第10話 英雄ではなく死にたがり

 冷たい泥の感触で目が覚めた。

 滑る泥があちこちに纏わりついて気持ち悪い。

 考えうる限り最悪の寝覚めだ。

 痛む体を庇いながら、どうにか壁にもたれかかるとさっきまでの事がフラッシュバックする。


 ——貴方は生きてください。


「クソッ!」


 壁を思い切り殴りつける。

 これじゃあ、不二の時と一緒だ。

 俺はまた、あいつのような善人を見殺しにするのか。

 そんなの、ごめんだ。

 そんなことなら死んだほうがマシだ。


「いや違う。そうじゃねぇだろ」


 それじゃあ何も変わらない。

 それじゃあ何も変えられない。

 なら、死ぬわけにはいかない。

 でも、勝てるのか?

 魔法なんて未知の力を使う連中と戦って、俺はクロを助けられるのか?


「ただ、俺の為に……」


 ——私がそうしたかったから、ですよ。


 あの時、クロはそう言った。

 難しいことじゃない。ただ自分の心に素直に従っただけだ。

 至ってシンプル、純粋な答えだ。


「あぁ、そうだ。何も難しく考えなくていい」


 もしかしたら、死ぬかもしれない。

 いや、死ぬ可能性の方が圧倒的に高い。

 不二との約束も此処で終わってしまうかもしれない。

 でも、自分の命も懸けられない奴が自分の望む未来を手に入れられるか?

 できるわけがない。


「……わりぃな。此処で死ぬかもしれねぇ」


 目閉じて大きく息を吸う。

 相手は二人組、それも魔法を使う奴らが相手だ。

 対してこちらには武器はない。

 あるとすれば両の拳くらいだ。

 どうしようもないほどの逆境、だがそれ故に気分が高揚した。

 どう見たって無茶だし、どう見たって無謀だ。

 でも、無駄じゃない。


「……とは言ってもどう探すかな」


 辺りを見ても足跡しかない。

 ……足跡?


