第14話 冒険の前には二度寝しろ

「ん、ぐぅ……」


 朝か……。

 寝ぼけた頭で体を起こすと、体中の骨がぽきぽきと音を立てた。

 慣れない場所で寝たせいかまだ眠い。

 へばりつく様な眠気を払うようにガシガシと頭を掻きながら辺りを見ると、知らない天井と壁が目に入った。

 そういえば、異世界に来たんだったな。

 まだ朝早い時間だと思うが、身についた習慣は世界が変わった程度では抜けないらしい。

 欠伸を噛み殺しながら、とりあえず顔を洗うために浴室へ向かう。

 だが、ここで気づいた。

 浴室の場所が分からない。

 それが分かった瞬間、急に起きるのが面倒になった。

 いっそ二度寝してやろうかと思ったが、今ここで寝たら確実に昼まで寝てしまう。


「はぁ……」


 仕方ない、探そう。

 面倒だがこのまま眠気と戦うのも限界だ。

 湧き上がる眠気に抗いながら、部屋のドアをあちこち開ける。

 しかし開けたドアの先は、物置だったり、空き部屋だったり、トイレだったり、全部違う部屋だった。

 だんだん、探すのも面倒になってきた。

 次の部屋も違ったら諦めて寝よう。

 そう決めて部屋を開けると、むわっとする湿気が顔を撫でた。

 思わず眉間に皺が寄るが、それもすぐだった。


「あ……」


 か細い声と共に湯気が晴れると、下着姿のクロが居た。

 腰まである髪は濡れていて、頬も上気している。

 どうやらシャワーか風呂に入った後らしい。

 丁度シャツを羽織ろうとしていて、透き通るような白い肌とそれを際立たせる黒い下着がばっちり……。


「あ゛ッ……」


 変な声が出た。


「悪いッ!」


 叩き付けるようにドアを閉めた。

 しまった、クロが居ることを完全に忘れていた。

 イールに不死を押し付けられた後、俺はクロに拾われてこの家に住むことになった。

 クロ曰く、持ち家らしいこの家はクロの知り合いが使っていたのを譲り受けたらしい。

 一途建ての平屋で白く塗られた外壁に黒い瓦の屋根という至って普通極まる外装。

 強いて目印を挙げるなら、玄関の隣にある一輪の花が植えられた鉢植くらいだろう。

 中も中でいたって普通。

 年頃の女の子の部屋というものは良く知らないが、生活に必要なもの以外は置かない主義なのか物が少ない。

 一番スペースを取っているのはクロの蔵書くらいだ。

 一人で住むには広すぎる。

 なんて、後悔と共に昨日までの情報を整理していると後ろのドアが開かれた。

 恐る恐る振り向くと、少しだけムッとした表情のクロと目が合った。


「……悪かった」

「別にいいですよ下着くらい。減るモノでもないですし」


 表情とは裏腹に割とあっさり許されてしまった。

 けれど、それはそれでどうなんだと思ってしまう。

 正直ビンタくらいは覚悟していたんだが、肩透かしを食らった気分だ。

 年頃の女の子がそれでいいのか……。


「さぁ、顔を洗ってきて下さい。今日は忙しいですよ!」

「……あぁ、分かった」


 何というか、気にしすぎたら負けな気がした。


****


 顔を洗って、スラックスとワイシャツに着替えた俺はクロに連れられカフェに来ていた。

 シックな内装に包まれたカフェは時間が早いからか客が居ない。

 なんだか、貸し切っている様でちょっと得した気分だ。

 クロと店員は顔見知りらしく、あれよあれよとテラス席に案内された。

 思い返せば、ここ最近ちゃんとした料理を食べていない。

 そう思うと急に腹が減ってきた。


「私はいつもので。タケルさんは?」

「あ、あぁ……」


 常連なのかクロはものの数秒で注文してしまった。

 店員から渡されたメニューを見るが、俺はここでこの世界に来てから一番の問題にぶち当たってしまった。

 文字が読めない。

 クロと普通に会話できているせいで忘れ気味なってしまうが、ここは異世界。

 文字が違っても不思議じゃない。

 そもそも、英語すら怪しい俺に異世界文字が解読できるはずもなく……。


「タケルさん?」


 いい加減、時間を掛け過ぎだとクロも不審に思い始めたようだ。

 仕方ない、正直に言うしかないだろう。


