第58話 死にたがり、生きたがる
「がっ、はぁ……っ!」
溜まった血反吐を吐き出す。
アルカとムストから逃げるために天井を崩した後、何とか体を治した俺は教会内を徘徊していた。
ケンジからの情報通りなら三十人前後の人数が居るらしいが、今の教会内にはそんな人数が居る気配はない。
あれだけの騒ぎだ、居ればすぐに人が来るはずだ。
多分、騎士団と交戦しているんだろう。
俺としては好都合だ、安心してクロを探せる。
けれど、心とは反対に体は休息を欲していた。
天井が崩れた際に潰れた体は殆ど治っているのに、あのナイフに刺された右手と右肩は治る気配がない。
未だに傷口はグズグズに溶けて、腐敗臭が鼻につく。
でも、休んでいる暇は無い。
「クロ、何処だ……!」
止まりそうになる脚を無理やり動かす。
赤黒く染まった足跡を残しながら、鬼みたいに。
沸き上がる感情は暴力的で、時折支えにしている壁に罅が入る。
また、この黒い魔力が漏れてしまっているらしい。
それを見るたびにクロの顔が頭にちらついて、余計に心がざわめいてしまう。
……呆れた。
何時だったか、イールは俺の事をクロにほだされて丸くなったと言った。
でも、俺の本質は何も変わっていない。
だって、今も昔も俺は誰かを支えにしなきゃ息の仕方すら忘れてしまうくらい生きるのが下手糞だから。
死に、焦がれているから……。
「……ちっ」
漏れた舌打ちは、やはり赤黒く滲んだ。
アルカから逃げおおせてから十五分ほどが経った頃、牢屋があった場所から丁度反対側まで来た。
時々足が止まってしまったとはいえ、広すぎる建物だ。
元が教会だからだろう。小綺麗でシックな木造の内装は普遍的で、此処が本当にウロボロスの本拠地なのか疑ってしまう。
警戒しようにも警戒心が解きほぐされそうな雰囲気は厭に不気味だ。
治る様子のない右腕をぶら下げて、壁にもたれ掛る。
そのまま霞み始めた視界で曲がり角の先を見ると、なにやら重々しい音を響かせているドアがあった。
奴ら、何か魔物でも飼ってるのか……? そう思い、暫く様子を見てみる。
けれど、一向に音は鳴りやまずドアの中では依然として何かが暴れ続けている。
「……ん?」
そろそろ自分で中身を確かめてやろうか、と身を乗り出そうとした直前。
廊下の向こうから見慣れない格好をした二人組が、怪訝な表情を浮かべながらこちらへ向かってきた。
手には何やら金属質の珠を持っていて、歩く速度は全く落ちる気配がない。
まずい。地下の件が他の奴にバレたか……!
……いや、それにしては対応が遅すぎる。
バレてるなら俺が地上に出て直ぐに誰かと鉢合わせるはずだ。
なら……あの二人の目的はドアの中身の方か。
「……」
改めて壁越しに様子をうかがう。
思った通り、二人組はドアの前で立ち止まり一瞬お互いの顔を見合わせた。
それが合図だったのだろう。手に持った金属質の珠が光ると同時に二人組はドアに手をかけた。
「へぶっ!?」
けれど、タイミングが悪かったせいか一人は情けない声をあげながら蹴り飛ばされた。
もう一人はそれに動じながらも懸命に珠の魔法で反撃する。
「う、くっ……!」
苦悶を帯びた、聞き慣れた声。
それが聞こえた瞬間、考えるより早く俺は壁から身を乗り出し、一目散にもう一人に向かって走り出した。
当然、俺のことなど気づいている筈もなく、もう一人の男は目に見えて焦っていた。
「悪いな!」
心ばかりの謝罪と魔力を左手に込めて殴りつけると、男は簡単に吹き飛んで気を失った。
「っ、タケルさん!?」
「クロ、やっぱりか!」
思った通り、声の主はクロだった。
さっきの魔法が掠めたのかと思ったが、見た感じそんな様子はない。
けれど、それに安心したせいか脚から力が抜けてその場に倒れこむ。
血を流し過ぎたのもあるかもしれない。
クソ、今どのくらい自分が死にかけているのかよく分からねぇ……。