****


 あれから三十分が経とうとしていた。

 思いのほかダメージが足に来ているせいで思いのほか時間を食ってしまった訳だが、成果はあった。

 裏路地に残っていた三つの足跡。

 青髪が言っていた人払いとやらのお陰で、クロが連れ去られた場所を絞り込むのは簡単だった。

 そうして辿り着いた廃屋。

 地面を見ればドアで擦れた後が見える。

 どうやら当たりの様だ。


「さてと……」


 目閉じて、大きく息をする。

 早くなる心臓の鼓動を落ち着けるように、視界から曇りを払うように、覚悟を決める。

 もしも死んだらあの世で不二に謝るとしよう。


「行くか……」


 小さく息を吸って、ボロいドアを思い切り蹴飛ばす。

 中には思っていた通りに青髪とワカメ男そして、椅子に縛り付けられたクロが居た。

 ドアが壊れた音に二人組の視線が俺に向くがもう遅い。

 ワカメ男がゴーレムを作り出す前に走り出した。


「ヒッ!?」


 まさか自分が真っ先に狙われるとは思ってもいなかったのだろう。

 明らかに見て取れる動揺。

 思い切り振りぬいた拳がワカメ男の顔面に突き刺さった。

 メキッと骨が軋む感触を感じた刹那、ワカメ男は回転しながら後頭部から壁に叩きつけられた。


「あと一人ッ!」

「くっ、貴様ッ!」


 青髪が身構える。

 もう不意打ちは使えない。

 ここからは正面からやりあうしかない。

 俺の常識では測れない力を使う相手と正面から戦わなければならない。


「どうして、来たんですか……」


 俺の後ろに居るクロが消えそうな声で呟いた。

 どうして、か。

 答えても良いが、そのためには目の前にいる邪魔者をぶっ飛ばさなきゃいけない。


「ふはっ、あまり思い上がるなよ。貴様のしたことなど所詮汚い不意打ちにすぎん」

「俺に正々堂々を求めてたなら生憎だな。こちとらガキの頃から不良まがいの生き方してんだよ」

「なるほど、ならばここで貴様の腐った性根ごと切り伏せてくれる。氷よ——」


 青髪が何もない空間に手をかざすと、青髪の足下から冷気が漂い始め辺りを白く染めていく。

 冷気はそのまま部屋を満たすように広がり、辺りの温度を下げていく。


「——愚者に慈悲の一撃を」


 青髪が呟いた瞬間、満たされていた冷気が一気に男の手に集まった。

 まるで手品のように、緻密に彫刻された一本の氷剣が生み出される。

 触れてすらいないのに体を刺す様な冷気に自然と体に力が入り、額から汗が流れた。

 クロを庇うように青髪の前に立つ。


「ふっ、後ろの少女が心配か?」

「うるせぇ」

「安心しろ。その娘は我々の悲願そのものだ、もとより傷つけるつもりは無い。尤も、貴様には他人を心配している余裕などないがな」

「はっ、剣一本持ったくらいで偉く強気じゃねぇか」

「ならば試してみるか? 私と貴様にどれだけ力の差があるのか」


 青髪が剣を構え、それに合わせて俺も構えた。

 互いに動かず、様子を見る。

 どれだけ時間が経っただろう、一秒がやけに長く感じる。

 先に動いたのは、俺だった。

 先手必勝。

 数歩で間合いを詰めて拳を振り切る——


「甘い」

「ッ!?」


 咄嗟に右に転がるとさっきまで俺がいた場所に氷剣が振り下ろされた。

 それだけでは終わらない。

 空気中の水分を凍らせながら切り上げが飛んでくる。


「ちっ!」


 これも何とか転がって避ける。

 しかし、避けた先の地面が急速に凍てつく。

 それに触れた瞬間、俺の左腕はあっという間に凍り付いた。


「っ、がぁぁぁ!?」


 焼けるような痛みが左腕から全身に走る。

 左腕の皮膚を一気に剝がされたような錯覚。

 脳が危険信号を飛ばす。

 俺は左腕を抑える為に、体を横にした。

 しかし、そこに待っていたのは衝撃。

 腹を蹴り上げられた。

 爪先が鳩尾に突き刺さり、呼吸が一瞬止まる。

 直後、胃の中を混ぜられたような気持ち悪さが喉元を登る。

 それを吐き捨てる暇もなく、脚、脇腹、左肩に氷を刺され壁に縫い留められた。


「がっ、ぁ、……」


 経験のない激痛に意識が点滅を繰り返す。

 せり上がってくる血と吐瀉物が床にまき散らされ、体に刺さった氷が体内から俺を凍らせていく。

 放っておけば数分で俺は死ぬ。

 その迫りくる死が俺の背中を撫でた。


「ふん、口ほどにもない。良いのは威勢だけか?」

「うる、せぇ……。直ぐに、ぶっ飛ばして、やるよ……」

「減らず口を……。まぁいい。しかし、我々以外にもその少女を狙うものが居たとはな」

「……ぁあ?」


 青髪は構えを解きながら話を進める。


「惚けなくて良い。貴様も我々と同じ目的なのだろう? この少女の魔力を使い永遠の命を得ることが目的なのだろう?」

「永遠の、命?」


 俺の疑問に青髪は口角を吊り上げながら、


「我々の悲願は『不老不死』だ」


 声高々とそう言った。

 永遠の命、不老不死……。

 どれも御伽噺や漫画の中でしか聞いたことの無い言葉達。

 そんな馬鹿げたものとクロがどう結びつくのか、さっぱりだった。


「素晴らしいと思わないか? 老いも病も無い、何一つ不自由のない世界。貴様には我々が人攫いの集団に見えているのだろうが、我々は崇高な理念と理想がある。貴様も同じことを考えているのだろう? ならば貴様と我々の目的は同じところにあると見える。どうする、私の手を取るなら貴様を助けてやっても良い。都合の良い事に治癒魔法の使い手も居ることだしな」


