第9話 一番の特効薬は可愛い女の子な訳で
「立てますか?」
「……いや、まだ無理みたいだ」
日影に覆われた泥塗れの裏路地で俺は座り込んでいた。
別に好き好んで座ってるわけじゃない。立つ元気が無いからこうなってしまっているだけだ。
さっき水を流し込まれたおかげで幾許か体力が戻りはしたが、丸三日間飲まず食わずだった体は今も鉛のように重たい。
「仕方ないですね」
そう呟いたクロは、肩から下げている鞄から小さな小瓶を取り出した。
ガラスの小瓶の中身は僅かに差し込んだ陽の光によって青い蛍光色に見える。
如何にも薬に見えるそれに、なんとなく嫌な予感がする。
「……一応聞くが、何だそれ」
「元気が出る薬です!」
「いや、言い方。その言い方だとあぶねぇ薬じゃねぇか」
「……飲むと元気が出る薬です!」
「結局あぶねぇ薬じゃねぇか」
逆に飲む以外でどう使うんだそれ。
そんなツッコミをするより早く、クロの指が小瓶の蓋を弾いた。
出会った直後とは別の理由で今すぐ逃げたいが、体力の尽きた俺の体は全く言う事を聞いてくれなかった。
気のせいか、クロの顔にも影が落ちて目が怪しく光っているようにも見える。
「さぁ、飲んでください!」
「んごっ!?」
どろりと粘着質な液体が口いっぱいに広がった瞬間。
俺は人生で初めて、三途の川を目にした。
死ぬ、本当に死ぬ……。
****
「げほっ、おえぇ……。死ぬ、本当に死ぬ」
「でも、元気になったでしょ?」
「それは、まぁ……」
結果を言えば、クロの言っていたことは本当だった。
文字通り死ぬほど不味いあの液体を飲んだ俺の体はどうにか立ち上がれるくらいには回復した。
存外、怪しい薬も馬鹿にできない。
「さて、まずはその泥塗れの格好をどうにかしましょう」
「あっ……」
まるで子供の手を引くような声音で手を引かれた。
あまりに純粋なクロの態度にどう反応を返せば良いのか分からなくなる。
あと一歩で大通りに出るところで俺は足を止めた。
自然と繋がれていた手は離れる。
「ん、どうかしました?」
「いや、やっぱりこれ以上迷惑をかけるのはどうかと思ってな」
この世界において、俺は得体の知れない余所者だ。
しかも、ついさっきまで裏路地で生活をしていたせいで泥塗れだ。
こんな格好の余所者と一緒に居れば、少なからずクロに迷惑が掛かる。
ただでさえ返しきれない恩があるのに、俺と一緒に居るせいでクロが要らぬ火の粉を浴びることになるのは避けたい。
「もう、そんなこと気にしませんよ。小さいことを気にしすぎると禿げますよ」
「禿げねぇよ。てか、お前意外と遠慮ないな」
「初対面で胸倉を掴んで押し倒す人に言われたくないです」
「うっ、それはさっき謝ったろ」
「あら、もしかしてあれで全部チャラになったと思ってます?」
「う、ぐっ」
「なのでいつかきちんと返してくださいね。安心してください。こう見えて気は長い方ですから」
「っ……分かったよ」
「ふふっ、ほら。今度は離さないでくださいよ」
差し出された手をもう一度握る——
「おんやぁ、お取込み中かい?」
突然、後ろから聞こえたねっとりとした絡みつくような声に背筋が跳ねた。
昂っていた感情は一気に冷めてしまい、振り返ると黒いローブを被った男がいつの間にかそこに居た。
フードのせいで顔は見づらいが、ワカメの様に萎びた緑の前髪と爬虫類の様な黄色い瞳が俺達を映していた。
ニヤァ、と歪んだ笑顔のせいか第一印象は最悪だった。
「取り込み中なら悪かった、謝罪するよ」
「誰ですか、少なくとも私の知り合いじゃあないんですけど」
「あぁ、お互い初対面だ。いや、オレ達『ウロボロス』が一方的に知っていると言った方がいいか……ヒヒ」
「ウロボロスだぁ……?」
「おい、あまり喋るな。秘密裏に行動するように命令を受けているだろう」
また後ろから声が聞こえた。