そんな俺を見て、クロが慌てて駆け寄ってくる。
「タケルさん、怪我を……!」
「気にすんな、大した怪我じゃねぇよ」
「でも、血が!」
「問題ねぇよ。それより、お前は大丈夫か?」
「えぇ、まぁ……っ!」
立ち上がる直前、クロが脚を押さえて息を呑んだ。
「お前、脚怪我したのか……」
「このドア、結構固くって……。捻ったみたいです。でも、タケルさんよりは絶対大丈夫ですよ」
「はは、みたいだな……」
さっきまでお互い捕まっていたのが嘘なくらい軽口を叩き合う。
けれど、いい加減座っているのも限界だ。
「クロ、これ治せるか……?」
「っ、治らないんですか?」
「あぁ、アルカに刺されてな。あいつが言うにはお前の魔力を籠めた魔法具らしいけどな。詳しいことは分かんねぇや」
「それで……。タケルさん、私の首に付いてるこの首輪壊せますか?」
「あぁ……? あぁ、多分できる」
半ば虚ろになりながらクロの首に手を伸ばす。
幸いなことに黒い魔力はまだ漏れているようで、触れれば壊せるはずだ。
必死に伸ばした指が首輪に触れる直前、おかしなことにクロが目の前から消えた。
違う。
クロが移動したんじゃなくて、俺が吹き飛ばされたんだ。
それに気づいて、始めて体に何かがめり込む感触があった。
「——ご、あぁ!?」
遅れて聞こえる肋骨が折れる音。
受け身なんて取れるはずもなく、紙のように吹き飛ばされ部屋の壁に叩き付けられた。
「タケルさん!」
飛びそうな意識を、不死が無理やり繋ぎ止める。
ぼやける視界でクロの方を見ると、俺たち以外にもう一人誰かが立っていた。
黒い短髪に、紫色の瞳。
クロじゃない。けれど、彼女と似た雰囲気を持つ男がそこに居た。
「ムス、ト……」
「父さん……」
俺達が声を掛けても、やはり反応は返ってこない。
いや、それよりももっと警戒しなきゃいけない奴がいる。
アルカは、何処だ——
「——やぁ、タケル」
「っ!?」
背筋がゾワッとする感覚に体が跳ねる。
けれど、怪我が治りきっていない体は本当にただ跳ねるだけでその場から動けない。
視界の隅に映るアルカの顔にはすっかり見慣れてしまった厭な笑みが張り付けられていて、まるで花を切り飛ばすようにナイフが振られる。
避けれねぇ……!
悟った瞬間、今度は視界が黒く塗りつぶされる。
鼻先を撫でる柔らかな香りは、まさに花のようで——心臓が跳ねた。
「クロ——!」
口を開くより早く振られたナイフは、しかし彼女の首を斬り飛ばすことはなく。
逆に、それ合わせて前に出たクロに受け止められた。
「今です!」
何が、までは聞く必要が無かった。
気力だけで四肢を動かし、血塗れの指先にありったけの魔力を籠める。
赤黒い血を押しのけるように滲み出た黒い魔力は、アルカの手に握られたナイフをガラス細工みたいにあっさり砕いた。
「なっ——が、うぁ……!?」
「隙だらけですよ!」
動揺する暇すら与えぬよう、クロの掌底と回し蹴りがアルカの顔面に突き刺さった。
だが、それでもあいつは倒れない。
見れば、アルカの全身には崩落に巻き壊れて出来ている筈の怪我があまりない。
所々で血が滲んでいるが、どれも軽傷だ。
おそらく、ムストの魔法で凌いだのだろう。
ここまでしつこいと敬意を払いたくなってくる。
まったく、我ながら変な奴に好かれたもんだ……。
でも、それも此処でお終いだ。
「いい加減、決着を付けようぜ。アルカ……」
「ぷ——ハハッ! あぁ、お互いにもう手札は尽きた。でも、ここからが本番だよタケル!」
「……クロ、親父さんのこと頼めるか」
「……はい」
「悪い……」
「いいえ——もう逃げないと決めましたから」
そう言うクロの眼はとても強く、何故だか小さく笑ってしまった。
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