第31話 決意を胸に
仕事が終わった頃、メリセアンの空は曇っていた。
鉛のように重い灰色に覆われた空は今にも雨が降りそうだ。
海から吹く潮風も心なしか冷たい。
初めての大仕事を終えた後だからか、それとも後味が悪かったせいか、俺とクロはろくに会話もせずメリセアンへと帰ってきた。
一応、腕の事があるのでクロには宿で休んでもらい、俺一人でケンジへの報告へ向かう。
もうすっかり慣れてしまった商会ギルドへの立ち入り。
受付の人にも顔を覚えられてしまったようで、名前を言っただけでケンジの部屋に通された。
「よっ、もう終わったのか?」
「あぁ。片付けてきた」
相も変わらない気さくで陽気な挨拶。
俺もできるだけ普段通りに振る舞う。
けれど、どうやらケンジからすれば全く普段通りには見えなかったらしく、あっさりと見抜かれた。
そういえば、不二にも「お前は顔に出やすいんだよ」とか言われたなと思い出す。
俺に隠し事は向いていないらしい。
「それで、行方不明の三人の詳細はどうだった」
「……全員、死んでた」
「……そうか」
ケイネスとの戦闘後、せめて遺体だけでもと探した。
でも、女性の遺体は見つかったが、男性二人の遺体はどこにも見当たらなかった。
「……わかった。遺体は俺達の方で回収して家族の元へ届けておく」
「頼む……」
「そういえばあの嬢ちゃんはどうしたんだ?」
「クロは怪我をしたから一応宿で休ませてる。命に関わるほどの事じゃねぇよ」
「そりゃあ何よりだ。依頼を出した身とはいえ、引き受けた側に何かあったら寝覚めが悪いからな」
ホッと一息つきながらケンジはお茶を啜った。
取り敢えず、後の細かな後処理は商会ギルドがやってくれるそうで、俺の前には報酬の入った革袋が置かれた。
試しに持ってみるとかなり重い。額は期待して良さそうだ。
だが、それとは別に一つ気になることがある。
「一ついいか」
「んあ?」
「……今回の依頼。行方不明者を攫っていた犯人がケイネスであることをお前は事前に知っていたんじゃないか?」
投げ掛けた疑問にケンジの表情はナイフのように鋭くなった。
鼠色の空模様も相まって部屋に漂う空気は鉛のように重くなる。
「なんでそう思う。なにか根拠か証拠でもあるのか?」
「別にねぇよ、ほとんど勘だ。根拠があるとすればケイネスだ」
ケイネスと初めて会った時、奴はこう言った。
——あぁ、やっとここへ来たのか、と。
あれは俺達が来ることを予見していた口ぶりだ。
合成獣を使って事前に俺達を見つけていたのか、別の仲間が居たのかは分からない。
でも、ケイネスは俺達がどうしてあの洞穴を訪れたのかも分かっていた様にも見えた。
そこに違和感があった。
「それに魔物の討伐の依頼と今回の依頼、どちらもお前からの依頼だ。ただの偶然にしてはちょっと出来過ぎてないか?」
「それだけか?」
「あぁ、それだけだ」
そう言って、手元のお茶を一口啜る。
この勘が外れているならそれでも構わない。
ただ、敵か味方かはっきりしてほしいと思っただけだ。
ケンジの表情は未だに険しい。
けれど、眉間に寄っていた皺が緩むとひときわ大きく息をついた。
「ちっ、上手い事ことやったつもりだったが、見抜かれるとはな」
「あっさり認めるんだな」
「あぁ、良い嘘が浮かばなかったんでな。アンタの言う通り、アンタらの情報をケイネスに流したのは俺さ。いや、流したというより売ったが正しいか」
「何のためにって聞いて良いのか?」
「俺は商人だ。商人が商売する理由なんて一つだけだ。——金だよ」
至極、単純な答えだった。
金の為に俺達の情報をケイネスに売った。
それは商人を自称するこいつの在り方そのもののように聞こえた。
「そうか」
「なんだ、それだけか?」
「あぁ、結果として俺もクロも無事だったんだ。とやかく言うつもりはねぇよ。今聞いた話も誰かに振りまくなんてこともしねぇ」
「それはありがたいが、本当にそれでいいのか? 今回は無事だったとはいえ、ウロボロスにアンタらの情報が流れてる可能性だって高いんだぜ?」
「なら、今回の報酬に追加してウロボロスの情報を俺達にくれ。それでチャラだ」
そう言うと、ケンジは意外そうな顔をした。
我ながら楽観的な気がしないでもない。
確かに、ケンジのしたことは犯罪だ。
そのせいでクロに何かあれば、俺はきっとこいつを許してはいないだろう。
でも、こいつから受けた仕事はもう済んだし、結果として俺達は無事だった。
それに、ケンジにはイールやウロボロスについて調べてもらわなきゃならない。
牢獄にぶち込むにしても情報を貰った後でいいはずだ。
「……分かったよ。ギルドマスターとして、一商人としてその契約しっかり果たさせてもらう」
「あぁ、よろしく頼む」
****
宿に戻ると、すっかり暇を持て余したクロがベッドに寝転がっていた。
