血と臓物も映像が巻き戻るように治っていく。


「ふふっ、やっぱり只物じゃあなかった。君、不死者だろ!」

「ちっ、だったらどうした……」

「最っ高だよ、タケル! もっと、僕と戦おう!」

「ふざけんな。俺はてめぇと戦う気なんてハナッからねぇよ。言ったろ、ぶっ殺してやるってな!」


 あぁ、そうさ。俺は単にクロを傷つけられたから怒ってるだけだ。

 あいつの心を弄んで、貶して、踏みにじったアルカを許せない。

 拳を握る理由なんて、それだけだ。

 お前を殴る理由なんて、それだけで良い。


「戦う気はない、か。ふはっ! タケル、それは間違いだよ」

「あぁ……?」

「だってそうだろ? どんな理由であれ、拳を握り、剣を取り、弾丸を込めた時点で戦いは成立している。過程はどうでも良い。互いの正義や大義をぶつけ合った結果、勝ち残った方が正しいってだけ。そうだ、これは戦いだよ! 君の思いと僕の願いをぶつけ合う戦いなんだ!」

「知るか。てめぇの哲学なんぞ、それこそどうでも良い」

「ハハッ! 違いない!」


 相変わらず、アルカは笑った。

 楽しそうに、嬉しそうに。

 ナイフで手を貫かれ、俺に殴られ、確実にダメージは溜まっている筈なのにアルカの表情からはそれが感じられない。

 本当に同じ人間なのかと不気味に思ってしまう。

 けれど、だからって怯む訳にもいかない。

 こいつはここで、確実に仕留める。


「あぁ、残念だよタケル。君とはもっともっと戦いたい。でも上の連中はせっかちでね、一刻も早く不老不死を手に入れたいらしいんだ。だから——君と彼女、両方ウロボロスへ連れていくことにするよ」


 瞬間、アルカの後ろで暴風が吹き荒れた。

 咄嗟に腕を組んで顔を庇った。

辺りの落ち葉や木が悲鳴を上げながら舞い上がり、折れる。

 けれど、それだけだった。

 始めから俺を狙ったものじゃない。

 ならば何を、誰を狙ったのか。——不意に、腕の隙間に人影が映った。


「ッ、クロ!!」


 暴風に煽られたクロの体は、ボールのように何度も地面を跳ねて木に叩き付けられる。

 メキッ……、と嫌な音が聞こえた。


「か……はっ!」


 血と共にクロの肺から漏れた苦悶の声は未だ吹き荒れる風に攫われた。

 ——嫌だ。

 けれど、駆け出した瞬間アルカに道を阻まれた。


「退けっ!」

「断るよ。彼女も連れていくと言ったけど、今の彼女はあまりにも弱すぎる。だから、魔力の核心に触れてもらわなきゃならないのさ」

「うるせぇ、退け!」

「やれやれ、話を聞いてくれないね。じゃあ独り言だ。魔力の核心というのはね、簡単に言えばその者の魔法の原点だ。その者の『願い』と言い換えても良い。何のためにその魔法を使い、何を成し得るためにその魔法を使うのか、その魔法を使う人間がきちんと理解する必要があるんだよ。ねぇタケル。人間の魔力が最も強力になる瞬間っていつだと思う?」

「だから——」

「それはね、死ぬ瞬間だよ。人間は死という最期から逃れるために己の力の全てを掛ける。それはつまり、その瞬間こそ魔力の核心に最も近づけるからさ」


 少し楽しそうに笑うアルカを見て、背中に冷たい汗が滲んだ。

 もう、こいつに構っている余裕は無かった。

 一刻も、一分一秒でも、ほんの少しでも早くクロを助けなきゃならない。

 でなきゃクロが殺される。

 そんなのは、嫌だ……。


「だから、行かせないって言ってるだろ」

「退けって言ってんだろうが!」


 拳を握り、振るう。

 顔面を狙って蹴る。

 しかしどれもアルカには届かず、避けられる。

 もう、こいつには俺と戦う気はない。クロとムストの決着が付くまで時間を稼ぐつもりだ。

 それが分かってしまったが故に自然と焦ってしまう。

 呼吸は浅くなり、心臓の鼓動も早くなる。

 退けよ、退いてくれっ!


「やれやれ、さっきまでの冷静さが見る影もないね」

「ぐ、がぁ!?」


 思わず大振りに拳を振った隙をつかれ、アルカに組み伏せられた。

 下手に抵抗されないためか、右肩の関節を外され左手はナイフで地面に縫い留められる。

 体を捩じり、足を暴れさせるが、アルカは涼しい顔で俺を見下していた。


「ほら、見てごらんよ。もうじき決着だ」

「っ、!」


 見れば、クロはムストに首を掴まれ木に押し付けられていた。

 両手で腕を掴み、足をばたつかせて抵抗している。

 けれど、元々ムストは死体。いくらクロが抵抗しようと表情一つ変えず彼女の首を締め上げる。

 クロの表情が歪んだ。


「本当はここまでするつもりは無かったんだよ。彼女が最初から彼女の願いから目を背けてさえいなければ、こんなことにはならなかったんだ。でも、彼女は目を背けてしまった。自分の願いが形を変えて現れて、彼女はそれを否定しようとした。だから、死ぬんだよ」

「うるせぇ……!」

「まぁ、僕も本気で殺す気はないから安心しなよ。もっとも、力加減は苦手だから失敗することの方が多いんだけど……。その時は君に協力してもらうから」

「うるせぇ、お断りだ!」


 立ち上がるために体中に力を籠める。

 嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ。

 クロを失いたくない。

 また、目の前で『大切な奴』を失いたくない。

 立てよ。立って助けろよ。

 もう二度と、あんな日常は御免だ。

 もう二度と、あんな思いはしたくない。

 だから——立てよ!