 泥と埃に塗れ、傷だらけの俺に青髪は諭すようにそう言った。

 老いも病もない、理想郷……か。

 ——脚に刺さった氷を引き抜く。


「……お断りだ」

「なに?」

「断るって言ったんだよ、このマヌケ。永遠の命? 老いも病も無い世界? は、くだらねぇ……」

「くだらないだと、人類の悲願だぞ」

「てめぇの言う人類の中に、勝手に俺を入れるんじゃねぇ。俺はただクロを助けに来ただけだ。俺の思う理想の為に、俺の願いの為に、ただ死ぬために此処に来た」


 あぁ、そうさ俺にはお前みたいに大層な理想なんて持ってない。

 俺にあるのは精々、醜く歪んだ願いだけだ。

 ——脇腹に刺さった氷を引き抜く。


「笑いたいなら笑えばいい。てめぇのくだらねぇ妄想に浸ってる馬鹿よりずっとマシだ」

「貴様ッ!」

「はっ、ずっと仏頂面かと思ったがそんな顔もできるんじゃねぇか」


 ——左肩に刺さった氷を引き抜く。

 俺の言葉がよほど気に入らなかったのか、青髪は誰が見ても分かるほどキレていた。

 誇りだとか矜持だとかが傷ついたのだろうが、少しいい気味だと思う。

 だが、状況は未だ良くはない。

 相手は剣を持っていて万全の状態。

 対して俺は勢い任せのアドレナリンもそろそろ限界が来ようとしていた。

 もう一回だけしか動けそうにない。

 ふと、クロの方へ目をやると不安そうな目で俺を見ていた。

 それを少しでも安心させたくて、俺は少しだけ笑った。


「やはり、貴様のその性根は私の手で切り伏せなければならないようだな」

「やってみろよ、クソったれ」


 きっとあいつならこんな状況でも笑ってる。

 これくらいの絶望、笑って乗り越える筈だ。

 そうだ、最後に笑ってさえいれば俺の勝ちだ。


「散れッ!」


 剣を構えた青髪が踏み込むと同時に俺も青髪へ間合いを詰める。

 たったの数歩で互いの間合いに入る。

 満身の力を込めて振りぬかれる拳の反対側で、命すら凍らせる氷剣が俺の首へと振るわれた。

 その剣がやけにゆっくりに見えた。

 考えるより早く、体が動いた。

 咄嗟に上半身だけを横に倒し、左手で氷剣の側面を叩いた。


「っ、馬鹿なッッ!?」


 一瞬生まれた、確かな隙。

 拳を固く握りしめ、大きく一歩踏み出す。

 最後の力を込めて振りぬいた拳は、今度こそ青髪の顔面を捉えた。

 確かな手応えと共に青髪はボロい壁から頭から突っ込み、そのまま動かなかった。


「はぁッ! はぁ……はぁ……」


 止まっていた呼吸を戻し、殴り飛ばした青髪の懐から鍵を拝借してクロの手枷を外す。


「……大丈夫か?」

「それはこっちのセリフです! 貴方こそ大丈夫なんですか!?」

「あぁ、どうにかな……」


 赤くなっている手首を気にもせず、俺の体をあちこち見てくる。

 改めて見てみると酷い格好だった。ワイシャツは半分以上が赤く染まり、吐瀉物と吐血でさらに酷くなっていた。

 それを見て、クロの顔が歪む。


「……すいません。私のせいで、こんな目に巻き込んでしまって」

「気にすんな。お前のせいじゃねぇ、俺が勝手にやったことだ」

「……どうして、来たんですか」


 魔法で俺の傷を塞ぎながらクロはそう問いかけた。

 どうして、か。


「……俺がそうしたかったから、かな?」

「……意趣返しのつもりですか」

「さぁな」

「むむむ……ありがとうございました」

「……おう」


 その言葉に漸く緊張の糸が切れた。

 零れる溜息と同時にその場に倒れこむ。

 クロは急いで魔法で俺の傷を塞いでいく。


 ——これで、良いか?


