第8話 灰とクロ

「此処に居たんですね……」


 朗らかな笑みを浮かべたクロはゆっくりと俺のほうに歩いてきた。

 俺は後ろめたくて顔を背けた。

 散々助けてもらった挙句、結局死のうとしたんだ。

 今更、合わせる顔なんてない。


「なんで、来た……」

「何だか気になっちゃって、ずっと探していたんです」


 ——なんで、探したんだ。

 そんな言葉すら口から出てこない。

 あのまま、放っておけば良かったのに。

 あのまま、見て見ぬふりをしても誰もお前を責めないのに。

 そうすれば、誰も傷つかずに済んだはずなのにッ!


「なんでだよ……。なんで、見つけちまったんだッ!」


 もう無理だった。

 もう感情を押し殺すことができそうにない。


「探さなきゃよかったじゃねぇか! 赤の他人のままでよかったじゃねぇか! なんで探した、なんで見つけた!」


 感情のままに怒鳴り散らした。

 俺が間違っていることなんて百も承知だ。

 でも、お前に会いたくなんて無かった。

 会ったら今度こそ助けてくれと言ってしまいそうで、張り詰めていた心が限界を迎えてしまうから。

 お前を傷つけてしまうから……。


「なぁ、なんでだよ。なんで死なせてくれねぇッ!」


 奥歯が砕けるほど噛み締めた。

 世界がもう少し残酷なら、クロがもう少し意地悪なら、俺がもう少し強ければ。

 きっと俺は死ねていた。

 悔いも未練も夢も希望も何もかもを残して、道端に転がる死骸になり果てて死ねていた。

 そうあるべきだと思っていたのに……。


「……ごめんなさい」


 ジグリと心に棘が刺さった。

 また、やってしまった。

 恐い。クロの顔を見るのが恐い。

 また、こいつの悲しんでいる顔を見たらきっと心が後悔や罪悪感に押し潰されてしまう。

 もう自棄になってしまいそうだ……。


「私は貴方を助けます」


 予想外の言葉に顔が上がった。

 泣いている。そう思っていたクロの顔には涙など微塵も無く、強い意志が表れていた。

 透き通る様な綺麗な紫の瞳が俺の目を真っ直ぐ射抜く。

 その目にすっかり見惚れていると、クロは肩に掛けている鞄から水筒を取り出した。

 そして、ふっと笑いながら水筒の蓋を外すと、


「取り敢えず、これを飲んでください!」

「んごぼぉ!?」


 水筒を口に捻じ込まれた。

 口の中に大量の水が注ぎ込まれ、体勢が悪いのか鼻で呼吸ができない。

 軽いパニックを起こしつつも体が緊急対応で水を飲み干した。


「げほっ、ごほっ、殺す気か!?」

「ふふ、ちょっとした仕返しですよ」


 小学生の時に悪戯に巻き込まれてプールで溺れかけたことを思い出してしまった。

 どうやら、少女の皮を被った悪魔だったらしい。

 だけど、悪魔だろうと天使だろうとまた救われてしまったことに変わりはない。

 ここは素直に感謝した方が良い。その筈だが、今の俺には疑問が頭の中を渦巻いていた。

 何で、俺なんかに拘るんだ。

 クロには俺を助ける義理も義務も無い筈なのに。

 出会ってまだ日も浅い、理不尽な怒りをぶつけてくるクソ野郎になんでここまで必死になれるのか、全く分からなかった。

 

「なぁ……」

「なんですか?」

「なんで、俺なんかにそこまで俺に拘るんだ?」


 我ながら、酷い質問だと思う。

 こんなつまらない質問をしたって何がある訳でも無い。

 でも、聞かずにはいられなかった。

 どんなにつまらない答えが返ってきたとしても、俺はそれをこいつの口から聞きたかった。


「……質問に答える前にまず一つ言わせてください」

「あ、あぁ」

「すぅ……。初対面の時から思っていましたが貴方は感謝って言葉を知らないんですか!? 私だって思いっきり叩いて悪いなとか思いましたし、別に恩を着せようとか思ってませんけど最低限の礼儀ってものもあるでしょう!!」

「うぐっ」


 全く持ってその通りだった。

 ぐうの音も出ない。完全無欠の正論だ。

 これに関しては全面的に俺が悪い。


「……すいませんでした」


 頬を膨らませながら怒るクロを前に、俺は土下座した。

 辺りに見える外国風の街並みやクロの名前から、土下座が伝わるのか疑問ではあったが誠意を見せることに関して俺が知っているのはこれしかない。


「…………?」


 しかし、土下座のまま待てど暮らせどクロからは何も無かった。

 チラリと見上げれば、未だに頬を膨らませたクロが俺を見下ろしていた。

 なるほど。土下座では足りないと。切腹コース確定という訳か。


「……別に謝って欲しい訳じゃないです」

「え……あぁ、そういうことか——ありがとう」

「仕方ないですね、許してあげましょう」


 うむ、と満足気に頷くクロを見て、俺もようやく肩の荷が下りた。


「あ、そうそう。さっきの質問の答えなんですけど」

「あぁ」

「自分でもよくわかりません」

「なんだそりゃ……」

「いいじゃないですか、根拠も理由もなく人を助けるなんてことがあっても。あ、いや、理由はありました」

「はぁ、その理由とは?」


 丁度差し込んだ陽の光に照らされ、クロが笑う。


「私がそうしたかったから、ですよ」


 その顔を見た時、さっき感じた懐かしさの正体がわかった気がした。

 不二の言葉が脳裏を過る。

 ——お前の為に生きて、お前の為に死んでくれ。

 あぁ。分かったよ、親友。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る