「本当に君は最高だよタケル。最後まで諦めないその心、実に素晴らしい」

「ぐ、おぉぉっ!」

「でも、届かない」


 はっ、とクロの方を見た。

 さっきまで必死に抵抗していたクロは既に事切れたようにダラン……としていた。

 ムストがさらに力を込めようともクロは少しの反応も示さない。

 嘘、だろ……。


「ク、ロ……」


 返事はない。

 代わりに木の葉のようにクロは地面に倒れた。


「残念、彼女は至らなかったか……」


 アルカは、ほんの少しだけ残念そうに呟くと俺の上から退いた。

 表情までは分からない。

 ——そんなもの、どうだっていい。

 外れていた関節や、暴れてできた擦り傷が治っていく。

 ——ふざけんな、何で俺だけ……。

 あぁ、またかよ……。

 また、俺は……ッ。


「ッ、アァルゥカァァァァァァァアァアッ!!」


 心のタガが外れる音が聞こえた。

 また、失ってしまった。

 守りたかったものを、失いたくなかったものを、また失ってしまった。

 ふざけるな。

 あいつが死ななきゃならない理由が何処にあった。

 魔力の核心? 不老不死?

 そんな下らないモノの為か?


「ッ、この魔力……。ハハッ! まさか君が至るとはね。タケル、やっぱり君は最高だ!」


 アルカが笑いながら何かを言っている。

 なんで、てめぇが笑ってんだ。


「あぁ、組織の目的なんてどうでも良くなる。死ぬまで、いや、死んでも君と戦いたい!」


 知るか。勝手に満足して死にやがれ。


「さぁ見せてくれ、君が何のために魔法を使うのか。君の願いを魅せてくれ!」


 うるせぇよ。一人で勝手に盛り上がってろ。

 あぁ、でもそうだな。

 最初に言ったな、てめぇをぶっ殺すって。

 あぁ、分かったよ。望み通り殺してやるよ。この死にたがりの戦闘狂が。


「精々後悔して死んでくれ、アルカ」

「まさか! 僕は後悔なんてしないよ。今もこれからも僕は戦いの中で生きて死ぬ。それがどんな結末であれ、後悔はないよ」

「そうかよ!」


 魔力を集め、拳を握る。

 感情任せに集めた魔力はいつもより黒く、禍々しい。

 ——皮肉だな。

 引き返せなくなるのは分かっている。

 失うことも覚悟の上だ。

 クロとの約束も、不二に託されたものも。

 それでも俺は、お前を殺したあいつが許せない。


 ****


 そもそも、最初から結果が見えていた戦いだった。

 俺は死ななくて、アルカは死ぬ。

 そんな単純な戦いの決着なんて、酷く呆気ないものだ。


「ヒハハッ!」


 笑いながら振りぬかれるアルカの拳に俺の拳をぶつける。

 互いに魔力を込めた拳には、ぶつかった瞬間に鉄同士が衝突したような手応えがあった。

 けれど、その手応えも一瞬のこと。

 さっきと同じように魔力で固められたアルカの拳は、しかし俺の拳を砕くことなく逆にガラスが割れるように砕け散った。

 拳から始まった崩壊は腕に伝播し、アルカの右肘から先を粉々にした。

 アルカの表情が初めて驚愕に変わる。

 そのままアルカの顔面を掴み、地面に叩き伏せる。

 もう一度、黒い魔力を拳に集めて顔面へと振り下ろす。

 吐く息すらも潰すように

 くぐもった声と共に飛び散った血が顔に付く。

 まだこいつは生きている。

 また、拳を握って振り上げる。——瞬間、背中に暖かさを感じた。


「タケル、さん……。それ以上は、駄目、です……」


 息の切れた声。

 けれど、もう一度聞きたかった声。

 首だけ振り向くと、泣きそうな顔のクロがそこに居た。

 口の端から血を流し、身体中に土と傷だらけのままで。


「クロ……」


 呟くと同時に黒い魔力は消え、力も抜けた。

 多分、心底安心したからだろう。

 思わずクロを抱きしめる。

 けれど感傷に浸る間もなく、突如吹き荒れた暴風に二人纏めて地面に叩きつけられた。


「ぐっ!?」

「う、くぅ……」


 クロを庇いながら地面を転がる。

 背中から木にぶつかり、一瞬息が詰まった。

 起き上ることもせずに前を見ると、アルカを庇うようにムストが立ち尽くしていた。

 その後ろで、死にかけのアルカがまるでゾンビのような、おぼつかない足取りで立ち上がる。


「ぶはっ! はぁ……はぁ……。ハハッ……! 死ぬかと思ったよタケル……」

「アルカ……。てめぇ!」


 こいつ、まだ生きてるのか。

 片腕吹き飛ばして、顔面にも叩き込んだんだぞ。


「まさか、片腕を持って行かれるとは思わなかったよ。僕も魔力で腕を固めていたのにまるで意味がなかったよ。見ての通り、


 血塗れで今にも倒れそうなのに、アルカはそれでも笑っていた。

 砕けた自分の腕を見て、嗤っていた。

 分かりきっていたことだ。だが、今改めて思い知らされた。

 ——こいつは狂ってる。


「ふふっ、そう身構えなくていいよ。僕としても今死ぬのは惜しい。残念だけど今回は引くことにするよ。じゃあね、次はきちんと殺し合おう」


 言い終わると同時に、アルカとムストは消えた。

 多分何かの魔法だろう。

 だが、今はそんなものどうでも良い。

 クロを抱きしめたまま、大きく息を吐く。


「……疲れたな」

「……そうですね」


 暫く、動く余裕は無かった。

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