 返答の無い問いをする。

 けれど、返答は必要ない。


「もう、大丈夫です」


 体を起こして動かしてみても痛みや違和感はない。

 確実に致命傷だったのに、ここまで完璧に治るとは便利なものだ。


「そんな便利なものじゃないですよ。いくら怪我は治せても、死んじゃったら意味ないです」


 そういうクロの顔は今にも泣きそうだった。

 忙しい奴だなと思うが、それこそ俺が助けた証だろうとも思う。

 俺はやっと、守りたいものを守れたんだ。


「悪い悪い、でも生きてるからいいじゃねぇか」

「もう。どうして、そんなにいい加減なんですか」

「さぁな。まぁ、取り敢えずこれで——」


 クロの後ろで何か動いた気がした。

 注視すると、最初に殴り飛ばしたワカメ男が下卑た笑みでこちらを見ていた。

 声を出す暇も無かった。

 ただ咄嗟にクロを突き飛ばした。

 刹那、胸元に衝撃。

 ゆっくり見下ろしてみると、地面から生えた泥の槍が俺の胸を貫いていた。

 痛みは無かった。もしかしたら感じる暇もなかっただけかもしれない。

 だが、胸から込み上げてくる熱いものを堪えることは出来なかった。

 倒れる寸前に後ろに見えたのは、やはり下卑た笑みを張り付けたワカメ男だった。


「ヒヒヒヒヒッッ!!! ざまぁねぇぇなぁぁぁ!!!」

「タ、タケルさん!!」


 体から温度が抜けていく。

 体を動かすどころか、呼吸をすることもままならない。

 少しでも息を吸おうとすれば、気管に詰まった血が邪魔をする。


「タケルさんッ! タケルさんッ!」

「ヒヒ……ヒ、ヒ、無理だぜ嬢ちゃん。心臓を貫いたんだ、いくら嬢ちゃんの魔法でもそいつは助からねぇ!」

「このっ!!」


 それだけ言うと、ワカメ男は再び気を失った。

 何とも酷い終わり方だ。

 勝者も敗者もみんな共倒れ、物語にしては三流も良い所だ。


「タケル、さん……」


 クロの声が聞こえる。

 返事をしようにも深い水に沈むような感覚に抗えず声が出ない。

 あぁ、ちくしょう……ここまでか……。

 別にここで死ぬならそれでいい。

 最初から死ぬつもりで居たし、俺が死んでも誰も悲しむはずはない。

 知らない世界の知らない場所で死ぬんだ。誰に迷惑をかける訳でもない。

 そう思っていた。

 なのに……。


「タケルさん……ッ!」


 顔に熱いものが落ちてきた。

 血が抜けて冷え切った体が火傷してしまいそうなほど熱い。

 死に物狂いで目だけ動かすと目にいっぱいの涙をためたクロが見えた。

 あーあ、やっちまった。

 とうとう泣かせてしまった。

 確かに、死ぬ気で助けたんだ。少しくらい感謝されてもいいと思うが、泣かせるなんて夢にも思わなかった。

 泣くなよ、と言いたいが声が掠れ切ってしまって言葉にならない。

 仕方ねぇな。


「動いちゃダメです! 直ぐに血を止めますから、絶対助けますから!」


 クロが何かしているが、お構いなしだ。

 鉛よりも重く感じる腕を伸ばして、やっとの思いでクロの頭に乗せる。

 そしてゆっくり頭を撫でた。

 クロの驚いた顔が見えて、ちょっと笑ってしまった。


「わ、りぃな……」


 その言葉を最後に俺——灰神タケルは死んだ。

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