普段の紺色のブラウスではなく、寝間着代わりのキャミソールを着ているせいかいつもより無防備に見える。
それにため息を零せば、クロの顔がムッとなる。
「なんでため息が出るんですか」
「お前が無防備すぎるからだよ。俺が居るんだからもう少し服装には気を遣え」
「いいじゃないですか。私だってだらけたくなる時だってありますよ。それに今はできることも無いですからね~」
「……腕の怪我、そんなに酷いのか? もう塞がってたろ」
「薬で無理やり治しましたからね、その副作用です。あ、でもそんなに酷いものじゃないですよ。三日くらい腕が痺れて動かしにくいだけです」
「十分重症じゃねぇか」
「あはは……」
誤魔化すように笑うクロにもう一度ため息が出る。
案外大丈夫そうだと思ったら、随分と無茶をしていたようだ。
とはいえ、その原因の一端は俺にもある。
盾にくらいなれるだろうと高を括っていたにも関わらず、実際は無理をさせてしまったのだから。
まったく、情けない。
情けないし、弱い。
「……悪かったな、そんな無茶させて」
「謝らなくていいですよ。自分で決めた事ですから」
「……そうか」
「そうですよ。でも、タケルさんのそういうところ私は好きですよ。可愛くて」
「俺はお前の可愛いの基準がよく分からないんだか……」
「ふふっ……。あ、そういえば報酬はどうなりました?」
「あぁ、それなら——ほら」
ケンジから貰った革袋をクロに渡すと途端に目が輝いた。
まぁ、あれだけ苦労したんだから感動も一入だろうな。
「いや~苦労した甲斐がありますね~」
「本当なら魔物の討伐だけで終わってたんだけどな」
「まぁまぁ、こうして無事に終わったんですから良いじゃないですか。王都に戻ったら何か美味しいものでも食べましょう。美味しいお店を知ってるので」
「……それなんだが、王都に戻ってもいいのか?」
「……どういうことですか?」
「今回の件、ケンジが俺達の情報をケイネスに流してた。そっちに関してはもう解決したから大丈夫なんだか、問題は今回みたいに第三者がウロボロスと関りを持ってる場合もあるってことだ。王都なんて人が多い場所じゃあ、仮にそういう奴が居ても分からないだろ?」
「それは、そうですね。でも、私の帰る場所はあそこにしかありませんから……」
「それは、そうだな……。悪い、軽率だった」
「いいえ、タケルさんの言ってることはもっともですよ。戻ったら一度、マスターに話してみましょう。何か対策できるかもしれません」
「あぁ。わかった」
確かに頼れる奴は一人でも多い方がいい。
それにガドルなら万が一の可能性も無いだろうし、ケンジからの情報も入れば何かしら役には立つはずだ。
次は、上手くやる。
「今からそんなに険しい顔をしていたら持ちませんよ」
「ん、そんな顔してたか……」
「……タケルさん。今更なことを言いますけど、良いんですか?」
「良いって何がだ?」
「……私とこのまま一緒に居れば、否が応でもウロボロスという連中と関わることになります。一緒に世界を見て回ると言った手前、タケルさんには一緒に来てほしいという気持ちはあります。でも——」
一呼吸おいて、クロは俺に報酬の入った革袋を手渡す。
片手で持つには少し重いそれには、クロの覚悟のようなものが乗っかっているように思えた。
「これだけあれば、しばらくは困らないでしょう。連中の狙いは私です。私との関りを絶てば、今からでも引き返せるかもしれません」
「……巻き込まれるのが嫌ならこれ持ってどっか行けってことか」
「……はい」
僅かな期待と大きな不安が渦巻く瞳が俺を見つめる。
多分、クロなりに俺のことを思っての事だろう。
きっと自分のせいで~なんて思っているんだろうが、普段は図太いのにこういうところは繊細らしい。
けれど、答えは考えるまでもなく既に決めている。
「……ほら」
「え、わわっ!?」
革袋を投げ返すと、クロが慌てながら受け止めた。
「俺は別に、責任感や義務感でお前と一緒に居る訳じゃねぇよ。ただ俺がそうしたいと思ってるから居るだけだ。お前が俺に気を遣う必要はねぇ。それに、一度約束したことくらい守らせろ」
「……じゃあ」
「あぁ、一緒に行く。これからもよろしくな、相棒」
「っ、はい!」
不死、ウロボロス、イール。
今俺達が抱えているものは余りにも大きなものばかりだ。
危険なんて、この先幾ら転がっているかもわからない。
この死なない体があったとしても、死んだほうがマシだと思えるくらいの事ばかりかもしれない。
でも、それでいい。
生き方はもう決めている。
不死も解く、世界も見て回る。
そして、死ぬ。
けれど——それまではこいつと一緒に生きるのも悪くない。
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