第6話 過去の足枷
懐かしい夢を見た。
不二と過ごした何気ない日常の夢。
これを走馬灯と呼ぶのか呼ばないのか、俺には解らない。
ただ、これが覚めない夢ならずっと浸っていたいと思えてしまう。
不二とは施設からの付き合いでかれこれ十年以上の付き合いになる。
日本人離れした白い髪に白い肌。無類の女好きで自分の好みの女性は逐一チェックしているらしい。
けれどそれが許されるほど顔立ちは整っているので、得しているなと思う。
……いや、どちらかと言うと顔よりも無邪気に笑うこいつの目が人を引き寄せるのかもしれない。
目つきは鋭いのに、どこか憂いを帯びた青い瞳はどこか儚い印象を与える。
「おい、急にぼうっとしてどうした?」
「え——あぁ、悪い。なんか話してたか?」
「おいおい、大丈夫か?」
「あぁ、お前の顔を懐かしいと思えるくらいには大丈夫だ」
「爺さんか!」
つまらないボケに不二が律儀にツッコミを入れる。
この日のことはあまり覚えていない。
確か、久しぶりに休みが被ったから二人で適当に街をブラついていたはずだ。
「それで、なんか話してたか?」
「そうそう、聞いてくれよ! 職場にめちゃくちゃ可愛い子が入ってきたんだよ! 同い年なんだけど、お淑やかで笑顔が素敵でさ〜、ちょっと頼りないけどそこがまた愛らしいっていうか、あと胸がデカい」
「おい最後。全部そこに目がいってるじゃねぇか」
「ちっちっち、分かってねぇなタケル君はよぉ。女の子の胸には何が詰まってると思ってるんだ? 夢と希望とロマンだよ」
「セクハラで訴えられちまえボケナス」
「まぁまぁ、そう言うなって。今度紹介してやるからよ、予定空けとけ」
肩を叩きながら陽気な口調の不二は、まぁ、いつもの事だ。
相変わらず手を出すのが早い。
「いいよ、お前だけで行ってこい。俺がいても場がシラケるだけだ」
「あり、胸の大きい子は好みじゃないか?」
「てめぇ本当にぶん殴るぞ」
冗談だよ、と不二は本気で殴りたくなる顔で笑った。
会話が一瞬止まる。
そんな日常の空白の途中、不二は俺の顔色を伺うように覗き込んだ。
「……まだ、立ち直れないか」
「……あぁ。悪いな」
「気にすんなって。俺たちは世間で言うところの『普通』とは掛け離れてるからな。しょうがねぇよ」
「それに、俺は人殺しだからな——!?」
突然頭を小突かれた。
あまりのことに呆然としていると、不二の怒った顔が目に入った。
「ったく。いつまでも小せぇこと引きずってんじゃねーよ。お前は誰も殺してねぇだろうが」
「はは、そうだな。悪い」
呆れるように怒る不二。その仕草には表も裏もない。
俺は多分、不二のこういうところが気に入ったんだと思う。
女好きのどうしようもないスケベ野郎なのは違いないが、それでもこいつは良いヤツだ。
他人の欠点も余すことなく受け入れられるぐらいには善人だ。
けれど、本人はきっと否定する。
だから、俺はただ知っているだけで良い。
そうすれば、きっと——
「きゃああああああっ!!!!」
突然、女性の悲鳴が聞こえた。
あまり聞き慣れない甲高い声に俺も不二もその方向を見る。
昼間の街中、人混みの中から包丁らしき刃物を持った男が血相を変えてこちらに走ってきた。
「ど、どけぇっ!」
血走った目に青白い顔。
男が普通でないのは誰の目にも明らかだった。
不幸なことに男は俺のいる方向へ刃物を突き立てて真っ直ぐ走ってきた。
あまりにも突飛な出来事に俺の体は動けない。
——あぁ、死んだな。
けれど動けない体とは違って思考は冷静に現実を受け入れていた。
思い返せば、これは夢だ。
だから、死んだところで困ることはない。
「——————」
衝撃と共にドジュッ、という肉が潰れて避ける音が聞こえた。
不思議なことに少しも痛くなかった。まぁ、夢の中なんだから痛みなんて——
「——え」
気づけば俺は路上に尻もちをついていただけだった。
体の何処にも刃物は刺さっていない。
じゃあ、さっきの音は……。
「よ、ぉ……。無事か?」
消えてしまいそうな震えた声。
恐る恐る横を見ると不二が俺の隣でこけていた。
あぁ、なんだ、お前も無事だったのか。
不二を起こそうと肩のあたりを持ち上げると何故か手が滑った。
「……は?」
見ると、俺の手が赤く染っていた。
赤くて、妙に滑って、鉄の匂いが鼻につく。
そこでやっと不二に腹に刃物が刺さっているのが見えた。
「不二っ!!」
なんで、なんで、なんで、なんで、なんでっ!
どうしてこうなった。
何を間違えた。
なんで、不二が……っ!?
「おい、おいっ! 大丈夫か!?」
「大丈夫に、見えるか……?」
脂汗を流しながら答える不二を何とか仰向けにする。
腹に刺さっている刃物をどうすれば良いのか解らない。
咄嗟に救急車を呼ぼうと携帯を取り出す。
けれど、震える手では上手く携帯を操作できず取りこぼしてしまう。
拾おうとしても拾えない。
「だ、誰かっ!」
「いいよ、タケル……」
いいって、何がいいって言うんだ。
朱色に塗れた手で俺の手を握る不二は、脂汗を流しながら必死に言葉を続けた。
「もう、助からねぇよ……」
「ふざけんな! まだ分かんねぇだろ、直ぐに病院に行けばまだ助かるかもしれねぇだろうが!」
「無理だよ……。もう、色々と感覚が無いんだ……」
「そんな……っ!」
「でも、お前が無事で良かったよ……」
どんどん冷たくなっていく手を俺は必死で握った。
これは夢だ。
不二はもう、一年前に亡くなっている。
だから、この光景も二度目のはずだ。
たった二回、友人を見送るだけのはずだ。
「嫌だ……っ!」
俺は、二度も友人を目の前で失わなきゃいけないのか。
俺とこいつが何をしたって言うんだ。
両親を失って、周りの人間に裏切られて、それでも二人で生きてきたっていうのに。
こんな結末、あんまりだ……。
「なんで、俺なんかを庇ったんだ……」
「俺がそうしたかったから、さ……。タケル、お前は俺の分まで生きろよ」
「嫌だ……」
「俺の分まで生きて、俺の分まで幸せになれ」
「断る……っ!」
何を満足気に死のうとしてやがる。
ふざけるな。俺が生きてこれたのはお前が居たからだ。
お前の居ない日常なんて、願い下げだ。
生きていてやるもんか、幸せなんぞクソ喰らえだ。
俺は——
「じゃあな、親友」
——お前が居てくれれば、それで良かったのに。
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