今度は大通りの方から来たのだろう、クロの後ろに青髪の男が立っていた。
やっぱりというか、こいつもローブを被っている。
しかし、身長が俺より高く顔が見える。
ワカメ男とは対照的な釣り上がった目は氷のように冷たい印象を受けた。
「ヒヒ……そう怒るなよ。何はともあれターゲットを連れ帰れば事は丸く収まるって訳だ」
「あぁ、さっさと終わらせよう」
「ヒヒ……了解だ」
「おい、さっきから何の話をしてやがる!」
話の内容なんて全く興味ないが、それでも除け者にされるというのはあまり気分が良いものじゃない。
それに白昼堂々と泥塗れの裏路地に屯するような奴らだ。どう見たってまともじゃない。
そして俺かクロに何かしら用事があるんだろうが、それもきっと碌なもんじゃない。
「ヒヒ、悪かったな」
ワカメ男が笑いながら地面に手を当てた。すると地面の泥がワカメ男に集まり、人の形に変わっていった。
「オレのゴーレムで潰してやるよ。壁のシミにでも成ってな」
「助けは期待しないほうがいい。人払いは済ませてある」
「っ! タケルさん逃げてください!」
クロの言う通り、まずい状況なのは分かる。
だが、目の前で起きていることが何なのか分からなくて体が動かない。
泥を集めて、ゴーレムを作る。
これも、魔法……。
「ごっ⁉」
暢気に観察していると、全身に重い衝撃が走った。
吹き飛んだ体は壁に叩き付けられ、前と後ろから肺を圧迫されて息がつまった。
壁にぶつかった瞬間、体中から嫌な音が聞こえて意識が一瞬飛んだ。
折角不味い薬を飲んで戻した体力が一気に削られてしまった。
上手く定まらない視界でゴーレムを見ると、丸太の様に太い腕を振り上げていた。
クソ、ふざけんじゃねぇ。
こんな所で死ぬ訳にはいかねぇ。
今死ぬ訳にはいかねぇんだよ!
しかし、振り上げられた腕は無情にも俺の頭に振り下ろされた。
俺は目を閉じた。
「…………」
しかし、何時まで経っても痛みも衝撃も来ない。
恐る恐る目を開けると、視界の殆どが黒く染まっていた。
一瞬本当に死んだのかと思ったが、腰まで伸びた黒髪から漂う微かに甘い匂いが鼻を撫でた。
クロだ。クロが俺とゴーレムの間に割って入っていた。
「おい……」
「大丈夫ですか、タケルさん?」
「どうにか、な……」
クロの両手が淡く光ったと思ったら、全身の痛みが少しだけ楽になった。
けれど、今すぐには立てそうにない。
そんな俺を庇うようにクロが前に立つ。
「この人は関係ありません。貴方達の目的は私でしょう?」
「あぁ、お前さえ私達に付いて来てくれるのならその男は解放しよう」
「……わかりました」
「ヒヒ……物分かりがいいな」
ワカメ男の言葉と共にゴーレムは跡形もなく崩れ去った。
クロが俺から離れると青髪の男から後ろ手に手枷を嵌められた。
俺が居るせいで抵抗が出来ないクロに満足したのか、男達も勝ち誇った笑みを浮かべていた。
「待ち、やがれ……!」
俺は未だに痛む体に鞭を打って立ち上がる。
きっとこのボロボロの体で立ち向かえば、文句なく殺される。
幾ら蛮勇に身を焦がそうが俺が二人組をぶっ飛ばしてクロを救えるなんて、そんなかっこいい展開にはならない。
ワカメ男が言っていたように壁のシミになるのが関の山だろう。
でも、俺なんかの為にあいつが、クロが犠牲にならなきゃいけないなんてそんなことがあっていい筈がない。
あいつだけは、絶対に助けるッ!
「……すいません巻き込んでしまって」
踏み出そうとした足は、その一言で凍り付いた。
それと同時に気力だけで支えていた足が崩れ落ちて、俺はまた泥に叩きつけられた。
意識が沈む直前、見上げた先で恐怖に身を竦ませたクロが精一杯笑って、
「貴方は生きてください」
そう言った。
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