「……すまん、文字が読めねぇ」

「え……」

「いや、本当に……」

「……彼にも同じものを」


 店員が顔を引きつらせてカウンターへと戻っていく。

 絶対に変な客だと思われた……。

 折角の快晴な朝だというのにため息が止まらない。

 この短時間で一気に老けた気がする。


「仕方ないですよ、タケルさんには特別な事情がありますから」

「やめてくれ、今はその優しさが辛い」


 辛すぎて泣いちゃいそうだ。


「それはそうと、一ついいか?」


 気分を紛らわせるために話題を変える。


「なんでしょう?」

「そもそもの話、魔法ってなんだ?」


 どうせ料理が来るまでは暇なんだ。

 それなら、一番の疑問を潰しておくのも悪くない。


「そうですね、知ってて損はないですし。料理が来るまで魔法について教えますね」

「頼む」

「魔法というのは、魔力を元に神秘や奇跡を現実に具現化させる行為の総称です。術者は自分、もしくは外部の魔力を使って魔法を行使します。火を起こしたり、ゴーレムを作ったり、傷を治したりと色々と便利に使われていますが万能じゃありません。基本的には具現化させる神秘や奇跡は、魔力との等価交換で成り立っていますから無から有は作れません」


 ここまでいいですか、とここで一度話が区切られる。

 聞いた情報を自分なりにまとめてみても特に引っかかる部分はない。

 要するに電気を使って家電を動かすことと仕組みは似ているという訳だ。

 まぁ、詳しく知りたいなら自分で知識を集めてからでなければ意味もないだろう。


「まぁ、何となくわかった……。んで、お前の魔法って具体的にどんな魔法なんだ?」

「私のはちょっと特殊で『再生魔法』って呼んでます。人の怪我を治したり、壊れた物を直したり、治癒や修復に特化してるので戦闘向きではないですね」

「なるほど、だから銃とかナイフを持ってんのか」

「そういう事です。まぁ、今日は家に置いてきてますけどね」


 言われてみれば、クロの腰にはホルスターが付いていなかった。


「魔法、ねぇ……」

「何か引っかかりますか?」

「いや、馴染みの無いものだし実際に見たことも無かったからな。何て言うか、現実味がない」

「タケルさんだって使える可能性はあるんですし、そんなこと言ってられないですよ」

「俺が?」

「ええ、タケルさんにも魔力を感じます。だから、後はきっかけがあれば使えるようになりますよ」

「きっかけ……」

「一説ですが、魔法とは己の願いを形にしたものであるという説もあります。きっかけとは言いましたがそんなに難しく考えなくていいですよ。自分の心に素直になれば良いんです」

「そう言われてできるなら苦労しねぇよ」


 己の願いを形にしたもの、か。

 そうだとするなら俺に魔法は使えないのかもしれない。

 だって、今の俺には心の底から叶えたいような願いなんてない。

 確かにこの不死は何とかしたい。

 けれど、それは単にイールの思い通りになるのが嫌だからだ。

 願いなんてものには程遠い。

 それに近いものならクロを助けたいというものだったが、それだって今はこうして叶っている。

 そして一番の問題は、今の俺には生きる理由がないことだ。

 不二の遺言に縛られるように生きてきた俺にとって、あれだけが生きる理由だった。

 けど、その縛りはもう無い。

 今の俺は空っぽだ。


「……ケルさん。タケルさん!」

「ん、あ、なんだ?」

「ご飯来ましたよ?」


 クロの声に思考の海から引き上げられると、スクランブルエッグ、サラダ、トースト、コーヒーと至って普通の朝食メニューが並んだモーニングプレートが目の前に置かれていた。

 随分と久しぶりな気がするまともな食事に、腹の虫が鳴った。

 腹が減っては何とやら、食べよう。


「いただきます」


 ふと、クロの方をチラッと見ると頬にケチャップを付けながら心底美味そうにスクランブルエッグを頬張っていた。

 目の前に積み上がっている課題は山積みだが、こいつを見ていると不思議と何とかなりそうな気がしてくる。

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